『金日成主席革命活動史』

第1節 不朽の労作『断固たる反撃によって武力侵略者を掃討しよう』。アメリカ帝国主義の武力侵攻を撃退し南半部を解放


 長いあいだ侵略戦争の準備を進めてきたアメリカ帝国主義者とかいらい一味は、1950年6月25日の早暁、38度線の全域で共和国北半部に向けて背信的な武力侵攻を開始した。祖国と人民は、危急存亡の岐路に立たされた。

 祖国と民族を救うため、敵の暴虐な侵略戦争に正義の解放戦争でこたえる決意をかためた金日成主席は、即時、対応措置を講じた。

 アメリカ帝国主義とかいらい一味の武力侵攻に抗して朝鮮人民がくりひろげた戦争は、祖国の自由、独立と民族の自主権を守り、南朝鮮人民をアメリカ帝国主義の植民地支配から解放する正義の祖国解放戦争、民族解放戦争であり、人民の敵を打倒する厳しい階級闘争であると同時に、アメリカ帝国主義をはじめとする世界反動の連合勢力に反対し、社会主義諸国の安全と世界の平和を守る熾烈な反帝反米闘争であった。

 1950年6月25日、内閣非常会議を招集した主席は、『断固たる反撃によって武力侵略者を掃討しよう』と題する歴史的な演説をおこない、アメリカ帝国主義とかいらい一味の武力侵攻に対処する方針を示した。

 金日成主席は、次のように述べている。

 「人民軍は、敵の侵攻を粉砕し、即時、断固たる反撃に転じて武力侵略者を掃滅しなければなりません」(『断固たる反撃によって武力侵略者を掃討しよう』1950年6月25日)

 主席は、アメリカ帝国主義侵略者とかいらい一味の武力侵略を撃退して反撃に転ずるのは容易ではないが、労働党と共和国政府があり、強力な人民軍と強固な後方があり、国際的な支援がある以上、いかなる敵も十分に撃破し必ず勝利することができると指摘した。

 主席の反撃方針は、アメリカ帝国主義とかいらい一味の武力侵攻を挫折させて南朝鮮人民を解放し、共和国の旗のもとに祖国統一を成就しようという朝鮮人民の革命的立場を反映した主動的な方針であり、戦争に勝利する現実的な条件と可能性についての正しい分析にもとづく科学的な方針であった。

 主席はつづけて、全面的な反撃戦の課題を具体的に示した。主席は敵を撃滅するためには、人民軍部隊を前線に出動させて戦力を増強し、人民軍の進攻速度を高め、党および国家・経済機関の活動を戦時体制に切り替え、戦争勝利に向けて総力を動員し、戦時の環境に即して厳格な社会秩序を確立し、スパイ、破壊・謀略分子、不純分子、異分子とのたたかいを強め、人民軍と警備隊の援護活動を強化し、人民軍の隊伍を不断に補充しなければならないと強調した。

 主席は翌26日、『すべての力を戦争勝利のために』と題する歴史的な放送演説をおこない、戦争勝利への戦闘的課題を重ねて明らかにしたのち、祖国の領土からアメリカ帝国主義武力侵犯者とかいらい一味を一掃する正義の戦いに総決起するよう全朝鮮人民と人民軍将兵に呼びかけた。

 主席はさらに、戦争に対処するためのさまざまな革命的措置を講じた。

 主席はまず、各級党組織と全党員に党中央委員会の手紙を送り、戦時状況に即応して党の活動を改編し、党組織の戦闘力と党員の前衛的役割を高め、党内に革命的規律を確立し、全党員にいつでも敵と戦いうる万端の準備をととのえるよう呼びかけた。

 また、統一戦線活動を強化し、各政党、大衆団体が反米闘争で統一行動をとり、各階層人民を戦争に決起させる措置をとった。

 さらに、すべての活動を戦時状況に即応させるため軍事委員会を組織し、これにいっさいの権力を集中する強力な中央集権的戦時動員体制を確立し、国家防衛、社会秩序および国家安全を保障する戦時状態を宣言し、国家の総力を戦争勝利に動員するための戦時動員令をしいた。

