『金日成主席革命活動史』

第5節 党の組織的・思想的強化と戦争の最終的勝利をめざす戦い。
祖国解放戦争の輝かしい勝利


 1952年末、朝鮮の情勢は極度に緊張した。アイゼンハワーは、大統領に就任すると直ちに南朝鮮に飛んで「交渉よりも行動が第一」だとうそぶき、冒険的な「新攻勢」を企てた。それは、東西両海岸からの上陸作戦を強行して、漢川(ハンチョン)、平壌、元山を結ぶ地域を占領して前線と後方を断ち、基本戦線における攻撃と協同して、人民軍主力部隊を「包囲掃滅」しようというものであった。かれらは「新攻勢」を成功させるため、アメリカ本土と日本から膨大な兵力と戦闘技術機材を引き入れ、アメリカ第7艦隊をはじめ、多くの艦船を東西両海岸に集結し、南朝鮮かいらい軍を増強し、日本軍国主義の兵力と蒋介石一味の軍隊まで投入しようとした。

 情勢は、敵の「新攻勢」を粉砕し、戦争の最終的勝利をかちとる決定的な対策を講ずることを切実に求めた。そのためには、革命の参謀部である党を組織的、思想的に強化し、その戦闘力を高めることがなによりも重要であった。これは、党内の反党反革命分派分子が複雑な情勢に乗じて反革命的策動を公然と進めていたため、いっそう緊要な問題となっていた。

 金日成主席は、党を組織的、思想的に強化するため、1952年12月、党中央委員会第5回総会を招集し、『党の組織的・思想的強化は、我々の勝利の基礎』と題する報告をおこなった。

 主席はここで、党活動における成果と欠陥を総括し、党を組織的、思想的に強化する綱領的な課題を示した。

 主席はまず、党の組織活動を強化する課題を示し、党を強化し、党員を党生活と実践活動をとおして鍛え、党機関と党活動家の役割を高め、下級党組織にたいする指導と幹部事業を正しくおこなうことが重要であると指摘した。そして、特に党員の党性鍛練を重要な課題として提起した。

 金日成主席は、次のように述べている。

 「党性を強めるということは、個々の労働党員が党に限りなく忠実で、党活動に積極的であり、革命の利益と党の利益を第一の生命とみなして、個人の利益をこれに服従させ、いつどこで、どのような条件のもとでも党の利益と党の原則をかたく守り、いっさいの反党的、反革命的な思想と妥協することなくたたかい、党の組織生活を忠実におこない、党の規律を厳格に守り、党と大衆との結びつきをたえず強めることを意味します」(『党の組織的・思想的強化は、我々の勝利の基礎』1952年12月15日)

 党性は、党にたいする限りない忠実性である。すなわち、党員の党性は、主席の革命思想、チュチェの革命的世界観にもとづく高度の階級的自覚であり、主席と党を断固擁護、防衛し、主席の指示とその具現である党の路線と政策を貫徹するために水火をいとわずたたかう不屈の共産主義的革命精神である。党員の党性を鍛えることは、党を組織的、思想的に強化し、その戦闘力を高める基本的条件である。これは、難関と試練がおり重なり、献身性と犠牲的精神が要求される戦時においてはさらに重要な問題として提起され、党中央委員会第4回総会以後、党的訓練の欠けた新入党員が増え、党の量的成長と質的強化のあいだに一定の不均衡が生じていたことから極めて緊切な問題となっていた。

 主席は党性を強めるためには、個人の利益のために革命の利益をかえりみない自由主義的な傾向にたいして断固たたかわなければならないとし、党性の鍛錬をセクト主義に反対し、党の統一と団結を守る闘争と密接に結びつけておこなうべきであると強調した。

 金日成主席は、分派分子の策動について次のように述べている。

 「我が党のすべての党員は、革命的警戒心と党性をさらに高めて、そういった連中の行動を厳しく監視し、分派分子が党内で一歩も動けないようにしなければなりません」(同上)

 主席はセクト主義を克服するためには、党員の党性をたえず鍛え党の組織規律を強化し、党生活で民主集中制の原則を貫かなければならないと指摘し、また党員の党性を鍛えるためには、批判と自己批判を強化し、原則的な批判と率直で誠実な自己批判を日常化しなければならないと強調した。

