『金日成主席革命活動史』

第10節 社会主義工業化の完成


 金日成主席は党と革命隊列を強化する一方、7か年計画の遂行と社会主義工業化の完成に大きな力を傾けた。

 内外の情勢が厳しく、経済建設と国防建設を並進させなければならない困難な状況のもとで、7か年計画を遂行し社会主義工業化を完成するためには、人民経済のすべての部門で新たな革新と飛躍を起こす必要があった。

 主席は、経済建設と国防建設の並進路線の貫徹と社会主義工業化の完成をめざして、新たな革命的大高揚を起こす積極的な対策を講じた。

 1967年6月咸鏡南道と咸興市を現地指導した主席は、龍城機械工場党委員会拡大会議に参加し、経済建設と国防建設の並進路線を貫き社会主義工業化を完成するためには、緊張した態勢を堅持し、チョンリマ運動がはじまった1957年当時のように革命的大高揚を起こすべきであり、その先頭には労働者階級が立つべきであると強調した。ついで主席は、党中央委員会第4期第16回総会を開き、人民経済の各分野で新たな高揚をもたらすべき戦闘的課題を明らかにした。

 金日成主席は、次のように述べている。

 「経済建設と国防建設を並進させる、この新しい革命的路線を貫くためには、第1に、すべての部門、すべての単位の幹部と勤労者が思想的準備を徹底的におこない、第2には、人民経済のすべての部門で消極性と保守主義、立ち後れと停滞を排撃して強くたたかい、これまでより数倍、数十倍の努力を傾けなければなりません。こうして、社会主義経済建設と国防建設のいずれの分野を問わず、すべての分野でチョンリマの大進軍をつづけ、新たな革命的高揚を起こさなければなりません」(『当面の経済活動において革命的大高揚を起こし、労働行政を改善、強化するために』1967年7月3日)

 主席は、新たな革命的高揚を起こすたたかいは朝鮮革命の勝利をはかる深刻なたたかいであるとし、革命の前進を阻むさまざまな古いもの、停滞したものと強くたたかうよう強調した。

 主席は、このためまず党員と勤労者の思想的鍛練に力を入れ、かれらが党の唯一思想を深く学び、みずからの革命化、労働者階級化に努める一方、経済建設と国防建設の並進路線と社会主義工業化にたいする正しい理解をもってその実現のためにたたかうとともに、前進を妨げる日和見主義、事大主義、資本主義思想など、いっさいの不健全な思想要素や動揺分子、消極分子、保守主義者と断固としてたたかうよう一連の措置をとった。こうして、党員と勤労者の政治的自覚が著しく高まり、消極性、保守主義、技術を神秘視する傾向が克服され、新たな飛躍を生む政治的・思想的準備がととのった。

 主席は、新たな大高揚を起こすため、労働行政の改善に深い関心を払った。そして、労働行政をたんなる実務的な問題とみなしていた一部活動家の誤りをただし、これを労働にたいする共産主義的態度を培う政治活動、対人活動とならせる一方、緊張した労働力問題を解決するカギを技術革命に求めて労働行政の重点をこれにおく措置を講じた。

 また、労働力の合理的な配置、社会主義分配原則の厳守、非生産労働力の削減および生産部門労働力の増加、労働計画化の改善、労働規律の確立などに深い関心を払った。この結果、経済建設と国防建設の並進、特に、戦争の影響による緊張した労働力問題が解決され、労働生産性が向上した。

 主席は、革命的大高揚を促すため、青年の役割を高め、チョンリマ作業班運動をもりあげることに力を入れた。そして、1968年4月全国青年総動員大会を開き、若さにあふれる勇敢な青年が経済建設と国防建設のすべての持ち場で先駆者となるよう強調し、その課題を示した。つづいて、同年5月には第2回全国チョンリマ作業班運動先駆者大会で、チョンリマ作業班運動の中心課題を第1に対人活動の強化、第2に、設備、資材との活動の強化、第3に本(書物)との活動の強化であると規定し、この運動を発展させてチョンリマ工場、チョンリマ協同農場、チョンリマ学校、チョンリマ騎手の隊列を拡大する方途を示した。

 主席の正しい指導によって経済建設と国防建設を並進させ、社会主義工業化を完成するたたかいではめざましい成果が達成された。

 労働者をはじめ、全国の勤労者は、チョンリマを駆る勢いで社会主義経済建設と国防建設のすべての分野で一大革新を起こした。1967年度には、国防建設に大きな力をふり向けながらも、工業総生産額を前年の117%に高め、農業部門でも空前の水害を克服して、前年より16%の穀物を増収した。

