『金日成主席革命活動史』

第8節 社会主義建設の大高揚の堅持。
革命伝統教育と共産主義教育の強化


 金日成主席は社会主義制度の樹立後、5か年計画を繰り上げ遂行し、社会主義工業化の基礎構築を早めるため、社会主義建設の各部門で革命的大高揚を起こすようはかった。主席は1958年9月、党中央委員会総会で、社会主義建設の大高揚をはかる革命的対策を講じた。総会では「鉄と機械は工業の王者!」というスローガンが示され、金属工業と機械製作工業を急速に発展させる課題が提起された。また、「すべての力を100万ヘクタールの潅漑面積拡張へ!」というスローガンが示され、全人民的運動で畑潅漑体系を立て水田の面積を増やして数年内に水利化を基本的に完成する目標が提起された。鉄と機械の生産を大きくのばし、農村水利化をおし進めるのは、社会主義工業化の土台を早急にきずき人民経済の技術的改造と農村技術革命を進めるうえで、優先的に解決すべき問題であり、この問題を速やかに解決してこそ国家経済を飛躍的に発展させ、社会主義建設の各部門で一大高揚をもたらすことができるのであった。

 主席は、総会が提起した課題を成功裏に遂行するため、社会主義建設の大高揚を呼びかける党中央委員会の手紙を全党員に送る措置をとった。

 総会後、主席は、社会主義建設の大高揚をはかる全党的、全人民的闘争をおし進め、人民経済各部門で革新的成果をあげる積極的な対策を講じた。

 そのためには、なによりも全人民が停滞と保守主義に反対して強くたたかうべきであった。

 金日成主席は、次のように述べている。

 「立ち後れたもの、保守的なものとのたたかいなしには、革新は起こりえません。これは生活の法則であります。
したがって革新運動では立ち後れたもの、保守的なものを打破しなければなりません。社会主義建設をさらに高揚させるためには、保守主義者の妨害をはねのけることが重要です」(『社会主義建設における消極性と保守主義に反対して』1958年9月16日)

 主席は、社会主義建設で一大高揚を起こすためには、大衆の創造力を信じず古い公称能力や他人の経験、基準量にこだわる消極性、保守主義、技術神秘主義を克服しなければならないとし、これに反対する思想闘争を党中央委員会の手紙を討議する活動と結びつけて全党的に進めるよう導いた。また、勤労者のあいだで思想教育を活発に進めて社会主義建設に自覚的に参加し、革命的熱意と創造的積極性を発揮するようにし、労働者と科学者、技術者の創造的協力を強め、集団的技術革新運動を広く展開して技術を発展させ、国家経済機関の経済管理と生産組織を改善して生産成長の潜在力と可能性を最大限に引き出すよう導いた。

 主席は、人民経済各部門で一大高揚をもたらすため、経済建設を先頭に立って指導した。

 主席は、まず金属工業の発展に大きな力を注ぎ、1958年10月には降仙製鋼所の労働者を訪ねて、鋼材生産で継続革新を起こす具体均な方途を示し、翌年3月には、城津製鋼所、清津製鋼所、金策製鉄所、9月には黄海製鉄所を現地指導して、金属工業の発展方向および生産の正常化方法を示し、その実現対策を講じた。金属工業部門の労働者はこれに励まされて、1年足らずのあいだに30万〜40万トン能力の溶鉱炉を建設し、人民経済各部門の鉄鋼材需要を自力でみたした。

 主席はまた、機械製作工業の早急な発展に深い関心を払い、1958年10月に、岐陽トラクター工場と徳川自動車工場の労御者を訪ねて、抗日遊撃隊員が素手で爆弾を製造したように自力更生の革命精神を発揮して自力でトラクターとトラックを生産するよう課題を与え、翌年の春には竜城(リョンソン)機械工場の労働者を訪ねて、革命をおこなうには大胆でなければならないと強調し、大型機械・設備を自力で生産する具体的な対策を立てた。主席の現地指導に励まされた岐陽と徳川の労働者は、設計図も専門の設備もなく、技術者や熟練工も不足していたが、消極分子、保守主義者、技術神秘主義者の妨害をしりぞけて、トラクターは30日間で、トラックは40日間で試作に成功した。竜城機械工場の労働者は、わずか5か月余のあいだに8メートルターニングミルと3000トンプレスをつくり、楽元機械工場と北中機械工場の労働者もエクスカべーターとブルドーザーの生産に成功した。

