『金日成主席革命活動史』

第9節 主体的な党活動理論を提示。
チョンサンリ精神、チョンサンリ方法の創始


 金日成主席は社会主義制度の樹立後、それに対応した主体的な党活動理論の創始に力を注いだ。

 共和国北半部で社会主義制度が確立し、社会主義建設で大高揚が起きていた新たな環境は、党の指導的役割と戦闘的機能を高めることを求めていた。このためには、なによりも党建設思想と党活動理論を発展させなければならなかった。特に、修正主義者と党内の反党分派分子が社会主義制度の樹立後、党の指導的役割と党活動の意義を過小評価し、党活動を行政・実務化することによって党を分裂、弱体化し、革命と建設に重大な難関をつくりだそうと策動していた実情は、この問題の早急な解決を求めた。

 主席は、これらの新たな環境と国際共産主義運動発展の要請を見きわめ『党活動の改善について』『党活動の方法について』など多くの著作のなかで、社会主義下における党活動にかんする原則的問題に理論的解明を与え、党活動の基本について明らかにした。

 金日成主席は、次のように述べている。

 「党活動は対人活動であります」(『朝鮮労働党中央委員会1959年2月総会での結語』1959年2月25日)

 主席は、党活動の基本は対人活動であるとし、幹部と党員、大衆を党のまわりに結集し、党政策の貫徹へと決起させる活動が党活動であると指摘した。人民大衆は革命と建設で決定的な役割を果たし、党は党員と勤労者を革命闘争と建設事業に奮い起こすことを基本的使命とするがゆえに、対人活動に第一義的な関心を払い、それに全力を傾けることが党活動の基本となるのである。

 党活動の基本にかんする主席の理論は、労働者階級の党の活動方向と対象、内容と方法を集約的に解明した古典的定式化である。党活動の基本にかんする問題が正しく解明された結果、党活動にかんする労働者階級の理論を発展させ、党活動の行政化、技術実務化をはかる日和見主義者に決定的な打撃を与え、党活動全般を正しい軌道のうえで目的志向的におし進めることができるようになった。

 主席は、党活動の基本にかんする問題を解明し、それにもとづいて党内活動と行政経済活動の指導において提起される具体的な問題を明らかにした。

 主席は、党内活動で党の質的強化が最も重要であるとし、そのためには、全党が一糸乱れず動くべきであると指摘した。

 金日成主席は、次のように述べている。

 「党の参謀部である党中央委員会の指示と決定に従い、全党が一心同体となって動かなければなりません」(『咸鏡北道党組織の任務』1959年3月23日)

 全党が一つの思想、領袖の思想で武装し、その命令と指示に従って一糸乱れず動くようにするのは、党を質的に強化する根本的な保障である。特に社会主義制度の樹立後、全社会の政治的・思想的統一の強化問題が前面に提起され、すべてを全一的に指導する要求が高まれば、これはさらに緊切な問題となる。

 主席は党を質的に強化するためにはまた、幹部との活動、党員との活動、大衆との活動を正しくおこなわなければならないと指摘した。そして、幹部との活動を正しくおこなうためには、幹部事業を対人活動に切りかえ、党に忠実で有能な活動家を適材適所に登用し、いったん配置したのちには仕事で成果をあげるよう常に援助すべきであり、党員との活動を正しくおこなうためには、党員のなかに入って党生活と思想生活、党性鍛練にたいする指導を綿密におこない、すべての党員が政治生命を重んじ、革命任務を立派に遂行するようにすべきであると指摘した。そして、大衆との活動を正しくおこなうのは、党を強化し、革命の成功を期する重要な要因であるとし、党を支持するすべての人々を教育、改造して革命と建設に奮起させる活動をおし進めなければならないと強調した。

 主席は、行政、経済活動にたいする党の指導を強化するうえでの根本的問題について全面的な解明を与え、なによりも党委員会が当該単位の参謀部としての機能と役割を十分に果たさなければならないと指摘した。

 金日成主席は、次のように述べている。

 「党委員会は、それぞれの単位における最高指導機関であり、あらゆる部門の活動における参謀部であります」(『朝鮮労働党第4回大会でおこなった中央委員会の活動報告』1961年9月11日)