 国防建設分野でも飛躍が遂げられ、人民軍が、一騎当千の幹部軍隊、不敗の革命武力に成長し、全人民の武装化、全国の要塞化による全人民的・全国家的防衛体制が確立した。1968年1月、アメリカの武装情報収集艦「プエブロ」号が、朝鮮の領海深く侵入して諜報活動中、朝鮮人民軍海軍にだ補されたとき、アメリカ帝国主義者は「報復」を云々して核空母をはじめ、多くの軍艦や軍用機を我が国の東海岸近くに動員させ、共和国を攻撃しようとした。

 金日成主席は、これに断固たる反撃を加え、次のように述べた。

 「我々は戦争を望まないが、決して戦争を恐れはしません。朝鮮人民と人民軍は、アメリカ帝国主義者の『報復』には報復で、全面戦争には全面戦争でこたえるでありましょう。アメリカ帝国主義者が我々の警告にもかかわらず、情勢を激化させてあくまで戦争の道へ進むならば、今度こそかれらはより大きな惨敗をこうむるであろうことを、十分に覚悟すべきでしょう」(『朝鮮人民軍創建20周年を迎えて』1968年2月8日

 主席の断固とした原則的立場と、主席のまわりに団結した朝鮮人民の不屈の闘志と威力のまえに、アメリカ帝国主義侵略者は膝を屈し、その侵略行為を謝罪せざるをえなかった。かれらは、その後も大型スパイ機「EC121」事件など多くの諜報・破壊活動をはたらいたが、そのたびに朝鮮人民軍と人民の厳しい制裁を受けた。これは、経済建設と国防建設の並進路線の勝利と、社会主義大高揚の成果を示す出来事であった。

 敵の戦争策動が頂点に達した時期にも、主席は、社会主義経済建設と工業化の完成をおし進めた。

 社会主義工業化路線を貫くためには、社会主義経済理論を豊かにし、幹部と党員に社会主義経済発展法則にかんする科学的な知識を与え、経済管理における一部の誤った見解をただす必要があった。特に当時、国際共産主義運動内の日和見主義的見解によって社会主義経済建設に少なくない混乱が生じ、帝国主義者の中傷を許していた事情は、この問題の早急な解決を求めた。

 主席は1969年3月、著作『社会主義経済のいくつかの理論的問題について』を発表して、社会主義・共産主義建設で解決が待たれていた重要な経済問題を独創的に解明した。

 ここではまず、社会主義社会における経済の規模と生産成長率の相互関係が明らかにされた。

 金日成主席は、次のように述べている。

 「社会主義社会は、資本主義社会では想像も及ばないほどの速いテンポで経済をたえまなく発展させる無限の可能性をもっており、社会主義建設が進み、経済的土台が強化されるにつれて、この可能性はますます大きくなります」(『社会主義経済のいくつかの理論的問題について』1969年3月1日)

 社会主義社会では、国内の人的・物的資源を合理的に利用し、生産を計画的に発展させ、技術も急速に高めることができるので、経済の不断の高度成長が可能であり、社会主義建設が進展し、経済的基盤が強化するにともない、この可能性は増大する。特に、人々の革命的熱意が生産力発展の決定的な要因であり、すべての勤労者が創意を発揮して自覚的に働くことに社会主義制度の本質的な優位性があるので、労働者階級の党と国家が思想革命を強め、国家の経済組織者的機能を高めるならば、経済をたえず速いテンポで発展させることができる。

 主席は、つづいて社会主義社会における生産手段の商品的形態と価値法則の利用問題についても、新たな科学的解明を与えた。主席は、社会主義社会では生産手段の国家的所有と協同的所有、消費物資の個人所有、そして、貿易の存在によって商品生産が進められるが、生産手段は、国家的所有と協同的所有間、協同的所有相互間で交換されるか、外国に輸出されるさいは商品となり、国営企業所間で流通されるさいは商品にならないことを明らかにし、生産手段の商品的形態と価値法則の形態的作用にかんする独創的な思想を示した。

 金日成主席は、次のように述べている。

 「(略)機材供給計画と協同生産計画にもとづいて、国営企業所のあいだでやりとりされる生産手段は、商品でなく商品的形態をとるのであり、したがって、ここでは価値法則も商品生産におけるように内容的にではなく、形態的に作用するといった方が正しいでしょう」(同上)

 国営企業所間で交換される生産手段が商品でないにもかかわらず商品的形態をとるのは、国営企業所が、経営上、相対的な独自性をもち、等価補償の原則に立って生産手段を交換するからであり、これは生産力と人々の意識水準がまだ低く、労働が第一義的な生活要求となっていない社会主義社会の過渡的特性に起因している。

