『金日成主席革命活動史』

第6節 社会主義運動を再建し、
自由で平和な新しい世界を建設するための活動
 

 1990年代、帝国主義者と反動派は、多くの国で社会主義が挫折したことから、あたかもそれが「社会主義の終焉」を意味するかのように宣伝し、人民の心から社会主義を永遠に抜き去ろうと策動した。社会主義の背信者たちは、社会主義の理念そのものが誤っているとし、彼らの背信行為を弁護した。一方、アメリカをはじめ帝国主義者は、社会主義の砦である朝鮮に矛先を向け、社会主義が挫折した国々での社会主義の再生を妨げ、新しい社会の建設に入った国々が社会主義の道を歩めないようにしようと策動した。

 世界革命発展の切実な要請を深く洞察した金日成主席は、社会主義運動を再建し、社会主義偉業を前進させるため精力的に活動した。

 主席は、1991年7月上旬のポルトガル共産党代表団への談話と、翌年4月の「『ワシントン・タイムズ』記者団の質問に対する回答」をはじめ一連の著作で、社会主義運動を再建し、社会主義偉業を前進させるための原則的問題を明らかにした。

 金日成主席は、社会主義が挫折した原因について次のように述べている。

 「一部の国で社会主義が挫折した原因はいろいろありましょうが、その根本的原因は、それらの国が社会主義の基本原則を守らなかったことにあります」(「『ワシントン・タイムズ』記者団の質問にたいする回答」1992年4月12日)

 主席は、社会主義建設で堅持すべき基本原則は自主性であると強調した。

 国によって実情が異なり、風習や伝統も異なるため、社会主義建設はみずからの方式で、自国人民の志向と要求に即しておこなわなければならない。東欧諸国で社会主義が崩壊した重要な原因の一つは、事大主義と教条主義に陥ってむやみに他国のやり方を模倣したことにある。

 主席は、社会主義建設で必ず堅持すべき基本原則はまた、人民大衆が国家と社会の主人の地位を占め、主人としての役割を果たすようにさせることであると指摘した。

 人民大衆が、国家と社会の主人の地位を占め、主人としての役割を果たすようにさせるには、人民大衆を社会主義思想で教育し、社会主義的集団として統一・団結させ、党の指導のもとに大衆路線を貫徹し、国家管理において社会主義的民主主義を全面的に発揚しなければならない。こうしなければ、主観主義と官僚主義が増長して、人民大衆が国家と社会の主人としての役割を果たすことはできず、社会主義はその優越性を発揮できなくなる。東欧諸国で社会主義が挫折した原因の一つは、まさに指導において幹部たちの官僚主義が甚だしくなり、人民大衆と離脱したことにある。

 主席は特に、多くの国で社会主義が崩壊したのは、社会主義偉業の遂行において指導の継承の問題を正しく解決できなかったためであると指摘した。

 主席は、社会主義偉業は、数世代にわたって遂行する長期的な偉業であるため、革命の代がかわるときに革命と建設に対する指導が正しく継承されなければ、社会主義偉業は紆余曲折を経て、失敗を免れることができないと述べた。

 主席は、社会主義運動を再建するためには、革命家が敗北主義に陥ってはならず、社会主義の勝利にたいしてかたい信念をもつべきであるとし、歴史が前進する過程には一時的な挫折や紆余曲折はあり得るが、人類が、自主の道、社会主義の道を進むのはたがえることのできない法則であるとしたうえで、社会主義偉業にたいするかたい信念をもち、歴史の進路を切り開いていかなければならないと強調した。

 主席は、平壌宣言の旗のもとに社会主義運動を再建し、前進させていくよう導いた。

 社会主義再建運動を力強く前進させるためには、社会主義を志向する革命的人民のたたかいにおいて指針となる共同の闘争綱領が必要であった。これは、社会主義をめざしてたたかう革命家と世界の進歩的人民の共通の志向であり要求でもあった。

 1992年4月、平壌を訪れた各国の共産党と労働者党、進歩的政党の代表は、朝鮮式社会主義の実相を目の当たりにし、チュチェ思想を具現した人民大衆中心の社会主義は人類が志向する真の社会であり、朝鮮式に社会主義を建設してこそ勝利することができるということをいっそう確信するようになった。彼らは、2国間および多国間会談を開いて社会主義偉業を固守し前進させていくための方法を十分に討議し、チュチェ思想を指針として社会主義を再建するための共同の闘争綱領を発表することを誰もが提起した。