 主席は、特に工作機械の生産に大きな関心を払った。1959年3月、鏡城(キョンソン)郡の亜麻工場を現地指導したさい、工場の労働者が工作機械を自力で製作し使用していることを知った主席は、これを重視し、同年5月党中央委員会常務委員会拡大会議で工作機械の子生み運動を提唱した。そして、この運動がもりあがると、それを大型工作機械と特殊工作機械の生産へと発展させた。その結果、全国各地で機械が機械を生み、工場が工場を生んで、わずか1年間に計画外に1万3000余台の工作機械が増産された。

 主席は、100万ヘクタールの潅漑面積拡張事業をおし進めた。そして、朝鮮の農業の特性と土地・気候条件の分析にもとづいて、西海岸地帯では畑潅漑を主としながら水田潅漑を拡張し、東海岸地帯では治山治水を主としこれに潅漑工事を並行させた。そして、岐陽潅漑工事場をはじめ、多くの潅漑工事場と貯水池工事場を訪ねて農村水利化をおし進める措置をとり、工事全般を現地で指導した。主席は、人民に白米を常食させるためなら雪の夜道も、険しい山道もいとわず全国各地を訪ね、貯水池や揚水場の手ごろな位置まで選んだ。

 こうして、1958年9月総会後、約1万以上の潅漑工事が起工され、わずか半年のあいだに潅漑面積は37万ヘクタールものび、岐陽潅漑、オジドン潅漑、青丹(チョンダン)潅漑、鴨緑江潅漑など大潅漑工事と中小潅漑工事が次々に完成した。

 その他の人民経済部門の発展にも力が注がれた。

 主席は電力工業の発展をはかって、1958年8月、禿魯江(トクロガン)発電所、雲峰(ウンボン)発電所の建設現場や水豊(スプン)発電所を現地指導し、みずからの力、みずからの技術、みずからの資金で各地に発電所を建設する革命的措置を講じた。その結果、長津江発電所が新装備で復旧し、禿魯江発電所などの大発電所や中小発電所が各地に建設された。また、建設部門で革新を起こすため、1958年2月、平壌市建設部門活動者会議を開いて建設部門の課題を示し、会議後、各地の建設現場を訪ねて隘路となっている問題の解決策を講じた。こうして、平壌市の建設者は、1958年には14分間に一世帯分の住宅を組み立てる驚異的な記録を立て、青年鉄道建設者は3、4年を要する海州−下聖間の80余キロメートルの広軌鉄道敷設工事を75日間で完成する革新を起こした。

 主席は軽工業の発展のため1958年6月、党中央委員会総会で大規模中央直轄工業と中小地方経営工業の並行方針を示し、大衆的運動で各市、郡に一つ以上の地方産業工場を建設し、その後、平安北道と慈江道を現地指導して、地方産業工場建設の具体的な措置を講じた。こうして地方産業部門の労働者は、地方の潜在力と可能性を最大限に引き出して最初の3か月間には1000余、1年後には2000余の地方産業工場を建設し、全国の消費物資生産の約半分を担当生産した。

 大規模の中央直轄工業と中小地方経営工業を並行させた結果、多額の国家資金を支出せずに軽工業を急速に拡張して人民の消費物資需要を円滑にみたし、多くの資金を重工業建設にふり向けて人民経済全般の発展に大きく寄与した。また、国の全地域を均等に発展させ、工業と農業の経済的連係を強め、都市と農村の差をなくす歴史的な課題を解決していけるようになった。

 主席の指導によって、人民経済各部門で社会主義建設の大高揚に向けてのたたかいが活発に展開された結果、工業総生産額は1958年には1957年に比べて40%、1959年には1958年に比べて53%という驚異的なのびを見せた。社会主義建設の大高揚のなかで、消極性、保守主義、技術神秘主義が粉砕され、社会主義工業化の基礎がきずかれ、人民経済の技術改造が促進された。

