金 日 成

極左冒険主義路線を排撃し、革命的組織路線を貫徹しよう
延吉県明月溝で開かれた党および共青幹部会議でおこなった演説
−1931年5月20日−


 みなさん!

 1929年にはじまった破局的な世界経済恐慌は、帝国主義列強間の狂気じみた軍備競争を引き起こし、帝国主義諸国の海外侵略の野望をさらに煽りたてました。

 日本帝国主義者は、経済恐慌からの活路を大陸侵略戦争に求めており、英米仏帝国主義列強の既得権を侵して、無尽蔵な地下資源と豊富な労働力をもつ広大な中国にたいする侵略準備を公然とおこなっています。大陸侵略戦争の準備に血眼になっている日本帝国主義侵略者は、「後方の安全」のために、朝鮮人民にたいする植民地的弾圧と搾取をさらに強めています。

 日本帝国主義の植民地支配が強化されるにつれて、朝鮮人民の境遇は、ますます困難になり、日本帝国主義と朝鮮人民のあいだの矛盾は日増しに先鋭化しつつあります。日本帝国主義の植民地支配にたいする朝鮮人民の反抗気運はますます高まり、人民大衆は日本帝国主義に反対してより大衆的で積極的な闘争をくりひろげています。

 日本帝国主義の植民地的弾圧に抵抗する労働者、農民と青年学生の闘争は、我が国のいたるところで激しく起こっており、これらの闘争は大衆的な暴力闘争の形態をとりはじめました。

 当面の情勢と我が国の労働者、農民、青年学生の革命的気概の高揚は、朝鮮の共産主義者に反日民族解放闘争をさらに高い段階へ発展させることを求めています。

 こんにち、我が国の当面した主体的・客観的革命情勢の要請に即して、反日民族解放闘争をさらに高い段階へと発展させる唯一の道は、武装闘争を展開することであります。

 強盗日本帝国主義は、反革命軍事力をもって朝鮮を支配しており、朝鮮人民に植民地的奴隷生活を強要しています。我々が手に武器を取って戦わないかぎり、つま先まで武装した日本帝国主義を打倒することも、祖国の解放と独立を達成することも不可能であります。

 しかし、なんの準備もなく、いま直ちに武装闘争を展開することはできません。どのような革命闘争でも、革命勢力の準備を十分ととのえずして、勝利をおさめることはできないのであります。

 革命勢力の十分な準備にもとづいてのみ、武装闘争を展開することができ、日本帝国主義者を打倒することができます。

 我々は、日本帝国主義侵略者に反対する強力な闘争を展開するために、自己の革命勢力を蓄積し、たゆみなく成長させていかなければなりません。準備のととのっていない無意味な、盲目的な暴動は、革命勢力の成長にはなんの助けにもならず、かえって革命に甚大な被害をもたらすだけであります。

 我々がいま、5.30暴動から深刻な教訓をくみとろうとするのも、結局、反日民族解放闘争のより高い段階への発展を指向して、革命勢力を強化する活動で決定的な転換をもたらすためであります。

 分派・事大主義者は、ただ自己の分派的目的を達成するために、東満州で無謀な5.30暴動を引き起こしました。かれらは、暴動のための綿密な計画や組織的な準備もなしに、先に「暴動指揮部」を組織し、各部落の農民を動員して都市へ攻め入りました。こうして、1930年5月30日に竜井、頭道溝、二道溝、南陽坪、傑満洞、延吉、銅仏寺など東満州の重要地域で、日本領事館、朝鮮人居留民会、「東拓」金融部、普通学校、発電所、鉄橋などを破壊、放火し、親日派、地主、資本家を処断する暴力闘争をくりひろげました。

 街頭では、日本の軍隊、警察と徒手空拳の暴動大衆とのあいだに流血の闘争が展開され、銃剣で武装した仇敵日本軍警の弾圧によって、多くの同志が犠牲になり、大衆が血を流しました。一方、日本警察とその手先は、各地の農村をくまなく捜索し、多数の朝鮮青年を検挙、投獄して残酷な拷問を加え、虐殺しました。