 また人民軍の指揮系統を改編し、多くの抗日革命闘士と優秀な党員を人民軍に派遣して新師団を編成した。これとならんで人民経済を戦時状況に即して改編し、軍用物資の大量増産をはかり、全国の工場、企業所、農村に自衛隊を組織し全人民が武装して職場と村を守るようにした。

 これらの措置によって短時日に全国が戦時体制に切り替えられ、全党、全人民、全軍が単一の戦闘隊伍に組み入れられた。主要な工場地区で労働者連隊が組織されて前線に出動し、青年学生は競って軍隊に入隊するなど全人民が戦争勝利のために立ちあがった。

 主席は、戦争勝利の軍事戦略的方針を示し、それを貫くたたかいを指導した。

 金日成主席は、次のように述べている。

 「その時期における我々の戦略計画は、アメリカ帝国主義者が大兵力を動員する前に、李承晩かいらい軍とすでに我が国土に侵入したアメリカ軍を短時日のうちに掃討し、人民軍を釜山、馬山(マサン)、木浦(モポ)、麗水(リョス)、南海(ナヘ)界線にまで進出させて全国土を完全に解放し、我々の兵力を全国各地に機動的に配置することによって、アメリカ帝国主義の増援部隊の上陸を阻止することにありました」

 主席は、この戦略的方針を実現するためには、人民軍部隊が敵に連続的な打撃を加え、敵を追撃するだけでなくその基本集団を包囲せん滅すべきであり、主打撃方向を戦線西部に定め、人民軍主力部隊が速やかにソウル解放作戦を展開するようにした。

 この戦略的方針にもとづいて全戦線で反撃に転じた人民軍は、いたるところで敵にせん減的打撃を加え、6月28日には敵の中心拠点であるソウルを解放した。ソウルの解放によって敵は崩壊の危機に陥り、人民軍と人民は戦争勝利への確信をいだき、士気を奮い立たせた。

 主席はソウル解放後、人民軍部隊に、追撃の手をゆるめず、ただちに主要港湾都市の一つである仁川と敵の「第2根拠地」水原(スウォン)を解放し、戦線中部と東部では忠州(チュンジュ)−三陟界線を解放することを命令した。この戦闘命令にもとづいて、人民軍部隊は敵に新たな防御界線に依拠するいとまを与えず、連続的な打撃を加えながら進撃速度をはやめた。かいらい軍による共和国北半部への侵攻企図が破綻したアメリカ帝国主義は、空軍と艦隊を増派し地上部隊を大量に投入する一方、追随国の軍隊まで動員しようと策した。

 こうした戦局の推移は、アメリカをかしらとする帝国主義連合勢力の攻勢にたいする積極的な対応策を講じることを要請した。

 主席は1950年7月8日、『アメリカ帝国主義者の武力侵略を断固撃退せよ』と題する放送演説のなかで、アメリカ帝国主義の凶悪な策動と野蛮な本性をあますところなく暴露し、全人民と人民軍軍人にアメリカ帝国主義侵略者の徹底的な撃滅を呼びかけた。主席の放送演説は、朝鮮人民と人民軍将兵をアメリカ帝国主義侵略者を掃討する正義の戦争に奮起させる戦闘的な綱領となった。

 主席は戦闘が熾烈になるにつれて前線連合部隊の攻撃作戦を円滑に指揮するために、前線司令部の役割を高め、各軍部隊に軍事委員を派遣して人民軍にたいする党の指導と政治活動を強化する措置を講じた。

 アメリカ帝国主義侵略者は、錦江(クガン)と小白(ソペク)山脈の天然の要塞を利用して人民軍の進撃を阻もうと試み、錦江南岸に堅固な防御陣地をきずき、大田に大兵力を集結した。大田は、中部朝鮮と湖南(ホナ)・嶺南(リョンナ)地方を結ぶ戦略的要衝であり、ソウルから敗走した敵が「臨時首都」に定めた基本根拠地であった。アメリカ帝国主義はここに強力な防御陣地を構築し、それを「不退の線」「最終防御線」であると豪語していた。