 主席は次に、党の思想活動を強化する課題を提起した。

 金日成主席は、次のように述べている。

 「各党機関と党組織は、政権機関の行政活動を代行すべきではなく、党を強化し、大衆を党のまわりに結集するための党の思想教育活動と大衆政治活動に力を注ぐべきであります」(同上)

 主席は苛烈な戦争がつづき、党内に多くの新入党員がおり、敵の反動的思想攻勢が強化されている状況にあって、全党が党の思想活動に関心を向けなければならないとし、党の思想活動で重要なことは党員と勤労者を党の革命思想で武装させて、高度の階級意識と革命的自覚をいだかせることであると強調した。さらに、党の思想活動の内容を充実させるためには、教条主義、形式主義、民族虚無主義を克服して朝鮮の現実に即した教育活動をおこない民族文化遺産を正しく継承発展させなければならないと指摘した。

 この報告は、主席を中心とする全党の思想・意志の統一と団結を強めて、党を組織的、思想的に強化し、祖国解放戦争の最終的勝利を早める綱領的指針となった。

 主席は総会後、党を組織的、思想的に強化する活動を積極的におし進めた。そして、党員の党性を鍛え、その前衛的役割を高め、自由主義、セクト主義を克服する闘争が活発に進められて党隊列が強化され、その戦闘力が強まった。また、党組織、特に党の基礎組織である細胞の活動が強まり、党の活動方法と作風が改善され、各分野にたいする党の指導が強化されて、党の指導的役割が高まった。同時に、党思想活動で主体性が確立し、すべての党員と勤労者がチュチェ思想とその具現である党の路線と政策で武装し、その階級意識と革命的警戒心が高まり、革命隊列が政治的、思想的に強化された。

 主席は特に、党中央委員会第5回総会の文書の討議を全党的に進め、それを党性を鍛えセクト主義に反対する闘争と密接に結びつけて思想闘争の方法でおこなうよう指導した。

 総会文書の討議過程で、党と国家機関にもぐりこんで党の統一と団結を破壊し、人民民主主義制度を転覆しようと策動した朴憲永、李承Y一味が摘発され、その追随分子と分派分子も大きな打撃を受けた。

 朴憲永一味はすでに解放前、日本帝国主義に投降し、その後アメリカ帝国主義のスパイに転落した革命の裏切り者であり、火曜派系の分派分子と革命の裏切り者を中心にスパイ・分派集団を形成し、解放後には南朝鮮で党組織と人民の革命闘争を内部から瓦解させた。朴憲永、李承Yスパイ一味は、共和国北半部に入ったのちにも反党・反国家的陰謀をつづけ、戦時の厳しい時期に党、国家および軍事機密を系統的にアメリカの情報機関に通報する反逆行為をおこなった。特に、1951年アメリカ帝国主義侵略者が「夏期および秋期攻勢」を強行したときには、それに呼応して武装暴動を企図し、アイゼンハワーが「新攻勢」を企てたときにも、それに呼応して武装暴動を起こし党と政府を転覆しようとした。

 しかし、主席の指導とそのまわりに団結した党員の闘争によって、かれらの反党・反革命的陰謀はあますところなく暴露された。朴憲永、李承Y反党反革命スパイ一味が摘発、粛清された結果、党の統一と戦闘力は不敗のものにかためられ、一味に期待をかけて軍事的冒険を企てたアメリカ帝国主義侵略者に甚大な打撃を与えた。

 主席は、党を組織的、思想的に強化する一方、敵の「新攻勢」を粉砕するため心血を注いだ。アイゼンハワーが大統領に就任したとき、かれが新たな軍事的冒険を試みるものといちはやく予想した主席は、敵の攻勢を撃破する積極的な対策を講じた。

