『金日成主席革命活動史』

第4節 変化した環境と革命発展の要請に即して社会主義経済建設を力強く推進
 

 1990年代、朝鮮での社会主義経済建設は大きな難関と障害に際会した。ソ連と東欧諸国での社会主義の挫折と、世界社会主義市場の崩壊によって、これらの国々と結ばれていた長期および短期貿易協定は有名無実となり、経済協力と貿易取引は停滞した。一方、アメリカと帝国主義反動派は、社会主義の旗を高く掲げて進む朝鮮民主主義人民共和国を何としても孤立・圧殺しようと、政治的、軍事的に圧力を加え、経済制裁と封鎖の度を強めた。

 金日成主席は、環境の変化に対処して社会主義経済建設を力強く推し進めるためのたたかいを導いた。

 1990年1月上旬に朝鮮労働党中央委員会第6期第17回総会を開き、国の経済的自立性をより強める方向で経済構造をさらに完備し、変化した環境に即して対外経済関係を転換する措置を講じた。

 そして、増産と節約運動を強力に展開して、社会主義建設でいま一度革命的大高揚を起こさなければならないと強調した。

 主席は、1956年12月の総会を契機に増産と節約運動によって社会主義建設でチョンリマ大高揚の端緒を開いたように、自力更生の革命精神を強く発揮して社会主義建設で革命的大高揚を起こすよう呼びかけ、その具体的な課題と方法を示した。そして、人民経済のすべての部門、すべての単位で増産と節約運動を強力に展開し、思想、技術、文化の3大革命路線を引き続き堅持しなければならないと指摘した。また、自力更生、刻苦奮闘の革命精神をもって朝鮮式の社会主義建設を進め、すべての党員と勤労者を「90年代の速度」を創造するたたかいに奮起させるべきであると強調した。

 主席は、社会主義建設で革命的大高揚を起こし、第3次7か年計画を遂行するためのたたかいを導いた。

 1990年2月下旬に開かれた全国生産革新者大会で、「増産、節約で、すでに築かれた経済的土台が実効を上げるようにしよう!」「我々の方式で生きよう!」というスローガンのもとに「90年代の速度」を創造し、人民あげての社会主義大進軍運動をいっそう加速するよう全人民を奮い立たせた。そして、同年4月に開かれた全国青年熱誠者大会をはじめ、部門別の大会と会議で、すべての党員と勤労者を新たな大進軍運動へと力強く奮い立たせた。

 こうして朝鮮人民は、社会主義偉業の正当性と勝利の信念に燃え、新たな革命的大高揚を起こすための「90年代の速度」創造運動に立ち上がったのである。

 主席は、人民大衆の高揚した熱意に即して経済組織活動を綿密におこなうようにした。特に政務院が国の経済司令部としての役割を高めることに大きな意義を付与し、1990年5月に開かれた中央人民委員会第9期第1回会議、政務院第9期第1回全員会議と1992年12月に開かれた中央人民委員会・政務院合同会議で、政務院は国家の経済活動全般を適切に案配し、各経済機関の活動を監督、統制しなければならないと指摘した。そして、社会主義経済で重要な問題は、農業実績を上げ、工業部門の生産を正常化し、対外経済関係を発展させ、基本建設を活発に進める課題を実行することであると述べた。

 主席は、社会主義経済の本質に即して、経済指導管理を朝鮮式におこなうことに深い関心を払った。1990年4月の経済学者との談話で、党の示したチュチェの社会主義経済管理原則と方法を引き続き貫徹し、テアンの事業体系にもとづいて計画化、契約による原料・資材の供給、生産の手配と指揮を改善する問題、朝鮮式に連合企業所を管理し、独立採算制と社会主義的労働報酬制を完成し、社会主義農業指導システムを引き続き強化、発展させ、分組管理制を強化し、農業を企業式の方法で管理し、大農場制の方向へと進めなければならないと指摘した。1990年6月に開かれた中央人民委員会第9期第2回会議では、社会主義の農村問題を解決するためには党の農村テーゼを貫徹すること以外に他の道はあり得ないとし、確固たる信念をもって農村テーゼが示した道に引き続き力強く進まなければならないと強調した。

 主席は、第3次7か年計画の主要生産目標を達成するためのたたかいを繰り広げ、特に穀物の生産目標達成に大きな力を入れた。

 早くから「米はすなわち社会主義である」というスローガンを示し、農業第一主義の方針貫徹へと全党、全人民を導いてきた主席は、帝国主義者による経済封鎖がその極に達した1990年代の前半においても、農業は天下の大本であるとし、農業を立派に営むことを第一の課題とした。

 主席は耕地の地力を高めることに大きな意義を付与し、1990年11月末と12月初におこなわれた中央人民委員会第9期第3回会議で、全党、全人民、全軍を総動員して客土(土入れ)運動を力強く繰り広げるようにした。そして、客土の方法と段階別の目標、その遂行方法まで具体的に示した。

