『金日成主席革命活動史』

第5節 全民族の大団結による祖国統一の
画期的な局面を開くための活動
 

 民族の団結をなし遂げて祖国統一の偉業を成就しようとする全同胞の熱望は、1990年代に至ってかつてなく高まった。

 金日成主席は、全民族の統一念願を胸に抱き、統一された祖国を同胞にゆずり渡すため、全民族の団結をなし遂げることに心血を注いだ。

 主席は、祖国統一の途上に横たわる障害と難関を克服し、統一問題の解決に根本的な転換をもたらすためには、祖国統一の偉業を名実ともに全民族的な偉業にする決定的な救国対策を立てる必要があると考えた。

 この時期、南朝鮮の支配層は、アメリカ帝国主義の反共和国騒ぎに便乗して、「吸収統一」「自由民主主義体制下での統一」を唱え、祖国の統一を実現するための朝鮮人民の闘争を必死になって阻んだ。

 主席は新たな情勢に対処し、1990年5月下旬に開かれた最高人民会議第9期第1回会議で、祖国統一偉業を全民族的偉業にするための対策として、祖国統一のための5つの方針を提示した。

 5つの方針は第1に、朝鮮半島の緊張を緩和して、平和的環境をつくりだす、第2に、分断の障壁を打ち壊し、北南間の自由往来と全面開放を実現する、第3に、北と南が祖国の自主的平和統一に有利な国際的環境をつくりだす原則に立って対外関係を発展させる、第4に、祖国統一のための対話を進展させる、第5に、全民族的な統一戦線を結成することであった。

 主席は、1991年8月1日に発表した著作『わが民族の大団結をなし遂げよう』をはじめ一連の著作で、祖国統一の歴史的偉業を実現するうえで重要なのは、1にも2にも3にも朝鮮民族の大団結をなし遂げることであるとし、それを実現するための課題と方法を示した。

 主席は、民族の大団結を実現するため、北と南、海外の各階層の同胞が、思想と体制、信教の違いを越えて民族共通の利益を優先させ、祖国統一の偉業にすべてを服従させ、北と南、海外同胞の間の接触と往来を頻繁におこない、対話を積極的に進展させ、全民族的な連帯を強化して、祖国の統一をめざしてたたかう北と南、海外のすべての政党、団体と組織、各階層同胞の組織的な連合を実現することについて説いた。

 主席は、民族大団結の旗のもとに全民族を一つの政治的勢力に結束するための活動を指導した。

 汎民族大会を開いて、北と南、海外の三者連帯を実現し、汎民族的な統一運動組織を設ける活動を積極的に進めるようにした。

 全民族が大きな期待と関心を寄せるなか、1990年8月、祖国解放45周年を契機に祖宗の山−白頭山の頂で祖国統一のための汎民族大会の開幕と白頭−漢拏大行進発向式がおこなわれ、次いで8月15日には、板門店で祖国の平和と統一のための第1回汎民族大会が盛大に開催された。

 8月中旬、汎民族大会の代表に会った主席は、祖国を統一するには、北と南、海外のどこにいようと、全同胞が統一運動に立ち上がるべきであり、各階層の全同胞が、思想と理念、政見と信教の違いを越え、民族大団結の原則で一つにかたく団結しなければならないと強調した。

 歴史的な8.15汎民族大会を契機に、一つの民族としての英知を示す統一行事が相次いでおこなわれた。第11回アジア競技大会に参加した北南の選手に対する共同応援、「統一サッカー競技」、汎民族統一音楽会と「90送年統一伝統音楽会」が成功裏に開催され、北南単一チームが第41回世界卓球選手権大会と第6回ワールドユースサッカー選手権大会に参加し、北南の女性が接触し、北南の大学生代表が学術踏査交換に関する実務接触をおこなった。

 北と南、海外の統一・愛国勢力からなる連合体を組織するという汎民族大会での決議にもとづき、1990年11月に祖国統一汎民族連合(汎民連)が結成された。汎民連は、自主、平和統一、民族大団結の3大原則にもとづいて祖国統一を実現することを使命とし、北と南、海外同胞の共通の意思を代弁する愛国的な統一運動組織であった。次いで、1992年8月には、祖国統一汎民族青年学生連合(汎青学連)が結成された。汎民連と汎青学連の結成は、祖国統一の主体的勢力を強化し、統一運動を拡大、発展させるうえで画期的な意義をもつ出来事であった。

 汎民連の結成後、北と南、海外の統一愛国勢力は、毎年8.15を契機に平壌や板門店、ソウル、東京に集まって北と南、海外が共同で、または地域別に汎民族大会を開き、全民族的な規模で統一の熱気を高めていった。

 主席は1992年8月、第3回汎民族大会に参加した海外同胞への談話で、民族自主の原則を堅持し全民族の団結を実現するため、北と南、海外同胞間の対話と全民族的な会議をたびたび開催することを発案した。

 主席は、北南間の軍事的対決状態を解消し、平和を保障するための実際的な対策を講じるため、北南高位級会談を催すようにした。

 北南高位級会談は8回の板門店予備会談を経て、ついに1990年9月に開催された。

 会談でわが方は、不可侵問題をはじめ、軍事的対決状態を実際に解消するための提案を示し、誠意ある努力を尽くした。しかし、南朝鮮側は不当な口実を設けて問題の討議を人為的に難しくする一方、アメリカと「チーム・スピリット」合同軍事演習を繰り広げ、ようやく催された北南高位級会談を中断させ、国連への単独加入を執拗に追求した。