 主席は、社会主義社会での生産手段の商品的形態にかんする独創的な理論にもとづき、生産手段の生産と流通分野において商品的形態と価値形態、商業的形態を正しく利用することは、社会的労働の浪費をなくし節約制度を強めて企業所の収益性と国家蓄積を系統的に増大させるうえに一定の意義があるとし、その方向と方途および商品の生産と流通分野において価値法則を正しく適用する原則と方途を明らかにした。

 主席はまた、社会主義社会における農民市場問題とそれをなくす方途を明らかにした。

 ここではまず、農民市場の定義がおこなわれ、社会主義社会でのその存在理由が解明された。

 金日成主席は、次のように述べている。

 「(略)社会主義のもとで協同経営が存在し、個人副業生産がおこなわれている以上、農民市場の存在は避けられないことであり、また、それが残っているからといって決して悪いことはありません」(同上)

 主席は、社会主義社会における農民市場の必要性とその利用原則を明らかにし、農民市場をなくすためには、国を工業化し技術を発展させて人民の求めるすべての消費物資を十分に生産し、協同的所有を全人民的所有に移行させなくてはならないとし、国家が人民の求めるすべての品物を十分に生産、供給できる程度に生産力を発展させ、二つの所有が単一の全人民的所有となるとき、商業は完全な供給制となるということを独創的に明らかにした。

 主席の著作『社会主義経済のいくつかの理論的問題について』は、社会主義経済学の根本的問題と、時代が早急な解決を求めていた社会主義社会の経済的特徴および発展法則を新たに解明して、懸案の社会主義・共産主義経済建設理論を完成した歴史的な著作である。
 これによって朝鮮労働党と人民は、社会主義経済制度の優位性と社会主義社会の過渡的性格に即して経済法則と経済範ちゅうを正しく適用し、特に、生産手段の生産および供給問題を正しく解決して社会主義経済建設を最大限に促進することが可能になった。また、社会主義経済制度を中傷する反動的なブルジョア経済理論と、社会主義経済発展の合法則性をゆがめ、経済が発展しその規模が大きくなれば生産成長率が落ちるとする日和見主義的経済理論に大きな打撃が加えられ、世界の革命的人民には共産主義偉業の勝利の確信を与えた。

 主席は、7か年計画の遂行と社会主義工業化の完成に力を注いだ。

 金日成主席は、次のように述べている。

 「我が党は、すでに5か年計画期間に自立的民族工業の土台がきずかれ、人民経済のあらゆる部門を近代的技術で装備することのできる物質的土台がきずかれたのにもとづいて、7か年計画の期間に多面的に発展し、自己の強固な原料供給地をもち、そして、新しい技術で装備された自立的な近代的工業を創設し、人民経済の全面的な技術改造を実現するたたかいを力強くおし進めました」(『朝鮮労働党第5回大会でおこなった中央委員会の活動報告』1970年11月2日)

 主席は社会主義工業化を完成するため、自立的近代工業の創設に力を注いだ。

 そのためには、なによりも基幹的重工業部門の補強に力を入れながら重工業の大々的な拡張がはかられた。各種発電所の建設と炭鉱、鉱山の大々的な開発によって電力工業と採掘工業の優先的発展が保障され、製鉄・製鋼所の大々的な拡張、西部地区での製鉄所建設、金属工業の生産工程の完備などで自立的鉄鋼業の基盤がかためられると同時に、大型設備工場や精密機械工場の拡充など機械製作工業が強化された。

 また、軽工業を発展させるため、既存軽工業工場の補強、近代的大軽工業工場の新設、中央直轄工場・企業所の生活必需品職場の新設および拡張、地方産業工場の増設などの措置がとられ、また、生産の専門化、協同化および技術装備の現代化が、急速にそして全面的に実現されていった。

 主席は、工業の伸張にともなって急激に増大する輸送問題を解決するために、1968年11月党中央委員会第4期第18回拡大総会で、交通運輸部門の物質的・技術的装備を現代化し、鉄道を大々的に電化するとともに、輸送組織を改善し、列車の通過能力を高める措置を講じた。

 主席は、社会主義工業化を完成するため、全面的な技術改造をおし進めた。人民経済の各部門に大型機械や精密機械その他近代的な機械設備が大々的に供給され、機械工学、電子工学、金属工学など最新科学技術の急速な発達が促された。そして、人民大衆の創意と科学者、技術者および労働者の創造的協力によって大衆的な技術革新運動がもりあがり、全面的な技術改造に即応して技術者養成事業が改善されて技術者、専門家が大量に養成された。また、生産の全面的な機械化、電化、自動化と技術水準の比較的低い中小地方経営工業と農業の技術改造が促進された。