 主席は、興南(フンナム)肥料連合企業所の設備を、大型化、近代化して肥料生産を高めるため、1991年7月中旬に咸鏡南道の経済部門責任幹部協議会を開き、興南肥料連合企業所の設備を大型化、近代化しなければ食の問題を解決することはできないと指摘し、これに全力を集中するよう幹部と労働者を奮い立たせた。そして、長らく咸鏡南道と咸鏡北道に留まり、
ほとんど毎日、あるときは日に何度も興南肥料連合企業所拡張工事の進行状況について報告を受けると、必要な対策を講じ、工事を期限前に完成させるよう精力的に指導した。

 1991年11月末、拡張された興南肥料連合企業所を訪れた主席は、大型化、近代化された設備を一つ一つ見て回り、翌日には操業式に参加して労働革新者と記念写真を撮り、工事に参加した労働者と科学者、技術者のために盛大な宴会を催した。

 主席は1993年初めから、再び農業部門の活動を重点に精力的に指導した。

 3月2日から13日までの12日間にわたり、農業部門責任幹部の協議会と各道農業部門活動家の協議会を多忙な日程に組み入れ、連日会議を指導した。

 主席が農業部門の活動を指導しながら特に関心を払ったのは、穀倉地帯である黄海南道延白(ヨンペク)が原の農業であった。国の農業生産において大きな役割を担っている延白が原の農業に大きな意義を付与した主席は、北部地区への現地指導での疲れを解くいとまもなく、1993年8月30日、夜行列車で翌日の明け方に白川(ペクチョン)駅に着いた。そして、朝露も乾かぬ早朝から照りつける真夏の日差しのなか、一瞬の休息もとらず、白川郡、延安(ヨンアン)郡、青丹(チョンダン)郡内の5つの農場を次々と訪れて作柄を確かめ、農作業について話し合い、現地で農業部門活動家の協議会を開いて黄海南道の農業を新たな高い段階へと引き上げるための指針となる綱領的な教示を与えた。

 朝鮮労働党中央委員会政治局は、高齢でありながら人民のために献身の道を歩み続ける主席に、少しでも休息をとるようにと勧めた。

 すると主席は、昔から「臣労君逸」いう言葉がある、これは、臣下が熱心に働けば君主が楽をするという意味であるが、私は人民の臣下で、人民は我々の君主である、だから私たちが仕事に励んでこそ人民が安楽に暮らすことができると言って、休息など考えもしなかった。

 外国のある政治家は、昔から臣下は働いて君主は休むという意味の「臣労君逸」という言葉があるが、朝鮮ではまさしく正反対だ、偉大な金日成主席は休まず、下の幹部は必ず休むので、朝鮮では「臣労君逸」を「君労臣逸」に改めるべきではないか、と感動をこめて述べた。

 主席の献身的な姿にひかれて、朝鮮労働党と朝鮮人民は第3次7か年計画を立派に遂行した。そうして、チュチェ工業の威力はさらに強まり、農業の水利化、機械化、化学化も大きな前進を遂げた。平壌市の統一通りをはじめ、都市と農村に近代的な住宅が数多く建設され、平壌市にトロリーバス、地下鉄など近代的な旅客輸送手段が立派に整った。万景台−松新(ソンシン)間の路面電車の第1段階工事が完成し、主席の生誕80周年に際して紋繍(ムンス)−土城(トソン)間の3里区間に路面電車が開通した。平壌市をはじめ、都市の公害はなくなり、公園や遊園地、公共サービス施設も立派に整った。

 主席は、変化する環境と発展する現実の要請に沿って革命的な経済戦略を打ち出し、その貫徹のためのたたかいを力強く推し進めた。

 主席は1993年12月上旬の朝鮮労働党中央委員会第6期第21回総会で、以後3年間を調整期間とし、この間に農業第一主義、軽工業第一主義、貿易第一主義を進め、人民経済の先行部門である石炭工業と電力工業、鉄道輸送を確固として優先させ、金属工業を引き続き発展させるという革命的な経済戦略を提示した。

 革命的な経済戦略の基本的目標は、2〜3年の問に農業と軽工業、貿易の発展に力を集中して人民の生活上の問題を解決し、人民経済の先行部門を優先させることですべての部門で生産を正常化し、既存の経済的基盤の威力を十分に発揮させることであった。

 主席は1994年の『新年の辞』で、党の革命的経済戦略を貫徹するためすべての幹部と党員、勤労者が「自力更生、刻苦奮闘の革命精神で、社会主義総進軍を力強く推し進めよう!」という戦闘的スローガンを高く掲げ、チョンリマに「90年代の速度」をプラスした勢いで継続革新、継続前進しなければならないと強調した。そして、同年4月上旬に開かれた最高人民会議第9期第7回会議で、社会主義経済建設の調整期間の課題を立派に遂行するための問題を討議、決定するようにするなど、革命的経済戦略の貫徹において必要な対策を具体的に講じた。