 日本帝国主義の民族離間政策にたぶらかされた中国反動軍閥も、日本帝国主義侵略者にそそのかされて、「朝鮮共産主義者を逮捕する」という口実のもとに、大々的な人民虐殺を強行しました。吉林省政府は、敦化駐屯第7連隊長玉樹棠を「討伐司令官」に任命し、数千の兵力を動員して罪のない朝鮮農民を手当たりしだいに虐殺、逮捕、拘禁しました。

 この1年間、日本帝国主義と国民党軍閥が逮捕、拘禁した朝鮮青壮年の数は数万にのぼり、そのうち即座に銃殺された人だけでも数百名に達します。逮捕された人のうち、数百名の朝鮮共産主義者がソウルの西大門(ソデムン)刑務所に移送されました。暴動当日の激戦での犠牲者、拷問による死者、負傷者まで合わせると、実に数千名の朝鮮青壮年が血を流し、犠牲になりました。

 こうしてこんにち、東満州一帯の朝鮮人部落の空気は恐怖につつまれています。革命組織は破壊され、かろうじて身をさけた一部の同志たちはなすすべを知らず、農民大衆は敵のテロに萎縮しています。

 我々は、この重大な事態を速やかに収拾して革命組織を再建し、大衆の革命的気概を高め、朝鮮革命を再び高揚へ導かなければなりません。そのためには、極左冒険主義的な5.30暴動を正しく分析、総括し、正しい教訓をくみとることが重要であります。

 それでは、5.30暴動が失敗した主な原因はどこにあるでしょうか。

 それは第1に、分派・事大主義者の教条主義と小ブルジョア英雄主義にあります。

 分派分子は、派閥争いによって1925年に組織された朝鮮共産党を破壊しておきながらも、そこから教訓をくみとろうとせず、満州にきてまで「党再建」の看板をかかげ、自派勢力の拡張に没頭して革命勢力を分裂させてきました。分派分子は、かれらのこのような分派行動がコミンテルンの批判を受けると、今度は、「闘争」を通じて信用を獲得し、一国一党の原則に従い中国共産党に入党するという誤った考えから、極左冒険主義的な5.30暴動を引き起こしました。この運動の指導層内部に潜入した分派・事大主義者は、革命がどうなろうと、大衆が犠牲になろうとかまうことなく、暴動で自分自身と自派の名声を高めてコミンテルンの信用を獲得し、自派の指導的地位を得ようとしました。

 功名心にとらわれ、事大主義に毒されていた分派分子は、他人の笛に踊る教条主義的な誤りをおかさざるをえませんでした。

 他国の党内で一時、極左冒険主義的暴動路線が支配しているのを見てとった分派・事大主義者は、その正否についても、それが朝鮮革命の具体的な実情に適するかどうかも検討せず、いたずらに多数の革命的大衆を暴動へとかりたてて無意味な犠牲を出し、革命に甚大な損失をもたらしました。

 第2に、暴動が極左的におこなわれたことにあります。

 分派・事大主義者は、朝鮮革命の現段階にたいする正しい認識と科学的な戦略・戦術もたてず、全くの主観的欲望にとらわれ、実現不可能な極左的闘争スローガンをかかげて暴動を起こしました。暴動の組織者たちは、朝鮮革命の反帝反封建民主主義的性格を無視し、「労農ソビエト政権を建設しよう!」「正義派、新幹会、槿友会支会などを打倒せよ」という極左的スローガンをかかげ、親日と反日とを問わず、すべての地主、資本家を打倒する方向へと大衆をかりだてました。そればかりでなく、一部の地方では、地主、富農であるというだけでその穀物に火を放ち、十分獲得できる動揺分子までも敵の手先と決めつけて一掃するという極左的な誤りをおかしました。

 このような極左的行動は、暴動大衆が革命的な熱意を発揮することも、闘争に意識的に参加することもできなくさせ、特に、革命の側に獲得しうる多くの反日大衆を不安に陥れ、動揺させました。

