『金日成主席革命活動史』

第7節 アメリカ帝国主義者の世界制覇の野望をくじき、
平和と民主主義を守るたたかいを促進


 第2次世界大戦後帝国主義の旗頭となったアメリカ帝国主義者は、世界制覇をめざして新たな戦争挑発に狂奔した。

 かれらは世界のいたるところに軍事基地を設け、「北大西洋条約機構」をはじめ各種の軍事ブロックをつくり、追随国の反動派をもって侵略勢力を拡大し、西ドイツと日本の軍国主義の復活をはかった。また、反帝的立場が強く革命的な国は侵略戦争によって軍事的に占領し、そうでない国は内部から切り崩して支配しようと企てた。アメリカ帝国主義者は、狡猾な「原爆外交政策」「ドル外交政策」「トルーマン・ドクトリン」「マーシャル・プラン」などで、一方では世界各国人民を威嚇し、他方では崇米思想を広めようとした。かれらの陰険な世界戦略を見ぬけず、その威嚇と圧力に屈した一部の人々は、世界「平和」を云々して反帝反米闘争を放棄し、民族の独立と社会的進歩をめざす諸人民のたたかいに重大な障害をもたらした。

 アメリカ帝国主義者は、特に朝鮮侵略の策動を露骨にした。朝鮮を完全な植民地にして世界制覇の拠点をつくろうと、南朝鮮の植民地支配を強化する一方、共和国北半部を目標とする戦争準備を急ぎ、朝鮮人民の思想的武装解除をはかって、さまざまな反動思想をまき散らした。

 情勢は、アメリカ帝国主義の新たな世界戦略をうち破って平和と民主主義を守り、朝鮮革命を促すとともに、祖国の自主的平和統一のたたかいを強化することを焦眉の急務とした。

 主席は、1949年12月、党中央委員会第2回総会報告と結語など多くの著作で、アメリカ帝国主義の新たな世界戦略に対応する革命的な闘争方針と、祖国統一の闘争課題を明らかにし、なによりもアメリカ帝国主義者にたいする幻想を捨て、断固とした立場と態度を堅持すべきであると強調した。

 金日成主席は、次のように述べている。

 「アメリカの歴史を見ても、こんにち南朝鮮に上陸したアメリカ軍のふるまいを見てもそうですが、どの面からしてもアメリカに幻想をいだいてはなりません」(『民族運動家におこなった談話』1945年11月5日)

 第2次大戦後世界の多くの国にアメリカ帝国主義の「強大さ」の神話がひろまり、かれらを「解放者」「援助者」とする幻想が色濃かった。これは、平和と民主主義、民族の独立と社会の進歩をめざす人民のたたかいに大きな支障をもたらし、原則的な立場に立って反米闘争を進めることを困難にしていた。

 こうした事態を的確にとらえた主席は、アメリカ帝国主義者の侵略的本性と世界制覇の野望を暴露し、かれらを世界反動の元凶、狡猾で暴虐な侵略者と規定づけ、アメリカ帝国主義者にたいしてはいかなる幻想もいだいてはならず、あくまで断固としてたたかうよう強調した。

 主席はまた、アメリカ帝国主義者の侵略策動を粉砕して戦争を防ぎ、平和を守るうえで共産主義者と革命的人民が堅持すべき原則的立場を明らかにした。

 金日成主席は、次のように述べている。

 「こんにちの国際情勢は、国際民主勢力が団結してたたかうならば、帝国主義者の戦争挑発策動を粉砕し、戦争を防止できるということを確信させてくれます。(略)

 我々は勝利の確信をもって、帝国主義者、戦争放火者に反対する闘争を強力に展開しなければなりません」(『朝鮮労働党中央委員会第2回総会での結語』1949年12月18日)

 主席は、歴史的経験は、帝国主義者が窮地に陥れば陥るほど戦争に出路を求めようと躍起になることを示し、戦争を防止して平和を確立し、世界革命を促すためには、反帝闘争を強化すべきであると強調した。

