『金日成主席革命活動史』

第6節 人民の物質・文化生活を向上させるために
 

 金日成主席は社会主義経済建設を推進する一方、人民の生活を向上させることに大きな関心を払った。

 主席は、人民の生活を絶えず向上させることを朝鮮労働党の活動の最高原則とし、社会主義建設の進捗にともなって日増しに高まる人民の要請に即して食衣住問題の円滑な解決に大きな力を注いだ。

 まず、人民生活の問題を解決するうえで基本となる食の問題を解決するため、農業の発展に力を入れた。

 主席は、1981年10月の朝鮮労働党中央委員会第6期第4回総会と1982年12月の朝鮮労働党中央委員会政治局会議など一連の会議で、穀物生産を画期的に増やすための課題と方法を示し、江西(カンソ)郡青山(チョンサン)協同農場、价川(ケチョン)市宝富(ポブ)協同農場、穏城郡王在山(ワンジェサンサン)協同農場など各協同農場を訪れて、農業を発展させ農業生産を増やすための対策を講じた。

 また、農業への国の投資を増やし、農村技術革命を推し進めるようにする一方、海面干拓と土地開墾運動を強力に展開して耕地面積を大幅に増やし、農作物の育種と栽培方法をより科学化して穀物生産を絶えず増大させるようにした。

 同時に、畜産業、果樹栽培業を発展させ、野菜栽培、特に、温室での野菜栽培に力を入れて、人民の食生活に転換をもたらすようにした。

 主席は水産業を発展させ、漁獲高を増やすよう導いた。

 主席は1980年12月初め、朝鮮労働党中央委員会政治局拡大会議で、冬期の漁獲と加工に力を入れる課題を示し、政治局委員と候補委員を東海地区の水産事業所に派遣する一方、みずから新浦水産事業所をはじめ、咸鏡南道内の各水産事業所を現地指導し、漁獲と加工に革命的転換をもたらすための綱領的な課題を示した。そして、1982年2月中旬の朝鮮労働党中央委員会政治局拡大会議をはじめ一連の会議で、漁獲と加工、浅海養殖など水産業を発展させるための課題と具体的な対策を示した。

 主席は、近代的な漁船の建造を増やし、水産業の物質的・技術的土台を強固にし、科学的な漁労方法を大いに導入して、より多くの魚を捕るよう指導した。そして、水産物の加工基地を大幅に増設し、加工を画期的に改善して、美味で栄養価のある魚類加工品を人民に十分供給するようにした。また、経済的効果が高く将来性のある浅海養殖を大いに発展させ、各種の海藻類と貝類を生産して供給するようにした。

 主席は、軽工業を発展させるという党の方針を貫徹して一般消費財にたいする人民の需要を満たすよう導いた。また、人民の衣料問題を解決するため織物の生産に深い関心を払った主席は、ビナロン工場、モビロン工場、オーロン工場の建設を発起し、全党、全国が総がかりで建設を力強く推し進めるようにした結果、ビナロンとモビロン、オーロンをはじめ、各種化学繊維の生産基地が強固に築かれ、織物の生産が増えるようになった。

 主席は、一般消費財の生産を増やすことに大きな関心を払った。

 主席は、品物を一つ生産するにしても先に見本をつくり、それを手本にして大量生産に入るようにした。

 主席は1988年8月、一般消費財の見本図案集を見て、一般消費財は基本的品目を増やすことを原則に生産を増やさなければならないと述べた。そして、執務室で図案集に1ページ1ページ目を通して完成させ、すべての部門、すべての単位の工場、企業がそれぞれの実情に即して生活必需品職場と作業班を幅広く組織し、一般消費財を多く生産するようにした。

 また、金正日同志の発起による大衆的な「8.3大衆消費財」生産運動が強力に展開され、小間物・日用雑貨をはじめ、各種の一般消費財の生産が急速に増大した。

 党の軽工業革命方針を実行するためのたたかいを通じて、数多くの近代的な軽工業工場が建設され、既存設備の技術改造が積極的に推進されて、軽工業の生産的・技術的土台はさらに強固になった。