 主席は、党の革命的経済戦略にもとづき、農業と軽工業、対外貿易に新たな転換をもたらし、人民経済の先行部門である石炭工業と電力工業、鉄道輸送を優先させ、金属工業を発展させるよう導いた。

 主席は農業第一主義の方針を貫徹するため、1994年1月の農業部門活動家の協議会で、穀倉地帯である黄海南道延白地区と戴寧(チェリョン)地区、甕津(オンジン)地区の農業を盛り立てるための対策を講じ、2月には全国農業大会に『社会主義農村テーゼの旗のもと、農村問題の最終的解決のために』と題する書簡を送った。

 主席は書簡で、思想革命と文化革命をさらに深化、発展させて、農民の思想・意識水準と技術・文化水準を労働者階級の水準に確固と引き上げる問題、農村技術革命の成果を強化し発展させて農業の工業化、近代化を高い水準で実現し、チュチェ農法を立派に貫徹して農業生産を絶えず高める問題、農村への支援をいっそう強化する問題、経済管理水準における工業と農業の格差をなくし、農村で協同的所有を漸次、全人民的所有に移す事業を立派に遂行する問題などを強調した。

 そして、同年4月に全国畜産部門熱誠者会議を招集し、6月19日と21日には温泉(オンチョン)郡金塘(クムダン)協同農場と大城(テソン)区域のある協同農場を現地指導し、農業生産を増やすための対策を講じた。

 主席は軽工業第一主義の方針を貫徹するため、軽工業革命を推し進めて一般消費物資の生産を増やし、その質を高めるための運動を力強く繰り広げるようにした。

 軽工業部門の工場を整備、補強して近代化し、化学繊維と合成樹脂など軽工業原料の生産を強化するための積極的な対策を講じて軽工業部門のすべての工場をフル稼働させ、生産を高い水準で正常化するとともに、栽培原料基地と天然原料基地を強固に築いて、地方工業の発展に新たな転換がもたらされるようにした。

 主席は貿易第一主義の方針を貫徹するため、変化した環境に即して対外市場を積極的に開拓し、対外経済交流を拡大、発展させるとともに、輸出品生産基地を整備して輸出品の生産を増やし、その質を高めるようにした。そして、社会主義的原則に沿って羅津(ラジン)−先鋒(ソンボン)経済貿易地帯を開発するようにした。

 また石炭工業、電力工業を発展させるため、既存の生産土台を有効に利用し、生産能力を拡張して石炭と電力の生産を大幅に増やすようにした。

 鉄道輸送の物質的・技術的土台を強化し、輸送の手配と指揮を綿密におこなうようにする一方、鉄道の重量化を実現して増大する人民経済の輸送需要を満たすとともに、金属工業の発展に引き続き大きな力を入れて鉄鋼材の生産を増やすようにした。

 主席は革命的経済戦略を立派に貫徹するため、1994年7月5日と6日、経済部門の責任幹部協議会を開き、社会主義経済建設に新たな革命的転換をもたらすための課題と方法を示した。

 金日成主席は、次のように述べている。

 「帝国主義者と反動派の反共和国策動と我が国に対する圧殺・制裁策動を粉砕して、人民大衆中心の朝鮮式社会主義をさらに輝かし、社会主義の旗を引き続き高く掲げて進むためには、党の革命的経済戦略を貫いて社会主義経済建設で新たな高揚を起こさなければなりません」(『社会主義経済建設に新たな革命的転換をもたらすために』 1994年7月6日)

 主席は、党の革命的な経済戦略を貫くうえで重要なのは、電力問題を速やかに解決し、化学肥料とビナロン、セメントの生産を正常化させるとともに、金属工業を発展させて鋼鉄生産を伸ばし、大型貨物船を多く建造することであると指摘し、部門別の主要課題を示した。

 そして、社会主義経済建設に転換をもたらすためには、幹部の責任感と役割を高めなければならないと指摘した。

 主席は、経済部門の幹部がみずからの本分を深く自覚し、経済活動における懸案を解決するため力を尽くし、知恵と精力を注いで取り組むならば、不可能なことはないと述べた。そして、幹部は、人民を教師とし、人民大衆から学ばなければならない、チュチェ思想の要求どおり、常に人民のなかに入って苦楽をともにし、人民の利益を擁護するために進んで努力しなければならない、と強調した。

 経済部門の責任幹部協議会での主席の教えは、革命的経済戦略をあくまで貫徹し、国の経済を帝国主義者のいかなる経済封鎖にもびくともしない主体性の強い自立的民族経済に発展させる経済建設の綱領であり、朝鮮労働党と人民が社会主義経済建設において堅持すべき指導的指針となった。





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