 主席は行政・経済活動で成果をおさめるためには、領袖の思想と指導を実現する武器である、勤労人民大衆の前衛で組織された労働者階級の党の指導を強化しなければならず、党が行政・経済活動にたいする指導を正しく遂行するには、すべての部門、すべての単位で党委員会が参謀部となり、当該部門、当該単位で提起される諸問題を掌握、指導し、国家・経済・文化機関、勤労者団体などすべての機関、組織が例外なく党委員会の指導と統制のもとで活動しなければならないと強調した。

 主席は、行政・経済活動にたいする党の指導で重要なことはまた、すべての活動を政治的に指導することであると指摘した。

 金日成主席は、次のように述べている。

 「党組織は、行政を代行したり行政のしんがりについて回ってはなりません。党組織は、大衆のなかに党政策を浸透させ、大衆を動かして党政策を貫徹し、すべての活動を政治的に指導し保障すべきです」(『朝鮮労働党中央委員会1959年2月総会での結語』1959年2月25日)

 政治的指導とは、党の示した革命課題を成功裏に遂行するための方向と方途を党委員会で集団的に討議、決定し、その貫徹へと党組織と党員勤労大衆を呼び起こし、決定された問題の正しい実行のために常に指導し、統制することを意味する。そして、党は政治的指導を強化してこそ、行政・経済活動にたいする党の指導を党の本性的要求に即して正確に実現し、革命と建設の勝利を達成することができる。

 主席は、党の活動方法と活動作風についても具体的に示した。

 金日成主席は、次のように述べている。

 「革命的活動方法とは、なんでしょうか。それは大衆の力に依拠する方法です」(『社会主義経済建設における当面の課題について』1959年12月4日)

 主席は、革命的活動方法を確立するためには、古い行政的・命令的活動方法をなくし、説得と教育を基本にして活動し、官僚主義を一掃し、下部にいって下部の活動家と大衆を実質的に援助し、責任をおって難問題の解決策を講じなければならないと指摘した。そして、党活動家は活動においては大衆の先頭に立つ旗手となり、対人関係では母親にならなければならないとし、このためにはすべての活動家が功名主義と形式主義にとらわれることなく祖国と人民のために忠実に服務し、思想理論水準と教養を高め、堅実な道徳品性を所有すべきであると強調した。

 主席の主体的な党建設思想と党活動理論は、党にかんする労働者階級の理論を発展させた独創的な思想と理論であり労働者階級の党が党活動で堅持すべき指導指針である。

 主体的な党建設思想と党活動理論を示した主席は、各級党組織にたいする集中指導を組織し、党活動に根本的な転換をもたらした。主席は、中央と地方の優秀な活動家で党中央委員会指導グループを組織してその活動方向を示し、また、各級党組織に派遣されて活動する指導グループに具体的な指導を与えた。さらに、咸鏡北道など各級党組織を現地で指導して党活動の立て直しをはかり、その過程で指導活動の手本を示し、それを全国に普及した。その結果、党の戦闘力と指導力は非常に高まり、党は朝鮮人民のあらゆる勝利の組織者、鼓舞者としての役割とプロレタリアート独裁体制の指導者の役割を十分に果たすことができるようになった。

 主席は、党の活動体系と活動方法の改善を重要な問題の一つとして提起し、全面的に完成していった。

 金日成主席は、次のように述べている。

 「大衆にたいする革命的な指導を正しくおこなうためには、常に発展する現実と活動の環境に応じて、党の活動方法と活動体系をたえず改善し完成しなければなりません」(『朝鮮労働党第4回大会でおこなった中央委員会の活動報告』1961年9月11日)

 労働者階級の党は、革命的な活動体系と活動方法を確立してはじめて、勤労大衆の無限の力と創造的な知恵を最大限に引き出して革命と建設をおし進めることができる。

 特に1950年代末の環境は、党の活動体系と活動方法を全面的に改善することを求めていた。共和国北半部では、生産関係の社会主義的改造が完成して社会主義経済形態の全一的な支配が確立し、生産力の急速な発展によって生産の規模が拡大し、大衆の政治的熱意が非常に高まった。ところが、党と国家・経済機関の活動体系と活動方法は古いからを捨てきれず、活動家の指導水準も発展する現実の要請に追いつけなかった。これらの欠陥は、過去分散的で自然発生的な個人経営が支配的であった農業部門に著しかった。