 主席は社会主義建設の大高揚に力を入れる一方、党員と勤労者の思想意識の改造に深い関心を払い革命伝統の教育を最も重要な課題として提起した。

 革命伝統の教育は、内外の階級敵が革命の圧殺を策し、朝鮮革命の前途に難関が立ちはだかり、困難な革命闘争の試練をへていない若い世代が革命と建設の主人として登場している事情と関連して、極めて重要な問題となっていた。

 革命伝統の教育は、反党反革命分派分子が、その目的を達成するため、修正主義者にならって労働党の栄えある革命伝統を抹殺しようと策動していた状況のもとで、さらに切実な問題となっていた。

 主席は1958年2月、朝鮮人民軍324軍部隊管下の将兵におこなった演説『朝鮮人民軍は抗日武装闘争の継承者である』および同年5月、両江道の党・政権機関・大衆団体活動家におこなった演説『両江道党組織の任務』など一連の著作のなかで、この問題に深い科学的・理論的解明を与えた。

 主席はまず、労働者階級の革命伝統とその継承発展における原則的問題を明らかにし、革命伝統の継承発展は、労働者階級の革命偉業の遂行において決定的な保障であると指摘した。

 金日成主席は、次のように述べている。

 「抗日闘争の革命伝統を継承するのは、我々の義務であり、光栄であり、勝利の裏付けであります」(『両江道党組織の任務』1958年5月11日)

 労働者階級の革命偉業は、代をついで完成すべき歴史的偉業であり、それは革命勝利の道をはじめて切り開いた領袖の革命思想と理論を全面的に具現し、領袖の達成した勝利と成果、革命偉業と経験をたえず発展させることによって成功裏に遂行することができる。領袖の革命思想と理論、革命業績と経験は、領袖の創始した革命伝統に集大成されている。したがって、労働者階級と人民大衆は、領袖の積み上げた革命伝統を擁護し、全面的に継承、発展させてはじめて、領袖の革命偉業を代をついで完遂することができる。もし、革命伝統が継承発展されなければ、労働者階級の革命偉業は中断され、革命の獲得物さえ危険にさらされる。

 主席はさらに、革命伝統の本質と基本的内容について明らかにし、労働者階級の党と革命の尽きることのない歴史的源流であり、革命闘争と建設事業の勝利を保障する貴重な革命の財宝となる伝統こそ労働者階級の真の革命伝統であると指摘した。

 金日成主席は、次のように述べている。

 「(略)抗日武装闘争できずかれた輝かしい革命伝統と闘争経験は、朝鮮革命の勝利のために我が党と人民が全面的に継承し発展させるべき、最も貴重な富であります」(『朝鮮労働党創立20周年にさいして』1965年10月10日)

 革命伝統は、労働者階級の革命偉業が勝利一路を進むようその命脈をつなぎ、生命力を与える歴史的源流であり、革命の最終的勝利を保障する不動の礎石である。これは、革命の道を最初に切り開いた労働者階級の領袖によってのみ創始される。朝鮮労働党と人民が代をついで永久に継承すべき唯一の伝統は、主席が抗日革命闘争のなかで創始した革命伝統である。

 主席は、労働者階級の革命伝統は豊かで多面的な内容を含んでおり、そこで基本となるのは、思想体系、革命業績と経験、活動方法と活動作風であると指摘した。朝鮮労働党の革命伝統は、チュチェの思想、理論、方法とそれを革命と建設に具現するなかでおさめた貴重な業績と豊かな経験を基本的な内容としている。したがって、朝鮮労働党の革命伝統はチュチェの革命伝統である。

 主席はまた、革命伝統の継承発展における根本問題も明らかにし、そこで重要なことは、その純潔性をかたく守ることであると指摘した。

 金日成主席は、次のように述べている。

 「我々は伝統を継承するからといって、なにもかもすべてを継承するわけにはいきません」(『朝鮮人民軍は抗日武装闘争の継承者である』1958年2月8日)

