『金日成主席革命活動史』

第5節 分派分子の一掃と反革命とのたたかい


 金日成主席は、人民経済復興建設と社会主義基礎建設に力を入れるとともに、反党反革命分派分子とのたたかいを強力に進めた。反党反革命分派分子とのたたかいは戦後、党と革命の発展においてゆるがせにできない緊要な問題であった。

 主席は、分派分子が過去朝鮮の革命運動に大きな弊害を及ぼしたが、解放後、かれらが正しい道を歩むよう忍耐強く説得し、本心から誤りを反省し是正することを願ってかれらを党と国家の要職につけた。しかし、セクト主義は病みつきの悪癖で、かれらはうわべでは党を支持し、かげでは、党に反対するなど陰に陽にしゅん動した。社会主義基礎建設が本格化して党の戦闘的機能と指導的役割を高め、人民大衆の政治的・思想的統一を達成する問題が前面におしだされたとき、分派分子の行為はもはや容認できないものとなった。

 分派分子の一掃は、複雑かつ緊張した情勢のなかで、かれらが反党反革命に転落したことと関連し、さらに緊要な問題となった。アメリカをかしらとする帝国主義者は、社会主義諸国をくつがえし民族解放運動を抹殺するために狂奔し、修正主義者は党の指導とプロレタリアート独裁を拒否し、革命と建設を放棄するにいたった。南朝鮮を占領しているアメリカ帝国主義とかいらい一味は、国際的な「反共」キャンぺーンに呼応して「北進」を高唱し、共和国北半部にたいする破壊・謀略活動に躍起になっていた。

 党にもぐりこんですきを狙っていた崔昌益(チェチャンイク)ら党内の分派分子は、そうした情勢に乗じて政治的野望をみたそうと、外部勢力をうしろだてに党と革命に挑戦した。かれらは、1956年主席が社会主義諸国を親善訪問しているあいだに反党反革命的陰謀に乗り出して党の政策を公然と非難し、朝鮮労働党と他党を離間させようと策動した。そして、党中央委員会総会を契機として党を不意に攻撃すると同時に、一味をテロと武装暴動に駆りだして党と政府をくつがえそうと企てた。崔昌益一味は、党のたび重なる警告を無視して、1956年8月ついに党中央委員会総会で党に正面から挑戦した。

 しかし、主席によって創立され導かれる党、抗日闘争の革命伝統を踏まえて成長し、闘争のなかで鍛えられ洗練され、人民大衆の絶大な支持と信頼を受ける労働党が、一握りの分派分子の挑戦によって、動揺するようなことはありえなかった。

 総会参加者は一致して、主席を領袖とする党中央委員会を断固として擁護し、分派分子に決定的な打撃を加えた。

 主席は、総会で醜悪な分派分子を一掃する決然とした措置を講じた。

 金日成主席は、次のように述べている。

 「(略)党内に台頭した反党分派分子は、内外の困難な情勢に乗じて、重大な反党的・反国家的陰謀を働きましたが、党はそれを適時に粉砕しました」(『社会主義陣営の統一と国際共産主義運動の新たな段階』1957年12月5日)

  総会で暴露された分派は、朝鮮で歴史的に存在してきたさまざまな分派残党の寄り合い集団であった。その頭株の崔昌益は、すでに1920年代からソウル派やM・L派に加担して派閥争いに没頭し、解放後も面従腹背しながら反党反革命的分派活動をつづけた。そして、これに加担した朴昌玉(パクチャンオク)など一部の分派分子も、一時、党の指導的地位を占めて党活動に多くの弊害を及ぼした悪質な分派であった。したがって、かれら分派一味との闘争は、長期にわたって存在をつづけた醜悪な分派集団を一掃するたたかいであった。

 総会で暴露された分派はまた、外部勢力をうしろだてにした事大主義者や革命の裏切り者である修正主義者の集団であった。事大主義に染まったかれらは、外部勢力と結託し、その力を借りて政治的野望を遂げようとし、国際共産主義運動の内部に修正主義が台頭すると、それを「国際的思潮」として歓迎し、朝鮮に引き入れようとした。