 第3に、暴動が十分な準備と科学的な検討もなく、冒険的に進められたことにあります。

 もともと暴動は、主体的・客観的情勢が熟し、革命勢力が十分にととのったとき、綿密な計画と正しい戦略・戦術のもとに、決定的な攻撃戦をくりひろげてこそ勝利をかちとることができるものです。しかし、5.30暴動の組織者たちは、革命情勢にたいする正しい分析と判断も、敵味方の力関係にたいする検討もなく、正しい計画と十分な準備もなしに極左冒険主義的に暴動を組織しました。

 当時、東満州の革命組織は結成されてまもなかったため、まだその勢力が弱く、大衆の組織的鍛練も極めて不十分でした。にもかかわらず、大衆を革命的に十分教育しないままに暴動へかりたてたため、一部のめざめていない人たちは、暴動の目的や意義をはっきり知らずに参加しました。甚だしくは、一部の地方では、大衆団体がやっと組織されはじめた状態であるのに、威嚇と恐喝をもって暴動を組織したため、革命的大衆の積極的な支持を受けることができませんでした。したがって、これらの地方では暴動組織が敵の些細な白色テロにも抵抗できず、すぐ解体してしまいました。こうして、極左冒険主義的な5.30暴動は、日本帝国主義と国民党反動軍閥の連合した数千名の精鋭部隊の武力弾圧によって、多くの犠牲をだし、失敗に終わりました。

 それでは、5.30暴動が残した悪結果はなんでしょうか。

 それはなによりも、革命組織と大衆との結びつきを弱め、革命組織から大衆を離脱させたことであります。

 組織的な鍛練がたりず、十分な思想的準備もなしに暴動に参加した大衆は、暴動が失敗し敵の弾圧と虐殺が激しくなると、勝利への確信を失い闘争に立ち上がったことを後悔し、一部の人たちにいたっては、罪なき人民にたいする敵の略奪がひどくなると、「共産党のためにさんざんな目にあう」とまで考えるようになりました。こうして、大衆のあいだで共産主義者の権威は落ち、少なからぬ人々が恐怖にとらわれ、革命組織から離れていく重大な禍いをまねきました。

 また闘争が極左的に進められた結果、十分、反日民族解放革命に引き入れ、ともにたたかいうるかなりの大衆が敵の側に移るようになりました。

 次に、それは形成されはじめたばかりの革命の中核、特に、各地方の革命的指導中核を失ったことであります。

 東満州では、日本帝国主義とその手先に反対するさまざまな形態の大衆闘争のなかで、革命組織が生まれ、青年共産主義者が育ち、これにもとづいて各地方に革命的指導中核がようやく形成されつつありました。

 このようなときに無謀な暴動を起こしたため、革命的指導中核である数十名のすぐれた青年共産主義者が犠牲になり、数百名の革命同志と数千名の反日大衆が検挙、投獄される結果をまねきました。こうして、東満州の革命組織は、多くの共産主義者、特に革命的指導中核を失った結果、破壊された革命勢力を再編し、未組織地帯に革命組織を拡大し、革命闘争を再び高揚へと導く活動で難関にぶつかりました。多年にわたる社会主義啓蒙運動と闘争の過程で成長した多くの革命的指導中核を失ったことは、革命にとって重大な損失といわざるをえません。

 それはまた、大部分の地方革命組織が破壊されたことであります。

 社会主義啓蒙運動が早くから発展した東満州の各地方には、革命的な前衛組織と大衆団体が少なからず組織され、強化されつつありました。しかし暴動の結果、この地区の革命組織が破壊されるか、または表面化して敵の弾圧を受けたため、革命組織は甚大な損失をこうむりました。こうして、組織化されていた大衆は組織を失ってなすすべもなく、恐怖におののいています。