 主席は、社会主義工業化の成果をかためるとともに、7か年計画の完遂に力を注ぎ、1969年12月、党中央委員会第4期第20回拡大総会で、7か年計画のくりあげ完遂を呼びかけた。

 これにこたえて、人民経済の各分野では新たな革新が起きた。降仙製鋼所の労働者が1970年に前年の2倍の生産をあげて新たなチョンリマ速度「降仙速度」を生んだのをはじめ、同年10月現在、工業生産は全国的に前年度の131%に達した。そして、地方の潜在力を引き出してわずか6か月で1760余の地方産業工場が建設され各種の日用品生産が急激に高まった。また、農業部門でも全国の農民が「青山里の人々の仕事ぶり」にならって農産、畜産、果樹栽培、養蚕業の各分野で革新を起こした。主席の正しい指導によって社会主義工業化の歴史的な課題が達成された結果、かつて植民地農業国として近代技術文明の圏外にとり残されていた朝鮮が、近代的工業と発達した農業をもつ社会主義工業強国に発展した。

 19571970年の工業化の全期間にわたって工業が飛躍的に発展し、その姿を一新した。その間、情勢の要請にこたえて国防建設に大きな力をふり向けたにもかかわらず、年平均工業生産成長率は19.1%に達した。1970年度の総生産額は、1956年の11.6倍に高まり、そのうち生産手段の生産は13.3倍、消費財生産は9.3倍に伸びた。こうして、解放前1944年度の生産量をわずか12日間で生産する水準に達した。

 特に、重工業の発展がめざましかった。なかでも、機械製作工業が飛躍を遂げて国内で必要なすべての大型機械や精密機械をはじめ、近代的工場の設備一式も生産するようになった。また、大規模な水力発電所と火力発電所が建設されて総発電能力が著しく増大し、水力一面のかたよりを克服して動力工業が質的に強化された。鉄鋼業も生産工程が完備した強力な工業部門となり、人民経済の発展に必要な各種の金属資材を十分に生産している。こうして重工業は、機械製作工業を軸として基幹的部門が完備し、広く電化、自動化された強力な近代的重工業に発展してその威力が強化された。

 軽工業も近代設備の紡織工業や食品工業、日用品工業などすべての部門を備えて画期的な前進を遂げ、消費物資の内需を自力で十分にまかなっている。

 工業の急速な発展と規模の拡大によって、社会総生産物と国民所得における工業の役割は決定的なものとなった。1956〜1969年に、工業および農業総生産額で工業の比重は34%から74%に高まり、工業および農業部門における国民所得では25%から65%に高まった。人口一人当たりの主要工業製品生産高でも発達した工業国の水準に達し、一部は追い越した。

 農業では、水利化システムと電化の完成とならんで機械化、化学化が急速に進み、1961〜1969年にこの部門のトラクターの台数は3.3倍、トラックは6.4倍に増える一方、畜産業、特に家禽業の強力な物質的・技術的基盤がきずかれた。

 交通部門でも、主要幹線の鉄道の電化が基本的に完了し、自動車や船舶による輸送もさかんになって輸送問題が解決した。

 こうして朝鮮では、資本主義諸国がまる1世紀ないし数世紀をかけた工業化の複雑で困難な課題を、おり重なる障害を克服してわずか14年間で完成した。これは、主席が唯一の正しい主体的な工業化路線を示し、その過程で提起される困難な問題をすべて自力更生の革命精神をもって解決するよう党と人民を導いたたまものである。

 社会主義工業国への発展は、大きな意義のある歴史的な出来事であった。

 金日成主席は、次のように述べている。

 「社会主義工業国への発展、これは我が国における社会主義・共産主義の建設を促進し、朝鮮革命の全国的勝利をかちとるたたかいで歴史的な意義をもつ偉大な出来事であります」(同上)

 社会主義工業化の完成によって、社会主義の強力な物質的・技術的基盤がきずかれ、経済建設と国防建設、人民生活に必要な工業製品と農産物をすべて自力で生産できるようになったばかりでなく、科学、技術、文化を急速に発達させ、勤労者を骨の折れる労働から最終的に解放し、社会主義の完全な勝利を達成する物質的要塞を占領しうる条件がつくられた。また、革命基地がさらに強化され、南朝鮮人民の革命闘争を支援し祖国の統一と繁栄を促す基盤がきずかれた。社会主義工業化の完成はまた、朝鮮人民の創造的威力を世界に示し、共和国の国際的地位を向上させるとともに、世界の革命的人民の反帝闘争と新社会の建設を励まし、社会主義工業化理論の発展と完成に貢献した。





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