 主席は1952年12月、朝鮮人民軍高級将校会議を招集し『人民軍を強化しよう』と題する歴史的な演説をおこなった。

 主席は、ここでアメリカ帝国主義の「新攻勢」に備えて人民軍を政治的、思想的に、軍事技術的に強化する課題を明らかにし、敵の「新攻勢」を粉砕する方針を示した。

 金日成主席は、次のように述べている。

 「地上および海岸の前線を強固に、頑強に防御すべきです。敵の侵攻と上陸を阻止しなければなりません。防御における人民軍部隊の積極性を強め、全力を尽くして敵を疲労させ、その兵員と戦闘機材をより多く掃滅すべきです」(『人民軍を強化しよう』1952年12月24日)

 この方針は、東西両海岸と前線を鉄壁の要塞にかため、敵の攻勢を海上と防御前線前方で撃破して「新攻勢」を未然に粉砕し、戦争の最終的勝利を早めた極めて正しい方針であった。

 会議後、防御陣地強化の命令が出され、基本戦線と海岸一帯の坑道式防御陣地が補強され、万端の戦闘準備がととのえられた。特に、敵の上陸が予想される地帯に兵力を増強する措置が講じられた。そして、1953年1月には党中央委員会の手紙が送られ、すべての党組織と党員は「新攻勢」の粉砕に奮起した。

 主席は、「新攻勢」を粉砕する対策を立てる多忙な日々にも、東海岸の海岸防御区分隊をはじめ、最前線の人民軍将兵や軍需工場の労働者など後方人民を訪ねて、かれらを決戦に備えさせた。

 人民軍将兵と人民は、「最後の血の一滴までささげて、祖国の寸土を守り抜こう!」「こぞって敵せん減の決戦へ!」という主席の戦闘的呼びかけにこたえて総決起した。人民軍将兵は、坑道式陣地体系を完成し、前線と海岸地帯を鉄壁にかため、訓練を強め、予備物資をたくわえるなど戦闘準備に万全を期した。銃後の人民も人民軍を助けて前線と海岸の防御工事や軍需物資の輸送に進んで参加し、自衛隊は武装スパイとの闘争を展開する一方、敵降下部隊の掃滅訓練に励んだ。前線と海岸地区の党員と青年は、支援隊を組んで人民軍を支援し、有事には遊撃戦をくりひろげる準備をととのえた。こうして、敵のいかなる侵攻も一撃のもとに粉砕する万端の戦闘態勢がととのい、前線と後方は難攻不落の要塞と化した。

 アメリカ帝国主義侵略軍は1953年に入って「新攻勢」の準備をいそぐ一方、状況を有利にするため前線と海岸、後方にたいする大々的な砲・爆撃をおこない、1月末には鉄原西方のT型高地にたいする大規模な攻撃作戦を強行した。

 主席は、敵のこうした策動に対処して人民軍の軍事行動を積極化して、敵を完全に守勢に陥れた。人民軍将兵は、大胆な襲撃戦と頑強な防御戦を展開して敵の兵力を大量掃滅し、多くの航空機と艦船を撃墜、撃沈した。そして、敵のT型高地攻撃作戦にたいしては、猛烈な反撃戦によって敵を完全に掃滅した。

 全戦線で惨敗を喫したアメリカ帝国主義侵略者は、「新攻勢」の破滅的な結果を予想し、最後の期待をかけた「新攻勢」を中途で放棄してしまった。そして、すごすごと停戦会談場にあらわれ、1年6か月ものあいだ引きのばしてきた捕虜送還問題で共和国側の正当な提案を受け入れたのであった。

 しかし、かれらは、朝鮮人民の前にひざまずく最後の瞬間まで蛮行をつづけた。かれらは、合意事項に違反して共和国側の捕虜を「釈放」という名のもとに抑留する挙に出るとともに、李承晩一味をそそのかして「停戦決死反対」「単独北進」を叫ばせ、有利な条件で停戦協定を結ぼうとした。そして、貯水池、発電所、住宅地区など平和施設・地域にたいする無差別爆撃を悪辣に強行した。

 主席は、アメリカ帝国主義の侵略的野望を決定的に粉砕し、戦争の最終的勝利を早めるため、敵に強力な軍事的打撃を加えることを命令した。主席は、1953年5月中旬から7月下旬まで3回にかけて連続的に強力な集中打撃戦を組織した。人民軍将兵は、これらの打撃戦で351高地を占領して広大な地域を解放し、多くの敵兵を掃滅し、大量の戦闘技術機材をろ獲または破壊した。この集中打撃戦は、敵の力量にたいする人民軍の決定的優位を実証し、敵を恐怖と不安に陥れた。停戦会談の舞台裏で狡猾に策動しながら侵略戦争をつづけても、それは、もはやかれら自身の破局をまねくばかりであることを意味した。