 反党反革命分派分子は、党の路線と政策に反対し、革命と建設における党のすぐれた業績と成果を中傷した。かれらはまた、党の栄えある革命伝統をそしり、革命と建設にたいする党の指導とプロレタリアート独裁を拒否し、党の民主集中制の原則に反対し、分派行動の「自由」を唱えて不当な「分派有益説」を主張した。この反逆者一味は、自分たちの新「指導部」を構成し、アメリカ帝国主義と結託して党と政府を転覆したのち朝鮮を「中立国」として宣布し、親米的なブルジョア共和国を樹立しようと企てた。したがって、崔昌益一味にたいする闘争は、反分派闘争であると同時に、事大主義、修正主義、反革命にたいする闘争でもあった。

 主席は、総会で分派分子に決定的な打撃を加え、今後、分派行動は無条件禁止されるべきであり、それがいかなる口実のもとでなされようとも、また、極めて小さいものであっても断固粉砕し、分派の残党を一掃するたたかいを中断することなくつづけるべきであると強調した。

 主席は、総会で分派集団の反党反革命的陰謀を適時に粉砕し、党を強力な戦闘隊列に発展させ、全党と全人民を一つの革命勢力に結集するとともに、革命の獲得物を守り社会主義革命と社会主義建設をおし進める強固な基盤をきずいた。そして、朝鮮にたいする日和見主義者の不当な策動を粉砕し、党と革命を内部から切り崩そうとしたアメリカ帝国主義者とかいらい一味に致命的な打撃を与えた。

 総会後、主席は分派残党の一掃と、党の統一と団結の強化に力を入れた。主席は、少数の悪質分子は処分し、その他の者は教育し改造する方向で反分派闘争をおこない、主動分子と消極分子を区別し、分派に意識的に加担した者と無意識的に追随した者を区別して、問題を個別的に慎重に処理するようにした。そして、すべての党員と勤労者にセクト主義の本質と弊害、その思想的根源と罪行を明確に認識させるとともに、セクト主義に反対して妥協することなくたたかい、小さな分派的傾向にたいしても強力な思想闘争をくりひろげるようにした。これとならんで、反分派闘争を事大主義、教条主義、修正主義にたいする闘争と密接に結びつけておこない、党員と勤労者の活動や生活に残っていた事大主義、教条主義の影響を一掃し、国際修正主義の国内への浸透を厳しく警戒した。特に、反分派闘争を当面の革命課題の遂行と密接に結びつけて進めることによって、それが、たんなる思想闘争にとどまることなく社会主義経済建設の強力な推進力となるように導いた。

 主席の正しい指導によって、セクト主義を一掃する闘争は少しの偏向もなく順調に進められた。この闘争をとおして、政治的、思想的に鍛えられた党員と勤労者は、主席のまわりにいっそうかたく団結した。

 1957年8月のある日、主席は南浦へ向かう途中、江西郡苔城里(テソンリ)に立ち寄った。そのとき、農村のひとりの素朴な老婆が主席の手をとってこう言った。

 「首相さま! お顔がとてもやつれていらっしゃるようですが、あまりご心配なさらないでください。分派分子らが人民生活がどうのこうのと騒ぎたてても、もうみんなの暮らしはよくなっていますから大丈夫です。なんといっても私たちが勝つにきまっているし、分派分子らは勝てませんよ。心配なさらないでください。私たちは首相さまを支持します」

 これは、主席に絶大な信頼をよせ、主席を支持する全国の党員と人民の忠誠を誓う言葉であり、不動の信念の表明であった。

 党は、このような人民がいたがゆえに内外の反革命的攻勢を断固しりぞけ、党と革命を守り、厳しい試練を主動的に克服し、革命発展の新たな局面を切り開くことができたのであった。

 主席は1958年3月、党代表者会議を招集し、長期にわたって存在した醜悪な分派分子を一掃する党内闘争を総括した。主席は、ここで5か年計画遂行の具体的方途を明らかにしたのち、反分派闘争の経験と教訓を分析し、党の統一と団結を強化する綱領的課題を示した。

