『金日成主席革命活動史』

偉大な領袖金日成同志は永遠に我々とともにおられる
 

 


 朝鮮人民が、数千年の歴史において初めて迎え、高く戴いた偉大な領袖金日成主席は、1994年7月8日2時、82歳を一期に、精神的過労による急病で惜しくも逝去された。

 主席の逝去は、5000年にわたる朝鮮民族史上初めて味わった最も大きな悲しみであり、取り返すことのできない最も大きな喪失であった。

 金正日総書記は、次のように述べている。

 「80余星霜、常に人民のなかにあって朝鮮人民を勝利の道に導いてきた金日成同志を失ったことは、5000年にわたる我が民族史上初めて味わった最も大きな悲しみであり、何をもってしても取り返すことのできない最大の喪失でした」(『偉大なる領袖金日成同志の逝去にたいし、深甚なる哀悼の意をあらわしてくれたすべての人民に』1994年10月28日)

 主席の逝去は、朝鮮人民にとって、実に太陽が消滅し、地球が割れ、天が崩れ落ちたような大きな衝撃であった。

 主席は、ありとあらゆる辛苦をなめつくし、ひたすら人民の自由と幸福のために終生、一瞬たりとも休むことなく精力的に活動し、執務室で急逝されたため、人民はことのほか胸を痛めた。

 7月9日昼の12時、重大放送で金日成主席が逝去されたという青天の霹靂のような悲報が伝えられると、全国、全世界は悲しみに包まれた。

 すべての朝鮮人民は、最も大きな悲しみを抱いて主席を限りなく追慕した。

 7000万の全民族は、心の底からこみ上がる悲痛な思いを抑え切れず、胸をたたいて嗚咽した。

 全国の人民と人民軍の将兵、青年学生は、言い知れぬ悲しみに暮れた。

 人民は、誰もが喪主となって夜を日に継いで主席の霊枢と銅像、現地指導標示碑、事績碑、主席の画像の前で夜とぎを務め、最も深い哀悼の意を表し、限りなく追慕した。全国は、慟哭の海、涙の海と化し、山川草木も悲しみにうち沈んだ。

 哀悼期間(7月8日〜20日)だけでも延べ2億1200万人以上の各階層の人民と人民軍将兵が金日成主席を追慕して弔意を表した。7月19日、革命の首都平壌では、10余里の沿道に立ち並んだ200万市民の哭声が天地に響くなか、告別式が厳かに挙行された。同日、全国の各道、市、郡と朝鮮人民軍、朝鮮人民警備隊の各部隊で追悼式がおこなわれ、7月20日には、金日成広場で中央追悼大会が厳かに執りおこなわれた。

 海外同胞は、民族の父を失った喪失の痛みを抱き、祖国人民と悲しみをともにした。彼らは、総聯と海外同胞組織が設けた弔意式場を訪ねて涙を流し、数多くの同胞が祖国を訪れて主席の霊前と銅像に花輪と花束をささげた。

 統一愛国人士をはじめ、南朝鮮の各階層の人民も、南朝鮮当局によるファッショ的な弾圧のなかにあっても主席の逝去に深い哀悼の意を表した。

 主席逝去の悲報に接し、全世界が悲しみに暮れて深甚なる哀悼の意を表した。

 哀悼期間、世界166か国の国家・政府首班と政党指導者、社会団体、チュチェ思想研究組織、朝鮮人民との友好・連帯組織、各界の人士が3480余の弔電を寄せた。主席を追慕し、60余人の党および国家元首と170余人の政党指導者、そして、世界各国の2000余人の代表が自国駐在の朝鮮民主主義人民共和国代表部を訪ねて弔意を表した。国連事務総長は、国連駐在の朝鮮民主主義人民共和国代表部を訪ねて弔意を表し、クリントン米大統領は、主席逝去の重大報道が発表された3時間後に弔意声明を発表した。7月2日におこなわれた国連安全保障理事会では、議長の提議により、会議開催の前に金日成主席を追悼して黙祷し、国連総会議長スポークスマンの声明を発表し、国連本部に弔旗を掲げた。

 哀悼期間、世界120余か国の700余の出版・報道各社が主席を追慕して特集を発刊し、200余の通信社、テレビ、放送各社が延べ2200余回にわたり特別番組で主席の業績を紹介した。

 すべての朝鮮人民と人類が最も敬虔な気持ちで主席を追悼した日々は、朝鮮人民がいかに偉大な領袖を戴き、いかに大きな領袖の福運に恵まれていたかを痛切に感じさせた日々であった。

 主席は逝去されたが、朝鮮人民と民族、全人類の心のなかにチュチェの太陽として生き続けている。

 金正日総書記は、次のように述べている。

 「金日成同志の心臓の鼓動はやみましたが、金日成同志は、今日も朝鮮人民とともにあります。金日成同志は、領袖、党、大衆の渾然一体の最高頭脳として、民族の太陽として生き続けています」

 主席は、人民大衆の自主偉業の遂行に打ち立てた不滅の業績によって生き続けている。

 領袖の永生は、領袖のなし遂げた業績の偉大さによって裏付けられる。

 主席は、不滅のチュチェ思想を創始し、人類の自主偉業遂行の明るい道を示した。主席が、精力的な思想・理論活動によって時代と革命、人民大衆の志向と要求を反映して創始したチュチェ思想は、その絶対的な真理性と不滅の生命力により、20世紀だけでなく人類の未来を代表する永遠な革命の指導思想となっている。