 そうして、1992年4月20日、平壌では社会主義再建の大憲章である平壌宣言『社会主義偉業を擁護し前進させよう』が採択、発表された。

 平壌宣言の基本思想は、社会主義運動を再建し、社会主義の原則を守るために断固たたかおうというものであった。

 平壌宣言には、社会主義は人類の未来を代表する理想の社会であり、社会主義偉業はその真理性と正当性によって必ず勝利すると指摘されている。そして、社会主義偉業を擁護し前進させるためには、各国の党が、自主性を確固と堅持し、みずからの力を強固にし、いかなる環境にあっても革命的原則をすてず、社会主義の旗を高く掲げて進み、社会主義をめざすたたかいにおいて国際的団結を強めなければならないと強調されている。そして、全世界の進歩的政党と人民に、社会主義偉業に対する確たる信念をもち、人類の未来を切り開くためにあくまでたたかうことを呼びかけている。

 世界の革命的党と人民はひとしく、平壌宣言を「社会主義再建運動と国際共産主義運動の再生を告げる偉大な共産党宣言」であるとし、絶対的な支持と共感を表した。

 平壌宣言が採択された当初、これに署名した党は70であったが、その数は毎年増え、1994年7月には215に達した。

 主席は、社会主義を再建し社会主義偉業を前進させるうえで、朝鮮が社会主義の堡塁としての先駆的役割を立派に果たすよう導いた。

 主席は、我が共和国が社会主義偉業の遂行における出色な地位に即して、政治、経済、文化をはじめ、社会主義建設の各分野において立派な模範となり、革命と建設で達成した輝かしい成果と貴重な経験を通じて、社会主義の再生をめざすたたかいへと世界の進歩的人民を力強く鼓舞激励するようにした。

 そして、朝鮮を訪れる各国の党と政府の代表団と政界、社会各界、言論界の人士に会い、社会主義偉業に限りなく忠実な金正日同志の偉大さについて述べるとともに、幹部たちが金正日同志の対外的権威を高めることに重点をおいて対外活動をおこなうよう導いた。
主席は、世界各国の党と人民が社会主義の道を進むよう積極的に鼓舞激励した。

 1992年から1994年6月までの間だけでも、キューバ、ベトナム、スウェーデン、ドイツ、カナダなど世界各国の党代表団をはじめ、数多くの代表団と個別人士に会う一方、党代表団をはじめ多くの代表団と特使を各国に派遣し、社会主義をめざす進歩的人民のたたかいを誠心誠意、支援するようにした。

 主席は、帝国主義者の支配主義的策動を粉砕し、自由、平和の新しい世界の建設と世界の平和愛好人民の反戦、反核、平和運動の強化のため精力的に活動した。

 主席は、1991年4月未に平壌で開かれた列国議会同盟第85回総会開幕会議でおこなった演説『自由、平和の新しい世界のために』で、自由、平和の新しい世界を建設することを人類共通の課題とし、その実現のための課題を示した。

 主席は、平和を守るためには、すべての国と民族が自主性を堅持し、力の政策に反対し、侵略と戦争を防ぐ国際的な共同闘争を力強く展開しなければならないと述べた。また、軍縮を実現し、核兵器をはじめ、大量破壊兵器を撤廃することは、現在、平和を保障するうえで最も緊切な問題となっているとし、核兵器の実験と製造の禁止、現有核兵器の縮減と全廃、非核地帯・平和地帯の設置、平和運動に対する積極的な支持と人民の団結と協力を強化するよう強調した。

 主席は、朝鮮を訪れる数多くの国家元首と各国の党および政府代表団に接見する一方、多くの国際会議に代表団を派遣して、反戦、反核、平和運動のための対外活動を積極的におこなうようにした。

 1992年1月、ネパールで開かれた信頼構築にかんするアジア・太平洋地域の軍縮会議と3月に中国で開かれたアジア・太平洋地域の軍縮および安全にかんする会議、8月に日本で開かれた原水爆禁止世界大会に代表団を派遣して、アジア・太平洋地域における核兵器の縮減および拡散防止と信頼の構築、朝鮮半島の非核化のために積極的に活動させ、アメリカ帝国主義の核騒ぎと日本の核武装化策動を暴露、糾弾するうえで大きな役割を果たすようにした。