 そればかりか5.30暴動は、敵に悪宣伝と野蛮な弾圧の口実を与え、特に、日本帝国主義の民族離間政策に手をかしました。極左的な暴動組織者によって、日本帝国主義侵略者の経営する学校や地主の穀物が放火されるなどの無謀な行為がくりひろげられたため、敵に「朝鮮共産主義者は、殺人放火者だ」「朝鮮共産主義者は、中国人の穀物に放火する強盗だ」といったたぐいの宣伝をいっそう悪辣におこなわせ、これをきっかけに、日本帝国主義者は国民党軍閥をそそのかして朝鮮人を虐殺させました。

 一方、日本帝国主義者は、満州在住の日本公民を保護し、朝鮮人を統治しなければならないという口実をもうけて、「日本軍の満州出兵運動」を展開しています。

 日本帝国主義の民族離間政策に乗せられた国民党反動軍閥は、「朝鮮人は、日本帝国主義の手先だ」と中傷し、朝鮮人民にたいする虐殺をほしいままにしました。こうして、朝中人民間の関係は悪化しています。

 みなさん!

 極左冒険主義的5.30暴動が我が国の革命に及ぼした禍いは、極めて重大であります。しかし、我々はこの一時的な難関を前にして動揺したり、屈服する敗北主義者になってはなりません。革命の道には、紆余曲折と一時的な失敗や犠牲もありうるものです。

 いま東満州では、極左冒険主義的5.30暴動の禍いによって、革命闘争は厳しい試練をなめていますが、我々が正しい路線と方針を立て、それにもとづいて闘争を展開するならば、革命組織は再建され革命勢力はさらにかためられ、革命闘争は再び盛り上がるでありましょう。

 それでは、どのような路線と方針によって闘争を展開すべきでしょうか。

 なによりも分派・事大主義者の極左的冒険主義に反対し、大衆にたいする組織・政治活動を強化して、今後より大きな事態を迎える準備をととのえるべきです。すなわち将来、武装闘争を中心に反日民族解放闘争を新たな段階へ発展させるための準備活動をいっそう活発におこなわなければなりません。

 革命の勝敗は、みずからの革命勢力をいかにととのえるかにかかっています。

 いまは、日本帝国主義が強く、朝鮮人民の革命勢力は比較にならないほど弱いように見えるが、共産主義者である我々が革命勢力をたえず拡大強化し、日本帝国主義とソ連との矛盾、日本帝国主義と植民地諸国との矛盾、日本帝国主義と他の帝国主義諸国との矛盾を利用して敵を窮地に追い込み、全世界の労働者階級と被抑圧民族の声援のもとに、武装闘争の方法によって日本帝国主義に決定的な打撃を加えるならば、祖国の解放は必ずなし遂げられるでありましょう。

 現在、朝鮮共産主義者の最も重要な課題は、革命の基本大衆をしっかりと結集し、そのまわりに各階層の反日勢力をかたく団結させ、全民族を一つの政治勢力に結集する革命的組織路線を徹底的に貫くことであります。

 そのためには、第1に、革命的指導中核をかため、その自立的役割を高めなければなりません。

 時々刻々と移り変わる情勢の要請に即して、革命闘争を巧みに展開するためには、各地方にその実情に明るく、政治的に鍛えられ、組織力を備えた指導的中核がなければなりません。まして、革命活動が非合法的におこなわれ、各地方の特性に即してほとんど独自に活動をおこなわなければならない状況のもとで、革命的指導中核の必要性は切実なものとなっています。もし、我々が各地方にすぐれた指導的中核を一人ないし二人でももつようになるならば、労働者、農民を教育し結集して、革命の大衆的基盤をきずく活動を成功裏に遂行していくことができるでしょう。

 それゆえ、各地方で階級的自覚が高く、革命的な闘志と組織力をもち、大衆の信望があつく展開力のあるすぐれた人を選抜して、指導的中核をかためなければなりません。

 指導的中核をかためるうえで重要なことは、かれらをマルクス・レーニン主義の革命思想でしっかりと武装させることです。

 指導的中核がマルクス・レーニン主義の革命思想で武装すれば、いかなる困難と逆境のなかにあっても革命のためにあくまでたたかっていくことができ、また労農大衆のなかに入ってかれらと生死苦楽をともにし、かれらを革命思想で武装させ、熱烈な革命闘士に育成していくことができます。指導的中核は、革命の利益のために積極的に活動し、困難で危険な仕事の先頭に立つなど実践的な模範をもって大衆を教育すべきであります。