 主席は、祖国統一のための主動的な措置として、共和国が先に国連に加盟するようにした。そうして、1991年9月の国連総会第46回会議で参加国すべての賛同により、朝鮮民主主義人民共和国は国連加盟国となった。

 南朝鮮側は再び会談の場にあらわれ、10カ月間も中断されていた北南高位級会談が再開した。1991年12月の第5回北南高位級会談では、「北南間の和解と不可侵および協力・交流にかんする合意書」が採択され、次いで核問題を協議するための3回にわたる北南代表の接触を経て「朝鮮半島の非核化にかんする共同宣言」が採択された。合意書と共同宣言は、1992年に平壌で開かれた第6回北南高位級会談でその発効が全世界に公表された。

 主席は1992年2月20日、北南高位級会談双方の代表団に会い、北南合意書と非核化共同宣言を成功裏に実現するために提起される基本的問題を明らかにした。そして、発効した合意文書は、北と南の責任ある当局が民族に対し誓った誓約であるため、北と南の当局者が、自主、平和統一、民族大団結の原則に確固と立ち、具体的な実践によって信頼を積み重ねるならば、統一は必ず成就できると確信していると述べた。(『北南高位級会談の双方代表団メンバーとの談話』)

 
 信念と意志の化身−李仁模に会う金日成主席と金正日総書記(1993年7月)

 主席は、接触と対話を通じて民族の団結と統一の気運を高揚させる一方、南朝鮮にいる非転向長期囚たちの送還を実現させるため最善をつくした。

 そうして1993年3月、非転向長期囚である信念と意志の化身−李仁模(リインモ)がついに社会主義祖国の懐に抱かれた。

 李仁模の送還は、統一愛国勢力の歴史的な勝利であり、民族的団結と統一をめざす北と南、海外同胞のたたかいを大いに鼓舞激励した。

 主席は、全民族大団結10大綱領の旗のもとに祖国統一の画期的な局面を開くための活動を力強く繰り広げるよう導いた。

 接触と対話を通じて緊張緩和に向かっていた朝鮮半島の情勢は、1993年に入り、内外の分裂主義勢力の悪辣な反共和国策動によって再び戦争の瀬戸際へと追いやられた。

 朝鮮民族には、同族同士が対決し大国の餌食となって核戦争の惨禍を被るか、それとも全民族が団結して民族の尊厳を守り、祖国統一の道を開いていくかという深刻な問題が提起された。

 緊迫した情勢を深く洞察した主席は、民族の大団結をなし遂げるための活動を新たな高い段階で推し進めるため、1993年4月、『祖国統一のための全民族大団結10大綱領』を作成し、最高人民会議第9期第5回会議で討議、採択するようにした。

 主席は綱領で、祖国の自主的平和統一を実現するため、全民族が大団結しなければならないと指摘した。

 金日成主席は、次のように述べている。

 「民族の運命を憂える人であれば、北と南、海外を問わず、共産主義者と民族主義者、無産者と有産者、無神論者と有神論者であるかを問わず、あらゆる違いを超越してまず一つの民族として団結し、祖国統一の道をともに切り開いていくべきである」(『祖国統一のための全民族大団結10大綱領』 1993年4月6日)

 主席は綱領で、自主、平和、中立の汎民族統一国家の創建を民族大団結の総体的目標として示し、民族愛と民族自主精神を団結の理念的基礎とし、共存、共栄、共利を図り、祖国統一偉業にすべてを服従させることを団結の基本原則として規定した。また、一切の政争を中止して、北と南が互いに信頼し団結する、主義主張に関係なく祖国統一の道でともに手を取り合う、個人または団体所有のすべての財貨を保護して民族の大団結を図るのに利用する、接触、往来、対話を通じて全民族が互いに理解し信頼し団結する、祖国統一をめざす道で、北と南、海外の全民族が相互の連帯を強める、民族の大団結と祖国統一の偉業に貢献した人を高く評価するなど、民族の大団結のための具体的な方法を全面的に提示した。

 主席は、10大綱領の旗のもとに祖国統一の画期的な局面を開くため精力的に活動する一方、北南最高位級会談の実現のために最善をつくした。

 主席は、「文民」の看板を掲げた南朝鮮の新しい執権者が、いかなる同盟国も民族に勝るものではないとして、「頂上会談」開催の意向を表明したことに留意し、1993年5月、北南最高位級の特使交換を発起し、その実現のための措置を講じた。そうして、同年10月から北南最高位級の特使交換のための実務代表の接触が8回にわたっておこなわれた。

 主席は、南朝鮮の支配層は特使交換の実現を悪辣に妨げたが、半世紀にわたる民族分裂の悲劇の歴史に終止符をうち、何としても祖国統一の扉を開こうと南朝鮮の当局者を協議に応じさせた。

 こうして、1994年6月、板門店で北南最高位級会談のための予備接触がおこなわれ、7月25日から27日にかけて平壌で北南最高位級会談を開催する合意書が採択された。

 主席は会談を控えて、数十回もの懇篤な言葉と10余件の親筆教示をくだした。7月6日には、金正日同志と北南最高位級会談について具体的に話し合い、翌日には真夜中まで民族の大団結と統一の大経綸をおこなう歴史的な文書に目を通し、「金日成 1994・7・7」という親筆を残した。この歴史的な文書は、金日成主席の祖国統一の遺訓となった。





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