 主席は、反帝闘争で重要な問題は、国際反動のかしらであるアメリカ帝国主義と仮借なくたたかい、かれらの西ドイツおよび日本軍国主義の復活策動を破綻させることであるとし、世界各国人民は、帝国主義者の戦争策動と新植民地主義政策を排撃し、帝国主義者の戦争恐喝政策にひるむことなく断固たる立場と原則的な態度を堅持し、警戒心を高め侵略に備えて万端の準備をととのえるとともに、かれらの経済援助を排撃して自立的民族経済を建設すべきであると強調した。
 
 主席はさらに、反帝闘争において世界平和愛好勢力の団結をはかるべきであるとし、反帝反米闘争と平和運動の発展にとって決定的な意義をもつ労働者階級の統一団結と国際共産主義運動の統一団結の強化および世界平和愛好人民の連帯をはかる原則的な問題を明らかにした。
 
 主席は、革命的な国々を分裂させ内部から切り崩そうとするアメリカ帝国主義の策動への対応策を示した。すべての国で、アメリカ帝国主義者と国内反動によるブルジョア思想や退廃的な風潮、アメリカ的生活様式の浸透に強く反対し、その反動性と腐敗相を暴露して人民の政治的・思想的覚醒を促すことであり、また思想教育活動を強化してすべての人々がさまざまの日和見主義やセクト主義、ブルジョア民族主義思想を排撃し、労働者階級の革命思想で武装することであった。
 
 主席は特に、朝鮮におけるアメリカ帝国主義者とかいらい一味の戦争策動を粉砕し、平和的祖国統一を達成する方途を具体的に示した。すなわち、北半部の民主基地を強化し、全国的に広範な大衆を結集すれば、アメリカ帝国主義者とかいらい一味の内乱挑発策動を破綻させ祖国を統一することが十分可能であり、このためには、北半部では勤労者の統一団結と戦闘力を強め、民主基地を経済的に強化するとともに、人民軍を強化して国の防備を鉄壁となすべきであり、南半部では合法的活動の可能性を残らず利用して反動団体の影響下にある勤労者を獲得し、各種形態の反米救国闘争をもりあげるべきである。
 
 主席のこの方針と方途は、労働者階級の革命的原則を堅持し、国際共産主義運動の団結を強化して世界革命を促進するうえではかりしれないほど大きな意義があり、アメリカをかしらとする帝国主義者の侵略と戦争政策に反対し、平和と民主主義に向けてたたかう世界の共産主義者と革命的人民を励ました。それらはまた、アメリカ帝国主義者の戦争策動を粉砕し、祖国の自主的統一を達成するためにたたかう朝鮮人民の行動綱領であった。
 
 主席は、アメリカ帝国主義の侵略策動をしりぞけて平和と民主主義を守り、世界革命全般を発展させるため、大きな力を傾けた。共和国政府と各大衆団体は多くの声明やアピール、国際組織あての書簡などで、アメリカ帝国主義の侵略的本性と朝鮮をはじめ、世界各地で強行している侵略と戦争策動を全面的に暴露した。また、世界平和大会その他多くの国際会議でも朝鮮代表は、アメリカ帝国主義者が世界制覇の野望を遂げようと国際協約まで踏みにじって横暴の限りを尽くし、ファシスト国家の復活に奔走していることを糾弾した。こうして、世界の革命的人民は、高度の警戒心をもって反米闘争をくりひろげていった。
 
 主席は、世界被抑圧人民の反帝民族解放闘争にたいしても支援を惜しまなかった。アメリカ帝国主義者が、 中国国民党反動を操って国内戦争を起こしたとき、かれらの侵略的・反革命的本質を暴露する一方、中国人民の国内革命戦争を支持して、抗日革命闘争のなかで育成した多くの共産主義者と朝鮮人民のすぐれた子弟を派遣するなど、物心両面から積極的な支援をおこなった。また、フランス侵略者に抗する東南アジア人民、オランダ植民地主義者とたたかうインドネシア人民、イギリス帝国主義者の武力干渉を排撃するギリシア人民その他各国人民の自主権守護のたたかいを支援した。
 