 主席は、住宅と文化施設を多く建設して、人民のためにより文化的な生活条件をととのえるようにした。

 まず、平壌市をはじめ、大都市に近代的な住宅街を形成し、農村文化住宅を大々的に建設して人民の住宅問題を円滑に解決するようにした。

 そのために、祥原(サンウォン)セメント連合企業所とシリカリチート・レンガ工場をはじめ、大規模な近代的な建材生産基地を建設するようにした。そして、都市と農村の特性に合った模範住宅を建て、それをモデルとして人民の生活風習と嗜好にかなった文化的な住宅を大衆的運動で建設するようにした。

 こうして、平壌市には、蒼光(チャンガン)通り、紋繍(ムンス)通り、安商宅(アンサンテク)通り、光復(クァンボク)通りなど近代的な通りが建設され、人民の住宅問題の解決に一大転換がもたらされるようになった。そして、地方の都市と農村でもシリカリチート・レンガ住宅をはじめ、近代的な住宅が大々的に建設され、都市ばかりでなく里の農村住宅でもセントラルヒーティング化、ガス化が積極的に推進された。

 主席は、文化施設を数多く建設して人民のためにより文化的な生活条件をととのえ、商品供給、公共給食、公共サービスにたいする人民の需要を充足させるようにした。

 主席は、首都平壌市に、人民大学習堂、万景台学生少年宮殿、メーデー・スタジアムなど数多くの文化・スポーツ施設と蒼光院をはじめ、公共サービス施設を万年大計の記念碑的建造物として立派に建設するようにした。そして、道都をはじめ、地方都市はもちろん、山間部の郡にも蒼光院式の公共サービス施設を建設し、すべての人民が文化的な生活を享受できるようにした。

 また、商品が人民に等しく供給されるよう供給体系を正しく立て、公共給食と便益サービス活動を一段と改善して、高まる人民の物質的・文化的需要を充足させることに労苦と心血を注いだ。

 主席は、国家が実施している高い形態の各種の人民的施策を固守し、さらに発展させていくようにした。

 1980年代の中ごろ、一部の幹部は、勤労者の生産意欲を高めるためには、給料と賞金、奨励金といった経済的テコを利用して物質的刺激を強めるべきだ、国情が厳しく国の負担が重いから食糧供給制を廃止し、食糧販売制を実施すべきだ、といった意見を提起した。

 こうした時期、主席は、社会主義の旗をさらに高く掲げて、朝鮮労働党の人民的施策をあくまで固守し発展させていくよう導いた。

 1985年10月下旬、政務院の責任幹部への談話『共産主義的施策をさらに発展させるために』で、人民的施策を固守し、さらに発展させるうえで堅持すべき原則と方途を明らかにした。

 主席は、さる祖国解放戦争(朝鮮戦争)の烈火の中でも実施してきた食糧供給制をはじめ、最も優れた人民的施策をいまになって廃止しようとしてはならず、さらに発展させていかなければならないと述べた。

 そして、立派な制度を打ち立て地上の楽園を築いておいたのに、いまになって、それを崩そうとしてはならないとし、物質的刺激を強めるからといって、他の国の真似をして月謝や治療費を取り、税制を復活させ、食糧を市場価格で販売するような制度をつくつては社会主義を成功裏に建設することはできないと指摘した。つづけて、我々はどうすれば、誰もがひとしく豊かに暮らせるこの立派な制度を固守し、さらに強化、発展させることができるかという一念で積極的にたたかうべきであると強調した。

 主席は、各種の人民的施策を引き続き実施し、人民のための社会的施策費を系統的に増やしていくよう導いた。

 主席は、国家が農民から高い価格で買い上げた食糧を労働者、事務員に廉価で供給し、無料義務教育制と無料治療制が円滑に実施されるようにした。

 主席は、人民的な社会保険制と社会保障制、有給休暇制と静・休養制、女性勤労者の産休制などの人民的な施策を確実に実施して、党の配慮が人民によりよく行き渡るようにした。そして、人民のための社会的施策費を増やすようにする一方、1985年10月4日には協同農民にも社会保障制の恩恵が施されるようにし、国家の資金で住宅を建設して農民に無償で提供するようにした。

 こうして、朝鮮人民は、誰もが食衣住の心配だけでなく、子女を学校にやる心配、治療を受ける心配もなく、幸せな生活を思う存分享受できるようになり、社会主義制度の優越性はさらに高く発揚されるようになった。





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