『金日成主席革命活動史』

第4節 大衆獲得のたたかい


 金日成主席は党創立後、広範な大衆の結集に大きな力を傾けた。

 金日成主席は、次のように述べている。

 「新しい民主朝鮮を建設できるか否かの問題は、いつに我々が共産党を強化し、民族統一戦線を結成し、広範な大衆を共産党のまわりに結集させることに成功するかどうかにかかっています」(『新しい朝鮮の建設と民族統一戦線について』1945年10月13日)

 広範な大衆を党のまわりに結集することは、党を強化し革命に勝利するための根本問題の一つである。

 広範な大衆を結集することによって、党は大衆的基盤のうえに立つ強力な革命的党となり、労働者階級の前衛としての役割を果たし、反革命勢力にたいする革命勢力の決定的な優位を確保し、革命闘争を勝利に導くことができる。特に、共産党の創立と同時に新しい祖国の建設を指導しなければならなかった事情と、アメリカ帝国主義と反動勢力が革命勢力の分裂をはかり、各党各派が大衆の抱きこみに奔走していた解放直後の複雑な情勢のもとで、大衆を獲得する問題は特に重要な問題であった。

 主席は、人民大衆を政治的に覚醒させる活動に大きな力を傾けた。

 金日成主席は、次のように述べている。

 「我々の当面の課題は、まだ十分にめざめていない大衆を早く教育して、かれらが真の民主主義のためにたたかうようにすることであります。大衆は、誰が自分たちの利益を擁護し、誰がそれをそこねているかをはっきり見分けられずにいます。したがって全力を尽くして、大衆のなかで我が党の主張をたえず宣伝しなければなりません」(同上)

 日本帝国主義の反共宣伝と、解放後の内外の敵の策動のため、朝鮮人民の政治的意識水準は低く、祖国建設にたいする認識も不十分であった。こうした状況のもとでは、大衆政治キャンペーンを活発に展開して大衆を政治的に覚醒させることがなによりも重要であった。

 主席は、大衆のなかで党の路線と政策、とくに建国路線と進歩的民主主義についての宣伝活動を広く展開して、共産党が勤労大衆と民族の利益を代弁し擁護する唯一の政党であることを認識させることによって全人民を党のまわりに結集し、建国事業に奮い立たせていった。これとあわせて、人々のなかに残っている植民地的奴隷根性を捨て、民族的自負心を高めるよう勤労者にたいする教育を強化し、かれらが主人らしい態度で新しい民主朝鮮の建設にのぞむようにした。また、勤労大衆の階級的自覚を高め、政治思想教育を強化して、かれらが敵味方を見分け、アメリカ帝国主義とその手先をはじめ、あらゆる反動勢力、反民主勢力と断固たたかうよう導いた。

 主席は、人民大衆を組織に結集する活動にも力を注いだ。

 金日成主席は、次のように述べている。

 「大衆を結集するためにはまず、大衆を組織的に結集する活動を正しくおこなわなければなりません。我々は、大衆団体を広範に組織して、労働者は労働者組織に、農民は農民組織に、青年は青年組織に、女性は女性組織に、文化人は文化人組織にそれぞれ結集させなければなりません」(『新しい朝鮮の建設と共産主義者の当面の任務』1945年9月20日)

 主席は、階層別または職業別に単一の組織体系によって大衆団体を結成する方針を示した。この方針は、利害関係の共通点によって大衆を結集する独創的な方針であり、反動的ないし中立的大衆団体が別途に結成されるのを防いで、大衆団体にたいする党の指導を確立する正しい方針であった。

 主席は、革命勢力を分裂させる反動分子や分派分子の策動を蹴って、大衆団体の結成をおし進めた。ここでは、革命の指導階級である労働者の統一的な大衆政治組織の結成に第一義的な関心が払われ、1945年11月には職業同盟が結成された。ついで、翌年1月には農民同盟が、1945年11月には民主女性同盟が結成された。

 主席は、また青年を単一の青年組織に結集する活動に大きな力を傾けた。

 金日成主席は、次のように述べている。

 「我々は、共産主義青年同盟を民主青年同盟に改組し、これにすべての青年学生を結集させなければなりません」(『我が国におけるマルクス・レーニン主義党の建設と党の当面の任務について』1945年10月10日)

 党の後続部隊であり革命の未来である青年大衆を単一の組織に結集することは、革命と祖国の将来にかかわる極めて重大な問題の一つである。解放直後の情勢は、広範な青年が参加する単一の大衆的青年組織の早急な結成を切実に求めていた。