 革命伝統の純潔性を守ることは、革命伝統を正しく継承発展させ、党と革命がチュチェの血統を受け継ぎ、チュチェの革命偉業を完遂する根本的な保障である。主席は、朝鮮労働党の革命伝統に雑多なものを混入させようとした分派分子の策動は、本質において党の革命伝統を拒否し抹殺する反革命的行為であると指摘し、革命伝統の純潔性を守るためには、すべての党員と勤労者が、抗日革命闘争のなかで創始された革命伝統を守り、それだけを継承し発展させなければならないと強調した。

 主席は革命伝統の継承においてはまた、それを革命と建設のすべての分野に徹底的に具現することが重要であると指摘した。そのためには、党がチュチェ思想と抗日革命闘争でおさめた業績と経験にもとづいて革命闘争と建設事業をおし進め、党員と勤労者が抗日遊撃隊員のあいだで発揮された戦闘的で革命的な活動気風と生活気風にならって活動し、生活しなければならないと強調した。

 主席は、革命伝統教育の理論的・実践的問題にも全面的な解明を与え、革命伝統教育の重要性を明らかにした。

 金日成主席は、次のように述べている。

 「全党が、朝鮮共産主義者の犠牲的な戦いによってきずかれた革命伝統を継承し、その精神で大衆を教育しなければなりません」(『両江道党組織の任務』1958年5月11日)

 党員と勤労者にたいする革命伝統教育を強化してこそ、かれらが朝鮮革命の歴史的源流を知り、いかなる苦境にあっても革命伝統を守り、チュチェの革命偉業の勝利のためにあくまでたたかうことができる。革命伝統教育は、党員と勤労者をチュチェ思想で武装させ、党の唯一思想体系を確立し、かれらを革命化するうえで大きな感化力をもっている。特に、革命の試練をへず、朝鮮人民の勝利がどのようにして得られたかを体験していない新しい世代にとって、革命伝統教育は欠かすことのできない重要な問題であった。

 主席は革命伝統教育での原則的問題についても明らかにし、革命伝統教育では、党員と勤労者が抗日革命闘争の時期に創始された革命思想と闘争精神に学び、日本帝国主義との厳しい闘争のなかでつまれた革命業績と闘争経験、革命的活動方法と人民的活動作風に学ばなければならないと指摘した。

 主席はまた、革命伝統教育の充実をはかるためには、党員と勤労者に革命伝統の内容をたんなる知識として理解させるのではなく、その革命思想と闘争精神を体得させ、革命伝統教育を実生活、革命の実践と密接に結びつけて生き生きと着実におこなわなければならないと強調した。

 主席は、革命伝統とその教育にかんする独創的な思想と理論を示し、労働者階級の党が、人々をチュチェ型の共産主義革命家に育成し、かれらが、いかなる風波にもめげず革命と建設を進める確固とした保障をもたらした。そして、この理論の創始によって、労働者階級の革命理論の新領域が開拓され、革命を中断させようと策する革命の裏切り者たちに致命的な打撃が加えられた。

 主席は、党員と勤労者を党の革命伝統で武装する活動を強くおし進めた。そして、革命伝統教育を党の思想活動の中心問題の一つとして提起し、全党に整然とした革命伝統教育体系を確立し、すべての党組織が革命伝統教育に力を入れるようにした。そして、革命戦跡地踏査団が現地に派遣されて抗日革命闘争期の貴重な資料と史跡記念物が全面的に発掘、収集、整理され、革命戦跡地と革命史跡地、革命博物館が立派にととのえられた。また、すべての機関、企業所、学校、農村に「朝鮮労働党歴史研究室」が設けられ、それらをとおして革命伝統教育が活発におこなわれるようになった。これとならんで、『人民の自由と解放のために』や『抗日パルチザン参加者の回想記』をはじめ、抗日革命闘争期の経験を収録した出版物が大量に発刊され、革命伝統をテーマにした映画、小説、歌謡などが広く創作、普及された。

 主席は特に1958年5月、普天堡、三池淵、その他、両江道内の革命戦跡地と革命史跡地を訪ねて、革命伝統教育を強化する具体的な方針を示し、11月には党中央委員会政治委員会を開き、革命伝統教育を強化する積極的な対策を講じた。こうして党員と勤労者は、革命伝統で武装し、人間改造事業が急速におし進められ、全人民が主席のまわりにかたく団結し、抗日遊撃隊の革命精神と気迫が全社会にみなぎるようになった。