 主席はまず、セクト主義、地方主義、家族主義にたいして断固とたたかい、セクト主義の余毒を一掃すべきであると指摘した。

 金日成主席は、次のように述べている。

 「セクト主義、地方主義、家族主義は、共産主義とは全く縁のないものであります。我々はこれに強く反対しなければなりません」(『第1次5か年計画を成功裏に遂行するために』1958年3月6日)

 セクト主義は、ブルジョア思想とその習性が党内に反映されたものであって、分派分子は極めて執拗かつ危険な存在であり、かれらを放置すれば敵と結託する道を進むようになる。地方主義、家族主義も、本質においてはセクト主義であって、これを放置すればセクト主義になる。

 主席は、セクト主義、地方主義、家族主義を一掃するためには、党員と勤労者にその本質と根源、手口と弊害を知らせて、分派分子のつけいるすきを与えず、これに反対して断固たたかうようにすべきであると強調した。

 主席はまた、修正主義とのたたかいを強めなければならないと指摘した。朝鮮では修正主義が系統的にあらわれたことはなかったが、国際共産主義運動の内部に修正主義が台頭し、党内の分派分子や事大主義者がこれを受け入れて、修正主義的傾向が生じた。主席は、修正主義が党と革命勢力を骨抜きにし革命に挫折をもたらすものであるがゆえに、これに反対して強くたたかわなければならないと強調した。

 主席は、次に党生活の強化問題について指摘し、党内闘争の過程は、誰でも党生活を怠ればさまざまな誤りをおかし、地方主義、家族主義に陥って、最後には分派分子に利用されることを示していると述べ、セクト主義を克服するためには党員の党生活と思想教育を強化し、すべての党員がチュチェの革命的世界観を確立し、党性の強い党員にならなければならないと強調した。

 主席は、特に反分派闘争では、党中央を擁護することが重要であると指摘した。

 金日成主席は、次のように述べている。

 「セクト主義に反対する闘争で最も重要なのは、党の団結をかたく守るために党中央を擁護することです」(同上)

 反党反革命分派分子は、党の指導権を奪うために、党中央を中傷し、その権威を傷つけようと躍起になっていた。したがって、反分派闘争で最も重要なことは、主席を政治的、思想的に、生命を賭して擁護し、主席の高い権威と威信を断固として守り、主席を中心とする党の統一と団結をあらゆる面から強めることであった。

 党代表者会議は、長いあいだ革命と建設に大きな害毒を及ぼした反党分派分子とその残党を一掃し、主席を中心とする全党の統一と団結を決定的に強化して、党の戦闘力を誇示し、党と革命発展の転機をもたらした。

 主席は党代表者会議後、分派分子の影響をなくすたたかいを強くおし進めた。そして、これらの反党的要素を一掃し、党の思想体系を確立するため長期にわたって地方の党組織にたいする集中指導を進めた。主席は、両江(リャンガン)道党委員会をはじめ、多くの工場、企業所、農村の党組織の活動を現地で指導しながら、分派分子の影響を一掃する具体的な方向と方途を示し、偏向を適時に是正させた。その結果、反党反革命分派分子の影響とあらゆる不純な傾向が根絶され、党組織の活動が全面的に改善された。

 主席は反分派闘争を強める一方、敵対分子の反革命的策動を粉砕する闘争を強くおし進めた。共和国北半部で社会主義基礎建設が成功裏に進められ、階級敵の地盤が全面的に崩壊すると、くつがえされた搾取階級の策動はいっそう悪辣になり、アメリカ帝国主義とかいらい一味も北半部に多数のスパイ、破壊謀略分子をもぐりこませた。かれらは放火、破壊、サボタージュ、流言などさまざまな敵対行為をはたらく一方、重罪人や反動的な宗教者、一部堕落した連中を糾合して、社会主義建設を破綻させようと躍起になった。党内の分派分子は、敵対分子との闘争を故意に怠り、「遵法性」や「人権擁護」を口実にかれらを公然と庇護し、かれらと結託する道に走った。国際共産主義運動の内部にあらわれた修正主義者も、社会主義制度の樹立後は階級闘争や敵対分子にたいする独裁は不必要だと言って反革命との闘争の放棄を説いた。こうした実情は、階級敵とのたたかいをさらに強めることを切実に求めた。