 解放直後に組織された共産主義青年同盟は、共産主義思想を支持する無産青年のみを加盟させる青年組織であった。当時共青以外にいくつもの青年組織があったし、各政党も青年を自己の影響下に引き入れようと奔走していた。こうした状況のもとで各階層の青年を網羅する単一の大衆的青年組織がなければ、青年運動の分裂をまねく恐れがあった。

 そこで主席は、「愛国的青年は、民主主義の旗のもとに団結せよ」というスローガンを示し、共青を大衆的青年組織である民主青年同盟に改組し、青年大衆を単一の民主青年組織に結集する路線を提起した。

 この民青組織路線は当時、青年運動の分裂を防ぎ、愛国青年を民主主義の道、革命の道に導く最も正しい路線であり、共産党の後続部隊を広い基盤のうえで育成する積極的な路線であった。

 主席は、民青組織路線の貫徹に力を注いだ。

 分派分子は、この路線を青年運動の「退歩」であり青年組織の「右翼化」だと言って反対し、その実行を怠った。反動勢力も青年学生が民主主義の旗のもとに団結するのを必死に妨害した。

 主席はこうした分裂策動を粉砕し、民青組織路線を積極的におし進めた。1945年10月末に開かれた民主青年活動者大会では民主青年同盟の創立方針を示し、その正当性を明らかにした。また多くの青年活動家や青年学生と会って、民青組織路線の具体的な実行方途とその対策を教えた。こうした綿密な準備にもとづいて11月末には平安南道民主青年団体結成大会が開かれ、ひきつづき各道でも同様な措置が講ぜられ、1946年1月17日には民主青年同盟が結成された。

 主席の賢明な指導によって、不滅のチュチェ思想を指導指針とし、抗日革命闘争の革命伝統を継承した広範な大衆団体が組織され、短時日に各階層の大衆が主席のまわりに結集するようになった。

 主席は、民主主義民族統一戦線運動にも大きな力を傾けた。主席は、『新しい朝鮮の建設と民族統一戦線について』『民族統一戦線問題について』など多くの著作で、民主主義民族統一戦線運動の目的と、その方向、原則、形式、方法などを全面的に提起した。

 金日成主席は、次のように述べている。

 「民主主義人民共和国を建設するためには、労働者階級と農民だけでなく、民族資本家をも含むすべての愛国的民主勢力が参加する統一戦線を結成しなければなりません」(『新しい朝鮮の建設と民族統一戦線について』1945年10月13日)

 主席は、日本帝国主義と封建主義の残りかすを一掃し民主主義人民共和国を建設するためには、労働者階級が中核となり、広範な農民と愛国的インテリ、そして良心的な民族資本家をも網羅する民主主義民族統一戦線を結成すべきであるとし、そのためには共産党の独自性と指導性を確立し、労働者階級と農民との同盟にもとづいてすべての愛国的民主勢力の団結をはかり、動揺する階層にたいしては団結と闘争を正しく結びつけていくべきであると指摘した。同時に、統一戦線の名のもとに無原則に団結しようとする主張を許してはならず、親日派や民族反逆者とは容赦なくたたかい、特に悪質な日本帝国主義の手先を一掃する大衆的闘争をくりひろげるべきであると強調した。

 主席はまた、民主的諸政党と大衆団体が結成されている解放後の実情では、民族統一戦線運動は抗日革命闘争の時期とは違って政党と大衆団体の連合戦線の形をとるべきであるとし、その方向で民主主義民族統一戦線の結成をおし進め、まず、民主党や天道教育友党など友党との統一戦線の強化に努めた。主席は、これらの友党がアメリカ帝国主義や南朝鮮の反動勢力と連係をもたず、民主主義自主独立国家の建設に積極的に参加し、共産党と友好関係を維持するかぎりにおいて統一戦線を結ぶべきであると指摘し、それらの党が正しい道を歩むよう導くとともに、下部統一と上層部統一とを適切に組み合わせて統一戦線を不断に強化した。

 主席は、宗教者との活動にも力を入れた。直接、宗教界の有志と会って共産党の宗教政策と統一戦線政策を説明し、宗教を信じても朝鮮人の精神をもって信ずるべきであって、アメリカ帝国主義の侵略政策に反対し、祖国の自主独立と富強発展のために尽くす愛国的宗教者になるべきであると説いた。こうして、友党と宗教者は、進んで民主主義民族統一戦線運動に参加した。

 主席の指導のもとに民主主義民族統一戦線運動は成功裏に進められ、共産党は広範な大衆をそのまわりに結集し、新しい祖国の建設に立ちあがらせた。





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