 革命的指導中核は、これまでの大衆にたいする組織・指導活動にあらわれたすべての左右の偏向を克服し、新しい革命的な組織路線を徹底的に貫徹し、革命勢力を強化する活動に一大転換をもたらさなければなりません。指導的中核は、階級的な自覚が高く闘争意欲の強い人を中核として掌握、育成し、かれらに依拠して大衆にたいする組織・指導活動を活発に展開すべきであります。これまでの闘争で勇敢にたたかった人たち、特に、このたび敵の検挙、投獄とむごい拷問にも屈せず、組織の秘密を守りぬいた人たちで中核をかためなければなりません。

 これとともに、革命の実践のなかで点検された青年共産主義者によって共青の隊列を拡大強化することは、朝鮮革命運動の発展にとって特に重要な意義をもちます。いま、東満州の広範な朝鮮農民大衆のうち、反日革命の熱意が高い自覚した積極分子の大部分は青年であり、事実上、青年のなかから選抜されたすぐれた分子からなる共青組織が農村を革命的に開拓し革命化しています。共青組織の活動を正しくおこなえば、今後党組織をつくる基礎をさらに立派にきずきあげることもできます。

 したがって、共青組織を拡大強化する活動に第一義的な注意を払い、進取の気性に富み、革命的で理解力の早い、すぐれた青年を共青に広く受け入れるべきであります。特に、このたび敵の野蛮な弾圧のもとでも屈することなく合法的可能性を正しく利用して、自己に課された任務を立派に実行した反帝同盟、農民協会、婦女会内の青年積極分子を共青組織に吸収すべきであります。

 第2に、破壊された大衆団体を再建、整備し、広範な大衆を教育し結集して、革命の大衆的基盤を強化しなければなりません。

 広範な大衆の積極的な支持と参加なしに、少数の共産主義者だけで革命を遂行することはできません。大衆を革命闘争に引き入れて確固とした政治勢力に変えるためには、かれらを革命意識で武装させ、広く大衆団体に結集し、組織化しなければなりません。したがってこんにち、大衆団体を速やかに再建し、さらに拡大強化し、その役割を高めることは広範な反日大衆を教育し結集し、革命の大衆的基盤を強化するうえで極めて重要な意義をもちます。

 いま敵の大々的な検挙によって、大衆団体が破壊され大衆は萎縮しています。このような状況のもとで、大衆にたいする政治活動を積極的に展開して、低下した大衆の士気をもりあげ、かれらを広く革命組織に結集しなければなりません。

 大衆団体を再建整備し、拡大強化するために、まず各地域にすぐれた指導的中核を派遣すべきであります。指導的中核は、各地方の労働者、貧農のなかですぐれた中核を調査、掌握し、かれらに依拠して破壊された農民協会、反帝同盟、婦女会、児童団を再建し、その隊列を拡大しなければなりません。

 これとともに、まだ組織が形成されていない未組織地帯にも、すぐれた指導的中核を広く派遣して、農民協会、反帝同盟、革命互済会、婦女会、児童団など各種の反日大衆団体を組織しなければなりません。

 こうして、農民は雇農、貧農を中心に農民協会に、かつて独立軍、民族主義運動に参加した人のうち民族意識の強い人は反帝同盟に、我々に好意的で中立を守る人と革命のシンパ、老人たちは革命互済会に、婦女子は婦女会に、子供たちは共産主義児童団に結集し、すべての反日大衆が革命組織の一員となるようにすべきであります。また、大衆団体の生活を通じて組織的に鍛えられ、戦闘的意志の強い、勇敢な青壮年たちで半軍事組織である赤衛隊を組織して、敵の侵害から革命組織と革命大衆を防衛させるべきであり、革命武力をととのえるために、赤衛隊員にたえず軍事知識を習得させなければなりません。