 3年間の戦争でアメリカ帝国主義者がこうむった惨敗は、かれらをぬきさしならない窮地に追いこんだ。かれらは、朝鮮戦線に最新装備で武装した自国の陸海空軍と15の追随国軍隊、南朝鮮かいらい軍などあわせて、200余万の大兵力と膨大な量の最新戦闘技術機材を投入し、世界戦史に類例のない最も凶悪かつ野蛮な戦争方法と手段を尽くした。

 しかし、朝鮮人民と人民軍将兵は厳しい試練を英雄的に克服し、40万5000余名のアメリカ帝国主義侵略軍を含めた156万7000余名の敵兵を殺傷または捕虜にし、1万2200余機の航空機、3255両の戦車と装甲車、7695門の各種砲、560余隻の各種艦船、92万5000余種の狙撃兵器をはじめ、莫大な戦闘技術機材をろ獲または破壊した。これは、アメリカ帝国主義侵略者が第2次世界大戦の時期に太平洋戦争でこうむった損失のおよそ2.3倍に相当し、100余年の侵略史上はじめての恥ずべき惨敗であった。

 朝鮮戦争でとりかえしのつかない軍事的・政治的・道徳的敗北をこうむったアメリカ帝国主義者は、1953年7月27日、ついに英雄的な朝鮮人民の前に膝を屈し停戦協定に調印した。

 3年間の苛烈な祖国解放戦争は、正義の戦いに決起した英雄的な朝鮮人民の偉大な勝利に終わった。

 最高人民会議常任委員会は祖国解放戦争の全期間、朝鮮労働党中央委員会委員長、共和国内閣首相、朝鮮人民軍最高司令官、軍事委員会委員長の重責をおびて、祖国と人民の将来を双肩に担い、おり重なる難関を克服し、祖国解放戦争を偉大な勝利に導いた金日成主席に全朝鮮人民の一致した念願をこめて英雄称号を授与した。

 主席は1953年7月28日、『停戦協定締結に際して』と題する歴史的な放送演説をおこなった。

 主席はここで、朝鮮民族が5千年の歴史において一再ならず外国侵略者に反対して英雄的な戦いを展開したが、今度の祖国解放戦争におけるように、全人民の団結した力で強大な敵に決定的な打撃を与え、輝かしい勝利をおさめた例はなく、こんにちのように朝鮮人民の国際的権威が高まり、世界の人民から積極的な支持と同情を得たことはなかったと述べ、祖国解放戦争の勝利を総括し、朝鮮人民の当面の闘争課題を示した。

 祖国解放戦争の輝かしい勝利は、偉大な思想家、理論家であり、革命の英才であり、百戦百勝の鋼鉄の統帥者である金日成主席の正しい指導のたまものであった。

 主席は祖国解放戦争を指導しながら、主体的な軍事戦略と独創的な戦法を駆使し、党と人民政権を強化し、人民軍を不敗の革命武力に発展させ、人民民主主義制度の優位性を発揮させ、後方を鉄壁にかため、アメリカ帝国主義を国際的に孤立させ、世界の革命的人民との連帯を各方面から強化した。

 主席の卓越し、かつ洗練された指導は、アメリカ帝国主義を撃破し、祖国解放戦争の輝かしい勝利をもたらす根本要因であった。

 祖国解放戦争の勝利は、党と革命の発展にとって大きな意義があった。

 祖国解放戦争の勝利によって、党と栄えある祖国、朝鮮民主主義人民共和国を守り抜き、民族の自主権と革命の獲得物を立派に守護することができた。

 金日成主席は、次のように述べている。

 「党の指導のもとに、我が人民は一丸となって立ち上がり、民主改革の成果と人民民主主義制度を守るために勇敢に戦って、アメリカ帝国主義者とその手先に恥ずべき敗北を与え、祖国の独立と民族の自主権を誇り高く守りぬきました」(『朝鮮労働党創立30周年にさいして』1975年10月9日)