 主席は、人民民主主義諸国との国際連帯の強化と、国際共産主義運動の発展にも努力した。1948年10月〜1950年1月にすべての人民民主主義国と外交関係を結んで民主陣営の統一と団結に貢献し、友邦諸国を公式訪問して親善団結を強めるとともに経済的・文化的協力を深めた。そして、大衆団体の国際機構への加入と積極的な活動を通じて、国際労働運動と共産主義運動の発展に寄与した。

 主席のすぐれた指導とたゆみない活動によって、アメリカ帝国主義の新たな戦争策動は阻まれ、各国人民の反帝反米闘争が前進を遂げ、朝鮮革命と祖国統一に有利な局面が開かれた。

 主席は、朝鮮におけるアメリカ帝国主義の戦争策動を破綻させ、祖国の自主的平和統一を促すたたかいを正しく導いた。

 アメリカ帝国主義者と南朝鮮かいらい一味は、1949年に戦争を引き起こす計画で、共和国北半部侵攻の準備に拍車をかけた。

 アメリカ帝国主義者は、軍備を拡張し、南朝鮮青壮年を徴集してかいらい軍兵力を大々的に増強し、本土と日本から莫大な兵器や戦闘技術機材を南朝鮮にもちこむかたわら、38度線一帯で攻撃陣地を増築し兵力を集中配置した。

 かれらは、1949年初から高山(コサン)峰、松嶽(ソンアク)山、銀波(ウンパ)山、国師(クサ)峰など38度線全域で大がかりな武力侵攻を強行した。一方、共和国北半部に続々とスパイ、破壊・謀略分子を送りこんで諜報活動や軍需工場、鉄道、橋梁、逓信機関の破壊に躍起になった。

 主席はこれらの策動に対処して、積極的な対策を講じた。人民警備隊は、北半部に武力侵攻した敵に強力な反撃を加えて、革命の獲得物を守った。また、政治・思想教育活動の強化によって、全人民は常時動員態勢をとり、同年6月には全党員に送る党中央委員会の手紙に接して革命的警戒心をいちだんと高め、反革命分子およびスパイ・謀略分子と強くたたかった。こうした結果、敵の1949年侵攻計画は挫折した。

 しかし、あくまでも戦争を引き起こそうと躍起になっていたアメリカ帝国主義侵略者は、1950年には南朝鮮かいらいと「南朝鮮・アメリカ相互防衛援助協定」をはじめ、多くの「協定」を結んでかいらい軍を完全に統制下におき、軍事援助を強化してかいらい一味を戦争挑発へとそそのかし、情勢を戦争瀬戸際へと導いた。

 主席はこの重大な事態にてらして、かれらの戦争策動を破綻させ、祖国の平和統一をはかる新たな救国対策を講じた。

 1950年6月、祖国統一民主主義戦線中央委員会は、『平和的祖国統一方策推進にかんするアピール』を南朝鮮の民主的政党・大衆団体および人民に送って、8.15解放5周年を契機に民主的原則にもとづく南北総選挙を実施し、統一的な最高立法機関を創設するよう提案した。

 また、最高人民会議常任委員会は、南朝鮮かいらい当局が総選挙を恐れていることを考慮して6月中旬、共和国最高人民会議と南朝鮮「国会」を連合し全朝鮮的立法機関を創設する方法で、祖国を平和的に統一しようという主動的な方案を提起した。

 主席のこれらの措置は、全力をあげて戦争を防ぎ、祖国を平和的に統一しようとする全朝鮮人民の一致した念願を反映した最も正しい方案であった。

 しかし、アメリカ帝国主義者と南朝鮮かいらい一味は、これらの誠意ある提案をすべて拒否し、ついに侵略戦争を引き起こした。





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