『金日成主席革命活動史』

第7節 農業生産の新たな高揚と
農村問題の完全な解決をめざして


 金日成主席は、社会主義建設をおし進める一方、農業生産の急速な増大と農村問題の完全な解決に大きな関心を払った。これらは、1970年代の緊切な課題であった。

 当時、共和国北半部では、工業全般が急速な発展を遂げ、人口が毎年増加していたうえに、社会主義の完全勝利を早めることが当面の重要な革命課題として提起されていた。こうした状況のもとで、農業生産において新たな高揚をもたらし農村問題の完全な解決をはからなければ、急増する工業原料および食糧の需要を円滑にみたすことができず、したがって、社会主義の完全な勝利を早めることも不可能であった。特に、世界が異常気象の影響を受け、多くの国が「農業危機」「食糧危機」にあえぎ、また、社会主義諸国で社会主義農村問題の解決をめぐって左右の偏向が露呈し、社会主義・共産主義建設に大きな障害をもたらしていた事情が、問題をさらに先鋭化していた。

 主席は、農業生産の発展と農村問題の完全な解決をはかって心をくだいた。主席は、1972年末から翌年初頭にかけて、平安南北道と平壌市、黄海南北道など各道の農村と農業関係企業所を現地指導して、営農の実態や農業機械、肥料などの生産状況を調べ、農業生産を発展させる方途を探究した。それにもとづいて、1973年1月の党中央委員会政治委員会をはじめ一連の会議で、農業生産で一大高揚をもたらす革命的な方針を提起した。

 主席はこれらの会議で、農業生産を社会主義経済建設の主要戦線の一つとして位置づけ、農業第一主義方針をうちだし、その具体的な遂行方途を示した。すなわち、農業生産の高揚をもたらすためには、思想革命を強化して農業部門の幹部と農民が主人らしい態度をもって働き、農村技術革命に拍車をかけ、農村への援助を強化して農業の物質的・技術的基盤をかため、また、農業科学の発展に力を入れて農業経営の科学的・技術的水準を高め、自然改造事業を促進して農業生産に有利な条件をととのえるべきであると指摘した。この方針は、全党と全国が農業生産に力を集中し、農村の古い思想と後れた農法、停滞を一掃し、農業生産を急速に発展させる正しい措置であった。

 主席は、農業生産で一大高揚をもたらすため直接農業経営の総指揮にあたった。そしてまず、農業生産増大の基本的問題を思想の問題としてとらえ、農業部門の幹部と農民のなかで思想教育と思想闘争を強くくりひろげた。

 金日成主席は、次のように述べている。

 「(略)わが党は、これまで幹部のあいだで官僚主義と主観主義に反対してねばり強くたたかってきたし、特に今年は、農業部門から官僚主義と主観主義を一掃するたたかいを強力にくりひろげました」(『農業生産で新たな高揚を起こそう』1973年8月9日)

 当時、農業生産がのび悩んだ主な原因は、この部門の幹部と農民が達成した成果に安住して、党の農業政策の貫徹に努力しないことにあった。幹部のあいだに官僚主義、主観主義、形式主義、経験主義などがはびこり、農民のあいだにも革命の主人としての態度に欠け、安閑として暮らす傾向が見られた。したがって、思想革命を強化して幹部と農民の思想観点と活動態度、活動方法を改めなければ、農業生産をのばすことは不可能であった。

 主席はこうした状況にてらして、かれらが革命の主人、社会主義農村の主人としての自覚をもって、仕事を着実に、きちょうめんにおこなうよう思想教育を強化した。これとならんで、幹部の官僚主義と主観主義を一掃し、農民のなまけ癖をなくす思想闘争をくりひろげ、特に、農村に派遣された3大革命グループが、幹部と農民の思想教育と思想闘争に重点をおいて、活動をおし進めるようにした。

 農村における思想革命が活発に進められた結果、幹部も農民もチュチェ思想で武装し、安逸に流れる傾向を克服して、社会と集団のために主人らしく誠実に働く気風を身につけるようになった。これは、農業生産の高揚をもたらす裏付けとなった。