 一方、アメリカ帝国主義とその追随勢力が共和国に対する狂気しみた核騒ぎを起こし、「特別査察」と「制裁」を強いている状況に対処して、高圧強硬の姿勢でアメリカ帝国主義の傲慢な鼻柱をへし折ることで、世界の進歩的人民の反戦、反核、平和運動を大いに鼓舞激励した。

 主席は、アジア地域で自主化をめざすたたかいを強めていくことに大きな力を注いだ。

 自主、平和、繁栄の新しいアジアを建設することは、アジアの安全と共同の繁栄をなし遂げ、世界の平和偉業に寄与するための重要な要求であった。

 主席は、1991年4月、「『毎日新聞』編集局長の質問にたいする回答」をはじめ一連の著作で、自主、繁栄の新しいアジア建設にかんする原則的な問題を明らかにした。

 主席は、アジアの主人はアジア人であり、新しいアジアの建設においてアジア諸国の人民は主人としての責任と役割を果たさなければならないと指摘した。また、アジア諸国の人民は、アジア問題の解決において帝国主義者の専横と干渉をこれ以上許してはならず、自主的立場を堅持し、思想と体制、信教の違いを越えて互いに緊密に協力し、この地域の侵略的軍事基地を撤廃し、外国軍隊を撤退させなければならないと強調した。

 主席は新しいアジア建設の構想を実現するため、この地域の国々との政治的・経済的・文化的連係と協力関係を拡大、発展させることに深い関心を払い、1991年1月から2月にかけての朝鮮民主主義人民共和国政府代表団のタイ、インドネシア、マレーシア訪問を契機に、こうした国々との友好・協力関係を拡大、発展させていくようにした。

 主席は、朝・日関係を両国人民の念願と志向に合わせて改善し、東北アジア地域の平和と安全に寄与するようにした。

 そうして1990年9月、平壌で朝鮮労働党と自由民主党、日本社会党による3党会談が開かれ、会談の結果、朝・日関係の改善とアジアの平和を図るための3党共同宣言が発表された。

 主席は、非同盟運動を引き続き強化、発展させることに大きな関心を払った。

 1990年代に至り、非同盟運動は冷戦の終息によって新たな挑戦に直面するようになった。アメリカ帝国主義は、国際舞台での冷戦構造の崩壊と力の均衡の破壊を奇貨として、反帝・自主、反戦・平和、独立と進歩をめざしてたたかってきたこの運動の根本理念と性格を抹殺しようと策動した。また、国際情勢の変化と関連して、一部の人は非同盟運動はみずからの存在の有効性を失ったと考えたり、この運動の活動方向を政治問題から経済問題に変えるべきだという誤った主張を持ち出した。

 主席は、1992年9月初め、インドネシアの『メディア・インドネシア』新聞社責任主筆の質問に対する回答で、非同盟運動の進む道を明らかにした。

 金日成主席は、次のように述べている。

 「帝国主義支配勢力が存在し、非同盟運動の理念が実現されていない状況のもとで、非同盟運動は存続すべきであり、さらに強化、発展させなければなりません」(「インドネシアの『メディア・インドネシア』新聞社責任主筆の質問にたいする回答」1992年9月1日)

 主席は、この運動の統一・団結を実現し、帝国主義、支配主義、植民地主義、人種主義に反対し、共同の戦略をもって国連をはじめ、国際舞台で歩調を合わせるべきだと指摘した。そして、非同盟諸国は、政治、経済、文化の各分野にわたって緊密に協力し合い、古い国際秩序を打ち壊し、公正な新国際秩序を確立し、集団的自力更生の原則にもとづいて南南協力を拡大発展させるため積極的に努力すべきであると強調した。

 主席は、非同盟運動の強化、発展のため、非同盟諸国の国家元首や代表団を我が国に招請して、この運動で提起される戦略戦術上の問題を示し、非同盟諸国首脳会議をはじめ、重要な会議に特使や代表を派遣して、我が国が非同盟運動を強化し発展させるうえで重要な役割を果たすようにした。

 そして、非同盟諸国の広報活動にも深い関心を払い、1993年6月中旬、我が国で第4回非同盟諸国広報相会議を催すようにし、この会議が自主化された新しい世界を建設するための共同の偉業に寄与する重要な国際的な会合になるようにした。

 主席はこのように、社会主義再建運動と非同盟運動、反戦・平和運動に不滅の貢献をした。





inserted by FC2 system