 主席は、この重大かつ緊切な問題を適時にとらえ、1959年12月党中央委員会総会で新しい環境に応じて活動体系と活動方法を根本的に改善する課題を示した。

 総会後主席は、1960年2月青山里と江西都に行き、15日間にあたって活動体系と活動方法を創造する歴史的な現地指導をおこなった。そして、青山里と江西都の国家・経済機関の活動と党活動全般を深く把握し、社会主義制度の本性に即した革命的な活動体系と活動方法を確立する画期的な措置を講じた。

 主席は、現実発展においての難問題を解決する重要な方途は、活動体系と活動方法を新たな環境に応じて改善し完成することであるということを現実のなかで具体的に確認した。そして、それを正しく解決するためには、上部が下部を助ける活動体系を立て、すべての活動において対人活動を優先させる活動方法を確立すべきであるという結論を得、そのような活動体系と活動方法を確立した。

 青山里と江西郡にたいする現地指導過程で新たな活動体系と活動方法のすぐれた手本がつくられた。主席は、里と郡の実情を現地で把握し、幹部や党員、農民などと会って活動と生活の全般にわたって話し合い、また多くの農家を訪問し、かれらの生活に心を配った。そして、里党総会、郡党活動家協議会、郡党委員会初級党総会、郡党委員会総会など多くの会議を開き、活動上の諸問題にたいし具体的な解決方途を示した。さらに、さまざまな形式と方法で党員と人民に革命の要請と党の意図を認識させ、各自が自覚をもって革命任務の遂行に力と知恵を尽くすよう導いた。

 青山里と江西郡の現地指導で示した主席のすぐれた手本は、革命的活動体系と活動方法の典型であった。

 主席は、青山里党総会で『社会主義農業の正しい運営のために』、江西郡党委員会総会では『新しい環境に応じて郡党組織の活動方法を改善するために』、党中央委員会常務委員会拡大会議では『江西郡党活動の指導を通じて得た教訓について』という歴史的な演説をおこなった。

 主席は、これらの演説で社会主義農業の運営と、党と国家・経済機関の活動体系と活動方法を根本的に改善する問題に全面的な解明を与えた。

 主席の青山里と江西都にたいする現地指導を通じてチョンサンリ(青山里)精神、チョンサンリ方法が創始された。チョンサンリ精神、チョンサンリ方法は、偉大なチュチェ思想と革命的大衆路線にもとづいた労働党の伝統的な活動方法と大衆指導原則を全面的に集大成し、全一的に体系化した科学的で共産主義的な大衆指導思想であり方法である。チョンサンリ精神、チョンサンリ方法は、勤労人民大衆が革命と建設の主人としての立場を堅持し、革命と建設で主人としての役割を十分に果たす最も革命的な活動方法である。

 金日成主席は、次のように述べている。

 「チョンサンリ方法の基本は、上級機関が下級機関を助け、上部の人が下部の人を助け、常に現地にいって実情を掘り下げて把握し、問題解決の正しい方法を講じ、すべての活動において政治活動、対人活動を優先させ、大衆の自覚的な熱意と創意を引き出して、革命課題の遂行を保障することにあります」(『朝鮮労働党創立20周年にさいして』1965年10月10日)

 チョンサンリ精神、チョンサンリ方法の基本的要求の一つは、上部が下部を助け、活動家が常に大衆のなかに入って活動することである。これは、上部と下部が団結して革命と建設の諸問題を解決する共産主義的大衆指導の基本的要求を正しく具現した最も有力な活動方法であり、集団主義が社会生活の基礎となり、団結と協力が社会関係の基本となっている社会主義社会の本性にかなった唯一の正しい活動方法である。