 アメリカ帝国主義侵略者の新たな戦略的企図を察知した主席は、錦江をいちはやく渡河し敵の縦深にある大田地域でアメリカ帝国主義侵略軍の基本兵力を掃滅することによって、南半部の広い地域を速やかに解放する有利な局面を開くことを計画し、前線司令部に出向いてみずから作戦を指揮した。そして、錦江を渡河した人民軍部隊は緊密な協同作戦によって、大田に集結した敵を正面と側面から攻撃する一方、一部部隊は大田の東南方にすばやく迂回して敵の退路と増援部隊の進撃路を遮断し、敵を包囲せん滅するよう命令した。

 主席の指揮に従って、人民軍部隊は大包囲攻撃作戦を展開し、「常勝師団」といわれたアメリカ帝圏主義侵略軍第24師団を全滅し、多数のかいらい軍を掃討して7月20日、大田を解放した。

 金日成主席が指揮した大田解放作戦は、機敏な移動で敵の企図を粉砕し、その大集団を一撃のもとで掃滅した現代包囲戦の手本であり、現代帝国主義の軍事戦略にたいする主席の主体的な戦法とすぐれた用兵術の勝利であった。

 主席は大田解放作戦後、人民軍部隊の戦闘力を強化する一方、全戦線にわたって軍事活動を積極的に展開し、大邱、釜山界線に敗走する敵を追って南へ進撃するよう命令した。

 主席は、前線の南方への移動にともなって生じる障害を打開し、反撃戦の成果をひきつづき拡大する積極的な対策を立てた。

 前線が遠く南へ移るにともなって、急速にのびる海岸沿線の防御を強化し、敵の「空の圧力」を粉砕し、遠方の前線へ軍用物資を円滑に補給することが、戦争遂行上の難題として提起された。

 主席は海上からの敵の侵攻を防ぐため、海岸防御部隊を急速に増強し、同時に一部の部隊をさいて東西両海岸の防御を強化した。そして、各道に防御地域軍事委員会を組織して道内の人民軍部隊と内務機関、特別自衛隊と人民を統一的に指揮する措置を講じた。また、敵の「空の圧力」を粉砕するため、前線では山地での戦闘と夜間行動を強化して敵機の攻撃を避ける一方、人民軍高射砲部隊の活動を強め、狙撃兵器による対空班を組織するなど対空戦を強化し、敵機の行動を制約した。さらに前線への補給路がのび、敵機の爆撃が激化する状況のもとでも軍用物資の輸送を円滑に保障するため、鉄道運輸部門を軍事体制に改編し、後方人民のあいだで前線輸送を支援する大衆的運動を展開する措置を講じた。

 主席はまた、地上で敵を大量に掃討し、攻撃速度を高めるための一連の対策を立てた。

 当時、一部の事大主義に染まった指揮官は、朝鮮の実状に合わない外国式「歩兵戦」を適用して軍事作戦に支障をもたらし、また、大道路の進撃に終始し、敵が退勢を立て直して反撃に転ずる余裕を与えた。

 主席はこうした事態を収拾するため.危険をおかして8月1日再び忠州南方の水安堡(スアンポ)にある前戦司令部に行き、指揮官・政治活動家会議を招集した。そして、作戦遂行上の重大な欠陥を指摘し、主体的な戦略・戦術的方針を貫くための課題を示した。

 会議の席上、主席は、朝鮮の地形と武装装備に合う戦法をもって敵を掃滅すべきであると指摘し、大道路を進撃するだけでなく、山道や稜線伝いに大胆に側方と後方に迂回して敵を包囲せん滅し、特に夜間戦闘を強化し、砲兵火力を積極的に利用すべきであると強調した。さらに、部隊の攻撃方向と敵の掃滅地域を具体的に指摘し、大胆に予備隊を戦闘に投入して攻撃兵力を増強するよう指示した。