 主席は農村技術革命を促進し、農村にたいする援助を強めて、農業の物質的・技術的基盤を強化することに力を傾けた。まず、大規模な近代的金星(クムソン)トラクター工場の建設に拍車をかけ、小型トラクター工場と自動車工場を拡張して、トラクター、自動車、田植え機など近代的農業機械を大量に農村に供給した。また、肥料工場をフルに稼働させ、各地に燐肥料および微量要素肥料生産工場・職場をつくり、大規模の硝安肥料工場を新設して、各種の肥料や除草剤、殺虫剤などの農薬を農村に大量に供給した。これと合わせて多くの農業技術者と専門家を養成して農村に派遣し、毎年、全国、全人民、全軍を農村支援に動員した。

 こうして、農業の物質的・技術的基盤は著しく強化された。1979年に耕地100ヘクタール当たりトラクターは平野部で7台、中間地帯と山間部で6台に達し、田畑ヘクタール当たりの化学肥料施用量は1.5トン、化学的方法で草取りをした水田は水田総面積の97%に達した。農業部門の技術者と専門家の数も急増し、協同農場の各作業班を技師または技手が技術的に指導しうるまでになった。

 主席は農業生産で一大転換をもたらすため、特に科学的農法の導入に大きな力を入れた。

 金日成主席は、次のように述べている。

 「私は1973年から農業を直接担当して指導し、随時協同農場へ出向いて農民の意見を聞き、外国の多くの先進営農法も研究しました。その過程で朝鮮の実情に合った農法をつくりあげたのでした」

 科学的な営農は、農業生産増大の大きな要因である。それは異常気象の影響が大きく、また、かなり多くの農業部門の幹部と農民が、科学的な営農法を軽視し、古い経験にとらわれていた状況にあって、特に緊切な問題となっていた。

 主席は、国内農業の実態と世界先進農法の全面的研究、科学的農法原理の探究と作物栽培試験および農村現地指導での豊かな経験、そして、現代農業発展の基本的要求と異常気象の影響の分析などにもとづいて、独創的なチュチェ農法を創始した。チュチェ農法は、朝鮮の気候と風土、作物の生物学的特性にかなった科学的な農法であり、現代的科学・技術にもとづく高度の集約農法である。

 主席は、チュチェ農法を党の不動の営農方針として示し、その貫徹に力を注いだ。そして、主体的な「緑の革命」方針を提起し、農業科学者が、生産性が高く朝鮮の実情に合う優良新品種を大々的に育種するとともに、作物の原種圃場と採種圃場を強化し、種子の統一的な供給体系を確立した。また、適地適作、適期適作の原則を立て、すべての協同農場で株単位農法を全面的に導入するようにした。さらに、朝鮮の気候と風土と作物の生育状態にかなった科学的な施肥体系と方法を立てる措置も講じた。

 主席は、チュチェ農法の確立をはかって全国各地の農村を訪ね、営農準備から育苗、田植え、潅漑、施肥、草取り、風水害の予防、収穫にいたる営農を具体的に指導した。こうして共和国北半部では、世界の農業に破局的な被害をもたらした異常気象の影響を乗り切って、農業生産を高い安全な土台の上にのせることができた。

 主席はまた、農業生産を高度の段階に発展させるため、大自然改造事業に力を入れた。

 主席は1976年10月、党中央委員会第5期第12回総会で、自然改造5大方針を示した。

 金日成主席は、次のように述べている。

 「自然改造5大方針は、第1に進行中の畑潅漑を完成し、第2に段々畑をつくり、第3に耕地整理と土壌改良をおこない、第4に治山治水事業をおこない、第5に干潟地を干拓することであります」(『1000万トンの穀物生産目標を達成するための自然改造事業を力強く展開することについて』1976年10月14日)

 自然改造5大方針は、農業が高度に科学化、集約化された状況にあって、穀物生産の増大をはかる最良の方針であり、チュチェ思想にもとづいて自然を改造する革命的な方針であった。