 上部が下部を助け活動家が常に大衆のなかに入って活動すれば、主席の意図とその具現である党政策が適時に下部に浸透し、上部と下部が協力して党の路線と政策を貫徹し、全社会の政治的・思想的統一を強化することができる。そして、官僚主義、主観主義、形式主義をなくし、下部にたいする生きた指導を保障し、活動家の政治・実務水準を急速に高め、実践的にたえず鍛えて、活動家の指導水準を不断に発展する現実に追いつかせることができる。

 チョンサンリ精神、チョンサンリ方法の基本的要求の他の一つは、対人活動、政治活動をあらゆる活動に優先させることである。これは、人間があらゆるものの主人であり、すべてを決定するというチュチェ思想の哲学的原理を大衆指導に具現した最も科学的な活動方法であり、人民の自由と幸福のためにたたかう共産主義者の本性と、すべての勤労者が自覚的熱意と創意を発揮して働く社会主義制度の本性的要求を反映した、革命的な活動方法である。

 政治活動、対人活動を優先させれば、大衆の政治・思想意識水準をたえず高めてかれらが高度の政治的自覚と主人としての態度を堅持し、無限の力と創造的能力を最大限に発揮して革命課題を責任をおって遂行し、革命闘争と建設事業のすべての問題を成功裏に解決することができる。そして、勤労者の思想意識水準を高め、かれらを革命実践のなかでたえず鍛え、勤労人民大衆の革命化、労働者階級化を強くおし進めることができる。

 チョンサンリ方法で重要なことはまた、一般的指導と個別的指導を結びつけ、中心の環を見つけ、それに力を集中することである。一般的指導と個別的指導の結合は、すべての部門、すべての単位にたいする統一的指導を実現し、党の路線と政策をそれぞれ異なる状況のもとで貫徹し、すべての単位の活動を全面的に急速に発展させる。活動において順序を設定し中心の環を見つけて、それに力を集中すれば、提起されたすべての問題を短時日に容易に解決し、活動を全般的におし進めることができる。

 チョンサンリ精神、チョンサンリ方法の創始によって、党の大衆指導を保障して社会主義・共産主義を成功裏に建設する有力な理論的・実践的武器がもたらされた。また、大衆指導にかんする労働者階級の革命理論がよりいっそう発展し、共産主義者の大衆指導において革命的転換がもたらされた。

 主席は、青山里と江西郡にたいする現地指導後、チョンサンリ精神、チョンサンリ方法を全党、全国に普及した。そして、チョンサンリ精神、チョンサンリ方法の全面的確立をはかって、全国の郡と里の集中指導方針を示し、党中央委員会常務委員をはじめ、中央と道の有能な活動家を指導グループとして派遣する一方、順川郡など各郡、里に出向いてその実行状況を調べさらに具体的な指導をおこなった。

 主席は、なによりも新しい環境と発展する現実に即して指導を下部に接近させるため、中央が道を助け、道が郡を助け、生産単位となった里を郡が直接責任をおって指導する活動体系を確立した。

 金日成主席は、次のように述べている。

 「青山里にたいする指導の経験を一般化する闘争をとおして、我々は、なによりもまず、党と国家機関の幹部が直接下部に出向いて、下部の幹部と大衆を具体的に助ける活動体系を徹底的に確立しました」(『朝鮮労働党第4回大会でおこなった中央委員会の活動報告』1961年9月11日)

 主席は、党・国家・経済機関、勤労者団体などすべての機関が、指示や催促、追及、統制と点検にたよった従来の活動方法から脱却し、直接、下部に出向いて状況を具体的に把握し、実質的に助けるよう導いた。主席は、特に郡を党と国家の末端指導単位として規定し、郡機関活動家が日常、里に出向いて里の活動家とともに、党活動と経済活動を直接実行し、里の活動を責任をおって助けることを制度化した。

 主席はまた、青山里にたいする指導経験を一般化するなかで、党活動を徹底して対人活動に切りかえ、大衆との活動で転換をもたらした。そして、大衆指導で根本的な転換をもたらすためには、幹部が正しい大衆観点と対人活動にたいする認識をもつことが大切であるとし、すべての活動家に革命的大衆路線の本質とその実現方途を十分に理解させ、それに反する傾向と強くたたかい、活動家が、政治活動、対人活動の方法を早く身につけ、それを実際の活動に具現するよう導いた。