 人民軍連合部隊は、この方針にもとづいて歩兵と砲兵の協同作戦を強化し、河川と山地の多い朝鮮の地勢を巧みに利用して、敵を迂回包囲し、山地戦と夜間戦闘を進めながら進撃速度を早めて洛東(ラクトン)江防御線を突破し、朝鮮東南端の狭い地域に敵を追いつめた。人民軍部隊は、主席のすぐれた用兵術と主体的な戦法によって、開戦後わずか1か月余りのあいだに、南朝鮮かいらい軍の基本集団とアメリカ帝国主義侵略軍の主力を掃滅し、南半部地域の90%以上、人口の92%以上を解放した。

 主席は、解放地域におけるアメリカ帝国主義植民地支配体制の撤廃と民主的社会経済改革の実施を正しく導いた。

 金日成主席は、次のように述べている。

 「我が党と共和国政府は、解放された南半部人民に民主的な権利と自由を保障し、物質・文化生活を急速に向上させるため民主改革を実施し、売国奴李承晩一味の警察支配機構を一掃して人民政権機関を復活させました」(『現情勢と当面の任務』1950年12月21日)

 解放された南半部地域で直ちに民主的社会経済改革を実施したのは、アメリカ帝国主義とかいらい集団の反動的支配体制を一掃して、南半部人民に速やかに其の生活を保障し、前線がひきつづき南へ移動する状況のもとでも、人民軍が堅固な後方をもち人民の支援のもとにたえず戦果を拡大していけるようにするためであった。

 激戦のつづく戦時下において、社会経済改革を実施することは容易なことではなかった。アメリカ帝国主義の野蛮な爆撃のため解放地域の人民は生活が安定していなかったばかりか、久しい反共宣伝にまどわされて共和国の人民民主主義制度にたいする偏見と疑惑を捨てきれずにいた。敗走する敵が残したスパイ、謀略分子の破壊活動もつづき、アメリカ帝国主義のスパイ朴憲永、李承Y(リスンヨプ)一味はソウルで「土地調査委員会」などのテロ団体を組織し、多数の愛国者と党員を暗殺し、党政策の実施を悪らつに妨害していた。

 主席はこうした事態を深く見きわめ、南半部の解放地域における社会経済的変革の具体的方針を明らかにし、経験に富む幹部と政治工作員を多数派遣して南半部人民の闘争を援助した。そして、前線連合部隊の作戦を指揮する多忙ななかでも、ソウルや議政府(イジョンプ)をはじめ、各地の解放地域に出向いて民主改革の進行状況を理解し、改善対策を講じた。

 主席の指導のもとに、南半部の解放地域では、党組織と政権機関、大衆団体が急速に再建され、郡、面、里(洞)人民委員会の選挙が成功裏に進められた。そして、無償没収、無償分配の原則にもとづいて土地改革が実施され、労働法令、男女平等権法令など民主的諸施策が実施された。その結果、南半部の広大な解放地域では、アメリカ帝国主義とかいらい集団の反動的支配体制が一掃されて人民民主主義制度がうち立てられ、人民は植民地的・封建的搾取と抑圧から解放されて、社会の主人として真の生活を享受するようになった。

 南半部人民は、主席の限りない恩情に忠誠をもってこたえるため、そのまわりにかたく団結して祖国解放の戦いにこぞって立ちあがった。かれらは、工場と農村で増産闘争を力強く展開し、敵機の激しい爆撃や砲火をおかして破壊された橋や道路を復旧し、前線に弾薬を運んだ。

 人民軍連合部隊は、後方人民の援護に励まされ、狭い地域に圧縮した敵に猛撃を加えた。決定的な敗北に直面したアメリカ帝国主義は、窮地からぬけだすため1万余平方キロメートルの狭い地域に数10万の兵力を投入した。前線では、連日、熾烈な攻防戦が展開され、敵は敗退を重ねた。

 アメリカ帝国主義侵略者は退勢を立て直すため、膨大な兵力と戦闘技術機材を動員して侵略戦争の拡大をはかった。その結果、朝鮮人民の祖国解放戦争は、一時、難局に直面することになった。





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