 第3に、革命勢力をかためるためには、大衆を組織に結束するだけでなく、かれらを闘争のなかで鍛えることが重要であります。革命実践を通じてのみ、革命の中核が育ち、革命勢力が戦闘的に鍛えられるものです。しかし、5.30暴動のような無謀な極左冒険主義的暴動へ大衆をかりたててはなりません。敵味方の力関係にたいする正しい検討と、科学的な戦略・戦術にもとづく革命闘争によってはじめて、革命情勢を成熟させることができ、革命の指導的中核を育成し、広範な大衆を組織的、革命的に鍛えることができるのであります。

 闘争戦術で堅持すべき原則は、闘争を小規模の闘争からしだいに大規模な闘争へ、経済闘争からしだいに政治闘争へと発展させ、合法闘争と半合法および非合法闘争を巧みに結びつけていくことであります。

 革命組織の秘密を厳守し、活動のうえで高度の革命的警戒心を堅持し、敵の弾圧と破壊・謀略策動から組織を死守し、革命的大衆を保護しなければなりません。

 こんにち、日本帝国主義侵略者は、共産主義思想の影響のもとに強まっていく朝鮮人民の反日革命勢力を圧殺しようと血眼になっています。かれらは、我々の隊列に手先をもぐりこませており、安逸に流れ警戒心のゆるんだすきに乗じて組織の秘密をかぎだそうと策動しています。敵は、陰険かつ狡猾であります。一人、二人の些細な安逸と警戒心のゆるみから秘密がもれるようなことにでもなれば、革命活動に重大な禍いをもたらしかねません。

 組織の秘密は革命家の生命であり、組織の秘密を守ることは革命家にとって第一の義務です。我々は、敵の野蛮な弾圧のもとで大衆を教育し覚醒させて革命組織に結集し、組織をたえず拡大して革命の大衆的基盤をきずきあげる困難な闘争を展開しているだけに、常に高度の警戒心と規律を堅持し、柔軟性にとむ活動をおこなって、秘密がもれないようにすべきであります。特に、共青員をはじめ革命組織の成員は、敵の懐柔と欺瞞にまどわされず、威嚇、恐喝に屈することなく、革命組織の秘密を命をかけて守らなければなりません。

 第4に、日本帝国主義侵略者の民族離間策を暴露し、朝中人民間の戦闘的友好と革命的団結を強めるために最大の努力を払わなければなりません。

 いま日本帝国主義者は、極左冒険主義的5.30暴動によって引き起こされた朝中人民間の不和と反目を極力助長しながら常套的な民族離間政策を実施しており、朝中人民の反日勢力を分裂、対立させることによって、その侵略的野望を容易に実現しようと企んでいます。

 我々は朝中労農大衆のあいだで、5.30暴動の極左冒険主義的な弊害と国民党反動軍閥の極悪非道な虐殺行為を暴露、糾弾し、朝中人民間に一時的に引き起こされたあつれきをつとめて助長している日本帝国主義の陰険な民族離間策動を徹底的に暴露すべきであります。特に、朝中労農大衆に、誰が真の友であり、誰が敵であるかをはっきり理解させることにより、かれらが朝中人民の共通の敵、日本帝国主義者とその手先に反対するたたかいでかたく団結するようにしなければなりません。

 こんにち、革命勢力にたいする敵の白色テロがいちだんと激しくなり、少なからぬ大衆がまだめざめていない状況のもとで、我々の活動は多くの難関と障害に直面するでありましょう。しかし我々は、日本帝国主義植民地支配者の圧制から祖国と民族を救いだそうという一念をもって、すべての難関と障害と危険を乗り越え、新しい組織路線を貫くために全力をつくさなければなりません。

 我々は革命的な組織路線を徹底的に貫いて、短時日のうちに東満州と、さらには国内の全地域で革命を高揚させ、反日民族解放闘争を組織的な武装闘争へ発展させる強固な基礎をきずきあげていかなければなりません。

出典:「金日成著作集」1巻


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