 主席が1926年10月、打倒帝国主義同盟の綱領を作成した日から1994年7月まで、ほぼ70年もの間に執筆した古典的著作はおよそ1万800余件に達し、世界108か国の出版社で63の民族語で翻訳、出版された。

 主席は、長い間、非凡な指導力をもって革命と建設を指導する過程で、最も貴くかつ豊かで永遠の生命力をもつ世紀の指導業績を打ち立てた。

 主席は、一世代で米日の両帝国主義を打ち破り、植民地民族解放戦争の新しい時代、反帝反米闘争の新たな高揚の時代を開いた。

 そして、2つの社会革命である反帝反封建民主主義革命と社会主義革命を立派に遂行し、自主、自立、自衛の社会主義強国を打ち立て、人民大衆中心の朝鮮式社会主義を固守した。

 また、全社会を領袖、党、大衆が一心団結したむつまじい革命的な大家庭に育て上げ、その不抜の力によって革命と建設で絶えず高揚を起こした。

 主席は、革命偉業を継承し達成するための指導の継承問題を完璧に解決し、時代と人類にたいし卓抜な業績を打ち立てた。

 主席は、民族の大団結によって祖国統一を実現する強固な土台を築き、祖国統一の前途に明るい展望を開いた。

 主席は、解放直後から生涯の終わりまで人民軍部隊と人民経済各部門をはじめ、全国2万600余か所を現地指導し、その日数は8650余日、その道程の総距離は57万8000余キロに達する。

 主席は、世界革命を自主の軌道に乗せ、全世界を自主化する歴史的進軍の道を切り開いた。

 主席は解放後、54回、685日間にわたって延べ87か国を訪問し、その路程は52万2460余キロに達する。

 主席が、列車で国内と世界各国を訪問した道程を合わせると36万8000キロに及ぶ。解放直後から生涯の最後の時期まで136か国の国家元首および政府首班、党首400余人をはじめ,延べ7万余人の外国の客人に会って活動をおこなった。

 主席は、人民にたいする熱い愛と崇高な信義をもち、仁徳政治、幅の広い政治によってこの地に人民の地上の楽園、人間愛の大花園を開いた。

 主席は、朝鮮革命と世界の自主化偉業の遂行に打ち立てた不滅の業績により、朝鮮民主主義人民共和国大元帥称号と共和国英雄称号(3回)、労働英雄称号を受け、70余の国と国際機構から180余の最高位の勲章とメダル、30余の都市の名誉市民称号、20余の有名な大学の名誉教授および名誉博士の称号を受けた。そして、169か国の党首、国家元首および政府首班と進歩的人民、海外同胞と南朝鮮人民から祝意のこもった16万5920余点、朝鮮人民から56万9000余点の贈物を受けた。中国に主席の銅像が建立され、世界的に「国際金日成賞」が制定、授与されており、世界の100余か国480余の街と機関、団体に主席の尊名が冠されている。

 世界の多くの国と進歩的人士は、主席の逝去後も引き続き数多くの贈物を寄せており、勲章とメダル、名誉称号を授与している。

 主席は、卓出した偉人としての品格と打ち立てた不滅の業績により、人類解放の救いの星として今日も明日も永遠に朝鮮人民と世界の進歩的人民とともにある。

 主席は、チュチェ革命偉業の継承者である金正日総書記の崇高な革命的徳義心によって生き続けている。

 主席の永生は、主席の偉業にかぎりなく忠実な後継者によって最も崇高な高さで確固と保証される。

 金正日総書記は、主席の切り開いた革命偉業を継承し達成しようという朝鮮労働党と軍隊と人民の信念と意志を込めて、「偉大な領袖金日成同志は永遠に我々とともにおられる」「偉大な領袖金日成同志を千年万年高く戴こう!」「偉大な領袖金日成同志の革命思想でしっかり武装しよう!」というスローガンを提示した。

 これは、朝鮮労働党と軍隊、人民が代を継いで永遠に高く掲げていくべき革命的スローガン、闘争の旗印である。

 金正日総書記は、このスローガンを実現させるため、錦繍山(クムスサン)議事堂を記念宮殿として厳かなものに整え、主席が生前の姿でおられるようにした。

 錦繍山議事堂は、朝鮮人民が真心を込めて主席に贈ったものであり、主席が長年にわたり朝鮮革命と人類の自主偉業を導いた歴史ある家であった。

 金正日総書記は、主席が生前執務していた錦繍山議事堂を錦繍山記念宮殿として最高水準のものに整え、主席を生前の姿のまま丁重に安置するようにした。

 記念宮殿を訪ねる外国の客人は、世界には聖地が多いが、錦繍山記念宮殿のように人類の心と心が一緒になって大河のように流れる聖地はない、と感嘆してやまない。

 金正日総書記は、主席の革命的生涯と不滅の業績を末永く輝かせていくようにするため、1912年を元年とするチュチェ年号を制定し、主席が誕生した民族最大の祝日である4月15日を太陽節に定めるようにした。そして、金日成憲法を新たに制定し、金日成同志を朝鮮民主主義人民共和国の永遠なる主席として法文化するようにした。

 金正日総書記はこのように、崇高な徳義をもって領袖永生の大業を立派に実現し、金日成主席が永遠に朝鮮人民とともにあり、主席の思想と革命業績が代を継いで光を放つようにした。

 20世紀を輝かせた金日成主席の思想と業績は、金正日総書記の先軍指導によって世紀を継いで全面的に継承されており、主席の崇高な志と念願が立派に実現される金日成朝鮮、金日成民族の富強・繁栄のなかで金日成主席の革命活動史は引き続き流れている。





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