 主席は、反革命との闘争で堅持すべき原則と方途を明らかにし、このたたかいを強くおし進めた。1957年5月、党中央委員会常務委員会は、反革命分子との闘争を強化する決議を採択し、反革命との闘争にあたって階級的原則に依拠して敵味方を識別し、現行犯とたたかい、ごく少数の悪質分子は厳しく処罰し、革命の側に獲得できる多数の追随分子はすべて包容して教育し改造するようにした。そして、反革命分子との闘争を一時的なものでなく、日常の政治闘争として、何人かの活動家だけの活動ではなく大衆的な活動として進めるよう導いた。これとならんで、すべての部門、すべての単位で、スパイ、破壊・謀略分子がしゅん動するすきを与えないよう厳格な規律と秩序を確立する措置をとった。

 主席は、特に人民政権のプロレタリアート独裁機能の強化に大きな関心を払い、1958年3月の内務員会議での演説と同年4月の全国司法・検察部門活動者会議での演説『我が党の司法政策を貫くために』のなかで、プロレタリアート独裁の機能を強化する綱領的な指針を示した。これらの演説をとおして主席は、法の階級的性格を拒否しプロレタリアート独裁を否認した反党反革命分派分子の修正主義的詭弁を粉砕し、司法・検察・内務機関はプロレタリアート独裁の機能を強化すべきであると強調した。そして、現代にはブルジョア独裁とプロレタリアート独裁の2つの独裁があり、我々にはプロレタリアート独裁が必要であると指摘した。

 金日成主席は、次のように述べている。

 「プロレタリアート独裁は、地主、資本家にたいしては独裁を実施し、労働者、農民をはじめ広範な勤労人民にたいしては民主主義を実施します。資本主義制度のためにはブルジョア独裁が必要であり、社会主義制度のためにはプロレタリアート独裁が必要です」(『我が党の司法政策を貫くために』1958年4月29日)

 労働者階級をはじめ、広範な勤労人民の利益を擁護し、社会主義・共産主義を建設する政権である人民政権は、本質上プロレタリアート独裁を実施する政権であり、プロレタリアート独裁をたえず強化してこそ、内外の敵のあらゆる侵害から革命の獲得物を守り、最高形態の民主主義であるプロレタリア民主主義を保障し、社会主義・共産主義を成功裏に建設できるのである。

 主席は、法の本質とその階級的性格を明らかにし、法は社会主義を擁護する武器とならなければならないと指摘した。

 金日成主席は、次のように述べている。

 「(略)我々の法は、社会主義制度と社会主義の獲得物を守る武器となるべきであり、プロレタリアート独裁の武器とならなければならないことは明らかです」(同上)

 主席は、法が社会主義建設の強力な武器となるには、すべての法機関の活動家が法にたいするブルジョア的観点を捨て、党の要求する階級的立場から、プロレタリアート独裁の立場から法を正しく解釈し、適用しなければならないとし、そのためには、党の指導を誠実に受け入れ、高度の党性を保ち、党の司法政策に依拠して反革命分子とのたたかいを強めなければならないと強調した。

 会議後主席は、司法・検察・内務機関にたいする党の指導を強め、これらの機関に及ぼした分派分子の影響をなくし、この部門の活動家の隊列をかためるとともに革命的な規律と秩序の確立をはかった。その結果、司法・検察・内務機関は、反革命との闘争でその役割を十分果たすことができた。

 主席は、反分派闘争、反革命との闘争をとおして人民大衆を党のまわりに結集し、革命の基盤をかため、革命と建設を強くおし進める確固とした保障をもたらした。





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