 主席は、党員と勤労者にたいする共産主義教育方針を示し、それを積極的におし進めた。

 金日成主席は、次のように述べている。

 「社会主義制度が全面的に確立されたこんにち、勤労者のあいだでブルジョア思想の影響を一掃し、かれらを共産主義思想で武装させるのは、我々の基本的な任務であり、緊切な課題であります」(『作家、芸術家のあいだで古い思想の影響を一掃するたたかいを力強くおし進めることについて』1958年10月14日)

 共産主義教育は、社会主義制度の樹立後、人間改造において最優先させるべき重要な問題の一つである。共産主義教育を強化してはじめて、勤労者の意識に残っている古い資本主義思想を一掃し、かれらに社会主義・共産主義社会にふさわしい先進思想を身につけさせて共産主義革命家に育成し、大衆の革命的熱意と創造的積極性を高め、社会主義制度を強化し、社会主義・共産主義建設を成功裏におし進めることができる。したがって、労働者階級の党は、生産関係の社会主義的改造後ただちに共産主義教育活動を進めなければならない。特に、国際共産主義運動の内部に修正主義が台頭して勤労者にたいする教育を放棄し、資本主義、帝国主義にたいする幻想を流布し、個人主義と利己主義を極度に助長させている状況のもとで、それは極めて重要な問題であった。

 主席はこうした実情のもとで、1958年11月全国市・郡党委員会の扇動員講習会でおこなった演説『共産主義教育について』など多くの著作で共産主義教育の必要性を明らかにし、その主な内容を規定した。

 主席は共産主義教育で大切なことは第1に、資本主義にたいする社会主義と共産主義の優位性を認識させることであると指摘した。

 金日成主席は、次のように述べている。

 「まず勤労者に、資本主義にたいする社会主義と共産主義の優位性について正しく認識させることが重要です」(『共産主義教育について』1958年11月20日)

 勤労者に、資本主義制度の反動性と腐朽性、社会主義制度の優位性を十分に認識させれば、かれらは社会主義制度を熱烈に愛し、これを侵害しようとする帝国主義者と階級の敵にたいして妥協することなくたたかい、社会主義社会の主人としての誇りと階級的自覚を高めて、社会主義祖国の発展に献身するようになる。主席は、共和国北半部と南半部の互いに異なる現実は、社会主義と資本主義との明確な対比となり、北と南の現実をとおして勤労者を教育すれば、かれらは北半部の社会主義制度の優位性をはっきり認識し、それを擁護して断固とたたかうようになると指摘した。

 主席は共産主義教育で大切なことは第2に、新しいものは必ず勝利し、古いものは滅びるという真理を認識させることであるとし、勤労者は古いものの滅亡の不可避性と新しいものの勝利の必然性を認識すれば、自己の革命偉業の正しさを悟り、勝利を確信して古い資本主義制度に反対し、新しい社会主義制度のためにねばりづよくたたかうようになると強調した。

 主席は共産主義教育で大切なことは第3に、勤労者を集団主義精神で教育することであると指摘した。

 金日成主席は、次のように述べている。

 「次に、共産主義教育で重要なのは、社会の共産主義的な改造で大きな妨げとなる個人主義や利己主義に反対することであります」(同上)

 勤労者のあいだで個人主義と利己主義を一掃し、集団主義精神を身につける教育を強化してこそ、かれらを、いつどこでも、個人の安逸と享楽のためではなく、社会と人民の利益、党と革命の利益のためにすべてをささげてたたかう熱烈な革命家に育成することができる。

 主席は共産主義教育で大切なことは第4に、勤労者を社会主義的愛国主義とプロレタリア国際主義の精神で教育することであると指摘した。それは、勤労者に社会主義祖国で住む誇りと自負をいだかせ、社会主義祖国の発展のために献身的にたたかい、労働者階級の国際的偉業のために貢献させる根本的な保障である。

 主席は共産主義教育で大切なことは第5に、人々を労働を愛する精神で教育することであると指摘した。

 金日成主席は、次のように述べている。

 「共産主義教育でもう一つ大切なことは、人々に労働を愛する精神を培う問題であります」(同上)