 主席の正しい指導のもとに、朝鮮人民と人民軍は、アメリカ帝国主義とかいらい一味の武力侵攻を撃破して、革命の参謀部である朝鮮労働党と北半部に樹立された人民民主主義制度と栄えある祖国、朝鮮民主主義人民共和国を英雄的に守り抜き、祖国の独立と民族の尊厳を誇らしく守護した。こうして、朝鮮人民は主席を偉大な指導者として仰ぎ、その指導のもとに祖国の自主的統一と社会主義・共産主義偉業の勝利に向けて力強くたたかっていけるようになった。

 祖国解放戦争の勝利によって全人民が主席のまわりにかたく団結し、革命の主体的力量は著しく強化された。

 金日成主席は、次のように述べている。

 「我が党と人民は、戦争をとおしていっそう強くなり、自己の正義の偉業の勝利を確信するようになりました。
 (略)幹部と党員が鍛えられ、労働者、農民、インテリと全人民が鍛えられ、党と人民がいっそうかたく団結しました。人民軍は強力な革命軍隊に成長しました。
 長年の革命闘争で洗練された老革命幹部とともに、戦火のなかで数十万の新しい革命家が育ち、革命隊列は著しく強化されました」(『朝鮮労働党創立20周年にさいして』1965年10月10日)

 祖国解放戦争をとおして、朝鮮労働党は豊かな経験を積み洗練された革命的党に発展し、人民軍は必勝不敗の革命的武装力に成長した。

 戦争の厳しい試練のなかで朝鮮人民は、政治的、思想的、階級的にいっそう覚醒し、革命的に鍛えられ、数十万の革命家が育ち、革命隊列が著しく強化された。

 朝鮮人民は、戦争をとおして自己の運命を全的に主席に託し、その指導のもとに進むとき必ず勝利するということを確信し、主席のまわりにさらにかたく団結した。

 これは、朝鮮革命を前進させチュチェの革命偉業の最終的勝利をかちとる確固とした保障であった。

 祖国解放戦争の勝利は、国際的にも大きな意義があった。

 金日成主席は、次のように述べている。

 「我が人民は、祖国解放戦争で偉大な勝利をたたかいとることによって、世界『最強』を誇っていたアメリカ帝国主義者の鼻っ柱をへしおり、その『強大さ』にかんする神話を粉砕し、アメリカ帝国主義者が下り坂をあゆむ端緒を開きました」(『朝鮮民主主義人民共和国は、朝鮮人民の自由と独立の旗印であり、社会主義・共産主義建設の強力な武器である』1968年9月7日)

 朝鮮人民は、アメリカ帝国主義侵略者の武力侵攻を粉砕することによって、新しい世界大戦を防止し、社会主義諸国の安全と世界の平和の守護に大きく寄与した。

 祖国解放戦争における朝鮮人民の勝利は、民族の独立と自由をめざしてたたかう世界の数十億人民の反帝民族解放闘争を励まし、小さい国の人民でも自分の力を信じ一致団結して戦うならば、いかなる帝国主義侵略者も十分にうち破ることができることを示した。

 朝鮮戦争は、アメリカ帝国主義者の侵略的本性と強盗さながらの面貌、その脆弱性と滅亡の不可避性を世界人民の前にいま一度あばきだし、被抑圧・被搾取人民の民族的独立と世界の平和は帝国主義者に哀願すべきではなく、妥協することのない闘争によってのみかちとり、維持することができるということを立証した。

 主席は、祖国解放戦争を勝利に導き、革命戦争と現代戦にかんする理論を全面的に発展させた。

 チュチェ思想にもとづく主席の独創的な軍事戦略思想と兵法、巧みな戦略・戦術と用兵術は、世界の革命的人民の共同の財宝となり、帝国主義侵略に抗してたたかう諸国人民の強力な武器となった。主席の正しい指導のもとに、朝鮮人民がアメリカ帝国主義侵略者に反対する正義の祖国解放戦争でおさめた輝かしい勝利は、朝鮮革命と世界革命の発展にとって大きな意義がある出来事であった。          





inserted by FC2 system