 主席は特に、党組織が党員と勤労者にたいする政治活動を具体的に組織し、かれらを共産主義的人間に教育、改造し、党のまわりに結集させた。1960年4月、主席は、各階層の大衆を団結させることについての党中央委員会常務委員会の決定を採択し、労働者、農民にたいする活動を強化すると同時に、社会政治生活の経歴の複雑な階層を早急に教育し改造するようはかった。そして1961年1月には、梨峴(リヒョン)里党総会を指導し、『党活動の中心は、すべての人を教育、改造し、団結させることである』と題する歴史的な演説をおこない、対人活動で達成した成果を総括し、それを深めていく具体的な課題を示した。

 主席の正しい指導によってチョンサンリ精神、チョンサンリ方法が全国に普及され、革命と建設では大きな成果が達成された。

 党と国家・経済機関の活動で転換が起き、活動家の指導水準が高まった結果、党の戦闘力と指導的役割が強まり、党と大衆との血縁的連係がかつてなく強化された。また、勤労者を教育、改造する活動が、全党的、大衆的な思想改造運動に発展し、勤労者のなかで共産主義的生活気風が発揚され、各階層の大衆が主席のまわりにかたく団結した。

 チョンサンリ精神、チョンサンリ方法の一般化によって、社会主義建設の大高揚とチョンリマ運動が活発におし進められ、1960年度の計画が完遂されるとともに、人民経済各部門にはかつてない飛躍がもたらされた。

 主席は、党と人民の経済建設のたたかいを導き、5か年人民経済計画の遂行で大きな成果を達成した。5か年計画の工業総生産額課題は、2年半で完遂され、主な工業製品の現物指標別生産計画も4年間で完遂あるいは超過完遂された。1960年の工業総生産額は1956年に比べて3.5倍に増大し、解放前の1944年の1年間の工業製品総生産量をわずか40日間で生産し、国の総生産額のうち工業の占める比重は71%に達した。工業の植民地的跛行性と後進性も一掃され、機械製作工業を軸とする強力な重工業と軽工業が創設されて工業化の基礎が強固にきずかれた。

 農業分野でも、農村水利化の課題が基本的に遂行され、電化、機械化でも大きな前進が遂げられ、穀物収量は4年間に32%伸びた。

 人民の物質・文化生活水準も急速に向上し、1960年の国民所得は1956年に比べて2.1倍に増加し、労働者、事務員の実質賃金は2.1倍に増え、農民の生活水準も全般的に中農あるいは富裕中農の水準に達した。

 文化革命が進捗し、1956年の全般的初等義務教育制の実施についで、1958年からは全般的中等義務教育制が実施され、大学は19校から78校に増加し、技師、技手、専門家の教は2倍に伸びた。科学研究活動が活発に進められ、社会主義文学・芸術がらんまんと開花し、保健衛生事業でも大きな前進が遂げられた。

 5か年計画が完遂されて、共和国北半部では社会主義基礎建設の歴史的な課題が完成した。これは、朝鮮を社会主義生産関係と自立的民族経済の強固な基盤をもつ社会主義工業・農業国に変え、労農同盟を新たな社会主義的基盤のうえでかため、全人民を主席のまわりにいっそうかたく団結させ、国家社会制度を強化した。その結果、国の政治的自主性を保障し、経済をたえず高いテンポで発展させ、強力な自衛的国防力の土台がきずかれ、共和国北半部の革命基地はいちだんと強化された。

 共和国北半部における社会主義基礎建設の完成は、南朝鮮人民の反米救国闘争を励まし、統一後、疲弊した南朝鮮経済を復旧し、塗炭の苦しみをなめている南朝鮮人民を救い、南朝鮮で新社会を建設するゆるぎない土台をきずいた。それはまた、民族の独立と繁栄を遂げ、社会主義・共産主義の建設に向けてたたかう革命的人民に信念と勇気を与え、民族経済の自主的発展を妨げる内外の敵に痛撃を加えた。 





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