 勤労者に労働を愛する精神を培ってはじめて、かれらは労働を神聖な誇らしいものと考え、働くことを好み、労働規律を自覚的に守り、社会と集団のための共同労働に誠意をもって参加するようになる。

 主席はまた、勤労者を継続革命の思想、継続前進、継続革新の革命思想で教育しなければならないと強調した。

 主席は、共産主義教育の基本は階級的教育であると指摘した。

 金日成主席は、次のように述べている。

 「共産主義教育の基本は、人々に社会主義・共産主義制度の優位性を体得させ、かれらが資本主義制度を憎み、敵がい心を強めるようにすることであります」(『軍人にたいする共産主義教育と革命伝統教育を強化することについて』1958年10月30日)

 共産主義思想の中核は労働者階級の階級意識であり、共産主義教育の基本は階級的教育である。主席は、共産主義教育では常に階級的教育を基本にして、すべての勤労者が労働者階級的観点と立場に立ち、労働者階級の利益のために献身的にたたかい、革命の敵を憎み、階級の敵と搾取制度に反対してたたかわなければならないと指摘した。

 共産主義教育にかんする主席の思想は、社会主義制度の勝利後、人々を共産主義的に教育し改造するうえで提起される根本的な問題を明らかにした卓越した思想であり、労働者階級の党が人間改造で堅持すべき綱領的指針である。

 主席は、勤労者にたいする共産主義教育活動を強力におし進めた。

 主席は、共産主義教育を、党政策教育、革命伝統教育と密接に結びつけておこない、すべての党員と勤労者が党の思想で武装し、党の路線と政策を貫徹し、革命先達の模範にならって、苦境にあっても共産主義偉業の勝利のためたゆみなくたたかう革命家に成長するよう導いた。そして、共産主義教育で社会主義制度の本性と朝鮮人民の好みに合う、模範的事実で人々を感化させる方法を広く適用し、すべての人々を共産主義的に改造するうえで大きな成果をもたらした。また、革命的実践を思想意識改造の有力な手段と見て、勤労者が共同で働き生活する都市と農村のすべての生産現場を共産主義教育の拠点にして、経済建設と人間改造を密接に結びつけて思想改造事業をおし進めた。

 主席の正しい指導によって、党員と勤労者が、共産主義思想で武装した結果、共産主義的人間改造では大きな前進が遂げられ、革命と建設では新たな高揚が起きた。

 主席は、社会主義建設のテンポを高め、人間改造をさらに促進するため、チョンリマ運動を組織化して、チョンリマ作業班運動に発展させた。

 金日成主席は次のように述べている。

 「チョンリマ作業班運動は、チョンリマ運動が深化、発展したものであり、人民経済発展の強力な推進力となり、勤労者の大衆的な経済管理の立派な方法となったばかりでなく、すべての人々を新しい共産主義的な人間に改造するすぐれた大衆的教育の方法となりました」(『朝鮮労働党第4回大会でおこなった中央委員会の活動報告』1961年9月11日)

 1959年2月、降仙製鋼所の労働者にチョンリマ作業班運動の最初ののろしをあげさせた主席は、1960年8月には全国チョンリマ作業班運動先駆者大会を開き、この運動を作業班の範囲から職場、工場の範囲に広げ、工業ばかりでなく、経済と文化の各分野にも広げていくようはかった。そして、すべてのチョンリマ作業班運動参加者が「一人はみんなのために、みんなは一人のために」という合言葉のもとに、互いに助け導きながら作業班を共産主義的に働き学び生活する集団につくりあげ、特に共産主義教育をこの運動の第一の課題として示し、立ち後れた人を先進分子に、消極分子を積極分子に改造するよう導いた。

 こうして、チョンリマ作業班運動は、全人民が参加する大衆的進軍運動、生産における集団的革新運動となったばかりでなく、勤労者を共産主義的に教育、改造するすぐれた方法となった。

 金日成主席の創始したチョンリマ作業班運動は、思想、技術、文化の三大革命をもりあげて社会主義経済建設と文化建設を促し、共産主義的人間改造を成功裏におし進める転機となった。





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