『金日成主席革命活動史』

第5節 祖国解放の最終攻撃作戦。
抗日武装闘争の輝かしい勝利


 1940年代のなかばにいたって、祖国解放の最終攻撃作戦を展開する有利な情勢が到来した。

 第2次世界大戦を挑発したファシスト・ドイツは、1945年5月9日、ついに無条件降伏した。ドイツの敗亡は、同盟国、日本帝国主義の滅亡を早めた。かれらは、すべての戦線で敗戦を重ね、国内では先鋭化する階級的矛盾と支配階級内部の深刻な葛藤によって、破局に追いつめられていた。

 主席はこうした情勢にてらして、1945年5月、祖国解放の最終攻撃作戦計画を作成した。

 金日成主席は、次のように述べている。

 「(略)我々は日本帝国主義と最後の決戦を展開する作戦計画を立てました。そのとき、朝鮮人民の関心が、ひとしく日本帝国主義に反対して戦う我々にそそがれており、朝鮮の深い山中には我々と連係を結んで反日聖戦に参加しようと志す人たちが多くひそんでいるという国内の通報資料にもとづいて、朝鮮人民の力で日本帝国主義を打倒し、祖国を解放する計画を立てたのでした」

 主席の作戦計画によれば、朝鮮人民革命軍の主力部隊は迅速に国内に進出して平壌地方をはじめ、平安南北道、咸鏡南北道、黄海道、江原道など各道の有利な山岳地帯を占め、部隊を急速に拡大しながら日帝侵略軍を撃滅する強力な軍事作戦を展開する手筈であった。また、他の部隊は東海岸の主要都市と軍事要衝地帯に上陸し、予備部隊は豆満江と鴨緑江沿岸に進出して部隊を補充し、関東軍を牽制して主力部隊の戦闘を保障することになっていた。他方、全国にアピールを送って、山中にひそむ労働者、農民、青年学生によって部隊の増強をはかり、また朝鮮人民革命軍の進撃に呼応して全人民が蜂起に立ちあがることが計画された。さらに、朝鮮人民革命軍部隊の進撃方向と活動区域を定め、これに対応する兵力の配置計画も具体的に立てられた。

 この祖国解放作戦計画は、国の解放を自力で達成しようという朝鮮人民の確固不動の立場を反映し、その可能性を見きわめた主体的かつ科学的な作戦計画であった。

 作戦計画を遂行するための対策として、まず朝鮮人民革命軍の戦闘力の強化がはかられた。部隊が再編成され、その特性を考慮して指揮官が任命された。また、各部隊が近代的戦法に熟達し、各種の戦闘技術機材に精通するよう訓練を強化し、全般的作戦を保障する兵種間の協同訓練、総合戦術訓練にも力が入れられた。他方、たえず変動する敵情とも関連して軍事偵察活動を強化し、作戦に必要な各種の近代兵器と戦闘技術機材、軍用物資も十分に確保していった。こうして、朝鮮人民革命軍の戦闘力は著しく高まり、決戦の準備態勢は十分にととのった。

 主席は、全人民的蜂起の準備も積極的におし進めた。主な作戦が予定される国内の各地に有能な政治工作員が派遣され、武装組織の拡大、武器の獲得、軍事訓練の強化など、攻撃作戦が開始されれば全人民が直ちに抗戦に立ちあがれるよう、具体的な活動を展開した。

 主席は最終攻撃作戦の準備が完了した直後の1945年8月8日、小部隊を敵の国境要塞区域に送って、恩徳郡土里(トリ)、琿春県南別里、東興鎮などの軍事要衝を奇襲させた。これは、敵に損害を与えるばかりでなくその防衛体制に混乱を引き起こし、要塞区域内の兵力と火力を露出させて最終攻撃作戦の突破口を開くことに目的があった。

 8月9日、ついに朝鮮人民革命軍の全部隊に祖国解放の最終攻撃命令がくだされた。

 主席の命令に接した人民革命軍各部隊は、総攻撃を開始し、対日戦争に参加したソ連軍との緊密な連係のもとに疾風のように進撃した。各部隊は、作戦の初期からたぐいない勇敢さと犠牲的精神、集団的英雄主義をいかんなく発揮した。

 主力部隊は、敵が「難攻不落の防衛線」と豪語していた国境の要塞を猛攻撃して一挙に突破し、豆満江を渡って恩徳一帯を解放した。ついで先鋒、会寧に向けて戦果を拡大しながら国内の広い地域を解放した。また、海岸上陸部隊の先遣隊で活動した一部隊は、地上部隊との緊密な協同作戦を展開して先鋒に上陸し、羅津、清津へと進撃した。一方、作戦の補助方向を担当した部隊も関東軍に致命的な打撃を与えながら豆満江の対岸に進出した。

 作戦計画に従って国内に派遣されていた小部隊と政治工作員も、人民武装隊や武装蜂起組織、広範な人民大衆を武装暴動へと呼び起こした。各地に組織されていた武装隊は、いたるところで日本帝国主義の支配機構をくつがえし、後方を攪乱するたたかいを果敢に展開し、進撃する人民革命軍部隊を支援した。

 部隊の猛攻撃と人民の果敢な反日抗戦によって致命的な打撃を受けた日本帝国主義は、祖国解放作戦を開始したわずか1週間後の1945年8月15日、ついに無条件降伏した。

 しかし、日本帝国主義の首脳部は無条件降伏の宣言後も、「朝鮮の共産化」を「防ぐ」陰険な企図のもとに、侵略軍部隊に戦闘の継続を命じ、「終戦後の治安維持」を唱えて警察を大幅に増強した。敗残部隊と警察は抵抗をつづけ、破壊謀略策動、愛国的人民の虐殺などによって、朝鮮人民の革命的進出を妨害した。

 主席は朝鮮人民革命軍の各部隊に、抵抗をつづける敵の敗残部隊を掃滅し、武装解除するように命じた。こうして、咸興(ハムフン)、元山、陽徳(ヤンドク)、平壌、鉄原(チョルウォン)、海州(ヘジュ)などの各地で掃討作戦が展開され、必死に抵抗する日帝侵略軍を撃破し、武装を解除した。

 一方、各地の人民は政治工作員の指導のもとに、日本帝国主義の反動支配機構を粉砕し、人民的な新秩序を確立するたたかいを展開した。かれらは、憲兵隊、警察機関、官庁などの植民地支配機構を一掃し、敵の破壊謀略策動から産業施設や文化施設を守るために勇敢にたたかった。人民革命軍の隊員と政治工作員は、各地で分散的に活動していた共産主義者や人民大衆を結集し、共産党組織や地方自治機関をつくっていった。

 日本帝国主義の暴虐な植民地支配体制は壊滅し、朝鮮人民はついに半世紀近くの植民地支配から解放された。抗日武装闘争は、朝鮮人民の輝かしい勝利をもって終わった。

 日本帝国主義の支配から解放された祖国の大地は、無限の感激と興奮、歓喜にわき、この日を待望していた人民は、「金日成将軍万歳!」「朝鮮独立万歳!」を、声を限りに叫び、人民革命軍を熱烈に歓迎した。





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