 主席は大自然改造事業を促進するため、物質的・技術的条件を保障するとともに、直接大規模な段々畑づくりと海面干拓など自然改造事業の現地指導にあたった。こうして、共和国北半部では、短期間に広大な耕地が新たに生まれ、すべての耕地が整理または改良され、畑潅漑が完成した。

 主席は1977年4月、党中央委員会第5期第13回総会で地下水革命方針を提起し、随所に井戸と用水池を掘り、井戸管で水を汲みあげて干害を防ぐ革命的な措置をとった。また、銀波湖をはじめ、多くの貯水池を満水させ、各地に多くの揚水場を建設して潅漑面積を拡張した。その結果、わずか数か月のあいだに数10万ヘクタールの畑をうるおすほどの地下水が確保され、共和国の農業はどのような日照りも克服できるようになった。

 主席の正しい農業政策と正しい指導によって、共和国北半部の農業は新たな高い発展段階を迎えた。農業の水利化と電化がいちだんと高い水準に達し、機械化と化学化がほぼ完成段階を迎え、農業の工業化と現代化が活発に進められた。

 こうして、農業生産が全面的に大きく発展し、ヘクタール当たり収量は、稲が7.2トン、トウモロコシが6.3トンに達し、1979年には穀物生産高が900万トンに到達した。これとともに、畜産物や野菜、たばこなどの工芸作物の生産高も急速にのびた。

 これらの成果によって、社会主義農村問題の完全な解決と社会主義の完全な勝利を促す確実な展望が開かれた。

 主席はまた、農村問題の完全な解決にも大きな関心を払った。

 主席は1974年11月、最高人民会議第5期第4回会議で『農村テーゼの完全な実現のために提起されるいくつかの問題』と題する演説をおこない、農村問題を完全に解決するためには協同的所有を全人民的所有に移行させなければならないと指摘した。

 金日成主席は、次のように述べている。

 「農村において協同的所有の全人民的所有への移行は非常に重大な問題であります。(略)
 協同的所有の全人民的所有への移行は、わが国のすべての協同農民が願っている最高の目標であります」(『農村テーゼの完全な実現のために提起されるいくつかの問題』1974年11月29日)

 農村問題は、労働者階級と農民との階級的差、都市と農村との差が完全になくなるとき最終的に解決される。これらの差の主な要因の一つは、2つの所有の差にある。したがって、協同的所有の全人民的所有への移行は、農村問題を完全に解決する根本的条件の一つとなる。

 主席は、協同的所有の全人民的所有への移行の正しい方法を明らかにし、そのためには、一方では農民の思想意識水準を向上させるとともに、他方では農業生産を高度に機械化しなければならないと指摘した。また、思想的および物質的準備が十分にととのったいくつかの協同農場を全人民的所有に移し、実験段階をへて経験をつんだのち、すべての協同農場を漸次全人民的所有に移行させるべきであるとし、協同農場の共同蓄積を増やし、農場の規模を大きくし、全人民的所有制の基本的単位となる郡を強化し、その役割を高めることが必要であると強調した。

 この著作は、社会主義農村問題の完全な解決を早める具体的な方法を全面的に解明した歴史的文献であり、協同的所有の全人民的所有への移行における朝鮮労働党と朝鮮人民の綱領的指針となった。

 主席は、協同的所有の全人民的所有への移行準備を正しく導いた。

 主席は、モデルケースとして郡単位の全人民的所有制がすでに実施されていた先鋒郡、竜淵(リョンヨン)郡、コワイル郡の指導を強化して、その優位性を発揮させ、全人民的所有への移行の経験を積ませた。また、農村の思想・技術・文化革命をおし進めて農民の思想意識水準を高め、農業生産の機械化を促して全人民的所有制への移行条件を十分にととのえさせた。これとならんで、郡の物質的・技術的基盤を強化し、その役割を高めて、全人民的所有制の基本的単位としての任務を十分に果たせるよう郡づくりに力を入れさせた。

 これらの措置によって、社会主義農村問題の完全な解決の道が開かれ、労働者階級と農民の階級的差、都市と農村の差を速やかになくし社会主義の完全な勝利を促す保障がつくられた。





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