『金日成主席革命活動史』

第4節 全人民的反日抗戦の準備


 金日成主席は祖国解放を目前にひかえて、全人民的反日抗戦の態勢がためをおこなった。

 なによりも反日愛国勢力の全国的結集に力が入れられた。

 金日成主席は、次のように述べている。

 「(略)全国的規模で反日民族統一戦線組織を拡大し、団結できるすべての勢力を結集することは、最後の決戦の帰趨を決する重要なかぎであります」(『朝鮮の革命家は朝鮮をよく知るべきである』1943年9月15日)

 すべての反日愛国勢力を結集してこそ、日本帝国主義との決戦に広範な大衆を動員し、敵を最大限に孤立させて植民地支配をくつがえすことができるのであった。当時、敵の断末魔的な弾圧と収奪によって朝鮮人民はたえがたい状態に追いつめられ、こぞって反日闘争に立ち上がっていた。こうした状況は、ごく少数の親日派、民族反逆者を除く各階層の広範な大衆を一つの戦線に結びつけることを可能にした。

 主席は全国の反日勢力を結集するため、政治工作、地下工作の経験に富む政治工作員を国内の各地に派遣した。かれらは反日民族統一戦線の下部組織を結成して、労働者、農民を中核に青年学生、知識人、良心的な民族資本家、愛国的な宗教者など広範な反日勢力を結集していった。特に、産業中心地の大工場や企業所の労働者を組織し、全人民的抗戦のさい主導的な役割を担当するようにした。国内に派遣された政治工作グループと政治工作員たちは、主席の教えに従って大衆のなかで組織・政治活動を活発にくりひろげた。全国各地に祖国光復会の下部組織をはじめ、各種の秘密革命組織が続々とつくられた。

 例えば、1943年には、秘密組織「金日成隊」が結成された。それは、主席の革命戦士として祖国解放の戦いに一命を投げうつことを誓った愛国的人民の抗戦組織であった。かれらは、反日地下闘争を積極的に展開し、組織網を重要な工場、企業所、港湾、軍事建設場に広げ、日本に徴用されていった朝鮮人労働者のなかにまで組織の線をのばしていった。

 秘密組織は青年学生のあいだでもつくられた。城津(ソンジン=現在の金策−キムチェク)の青年学生は、主席が活動する白頭山が朝鮮革命の根拠地であることにちなんで、「白頭山会」という秘密団体を結成して反日闘争を進めた。

 国内に派遣された政治工作員や政治工作グループ、小部隊の活発な大衆政治工作によって、各階層人民の覚醒は急速に進んだ。特に、主席にたいする信頼と敬慕の念は絶対的なものとなった。それは、金日成主席を民族の太陽、伝説的英雄としてたたえる各種の革命的刊行物やビラ、檄文などが広く流布されたことからも、よく知ることができる。

 主席の輝かしい革命活動史と不滅の業績、巧みな遊撃戦術と戦法、すぐれた用兵術をたたえた『金大将略』と『白頭山将帥』、そして『祖国光復会十大綱領』を百字の漢字でつづった韻文『大綱百字領』などの出版物が人民のあいだで広く愛読された。また、全国各地に「金日成将軍万歳!」「朝鮮独立万歳!」「近日中に金日成大将祖国凱旋」「(略)金日成将軍の進撃を待て!」などのビラが張り出され、それは平壌兵器廠などの軍需工場や統治機関、警防団、日本人の家屋や神社にも張られた。1944年には、釜山(プサン)と下関間の関釜連絡船「興安丸」の船室に「朝鮮独立大将金日成」という文字が書きこまれた出来事さえあった。このころにはまた、主席へのつきない敬慕と忠誠心をこめたさまざまな逸話が語り伝えられ、海外同胞のあいだにも広がっていった。このように朝鮮人民は、主席を民族の太陽、解放の救いの星として慕い、主席の指導のもとに日本帝国主義との決戦にのぞむ決意をかためていた。

 人民の反日気運が急激に高まるなかで、全人民的抗戦の準備に拍車がかけられた。政治工作員と祖国光復会などの地下革命組織は武装団体をつくり、労働者、農民、青年学生をはじめ、広範な大衆を結集して蜂起に合流する万端の準備をととのえていった。特に、山間部では決戦にさいして朝鮮人民革命軍が依拠する根拠地をつくり、徴兵や徴用をこばんで山中にひそんでいる多くの青壮年を結集し、武器を獲得する活動を展開した。

 1944年7月、平壌では武装した反日地下革命組織である「祖国解放団」が結成された。祖国解放団は、朝鮮人民革命軍の最終攻撃作戦に呼応して武装蜂起することを主な目的とし、平安南道と黄海道などで労働者、農民、青年学生のあいだに組織網を広げ、日本帝国主義の警察機関や官公署にまで組織の線をのばす一方、みずから武器をつくり、あるいは敵の武器を奪い、軍事訓練、偵察活動をおこなうなど武装蜂起の準備をととのえていった。

 平安北道、江原道、黄海道そして豊山など咸鏡南北道の各地でも武装団体がつくられた。それらは、広範な人民と青年のあいだで政治宣伝活動をくりひろげて反日闘争を組織する一方、人民革命軍の進撃に合流して武装暴動を起こす準備を進め、各地で日帝侵略者を撃滅する具体的な行動計画を立てた。

 武装団体の活動が積極化していたころ、労働者、農民、青年学生など各階層人民のあいだでも武装暴動の準備態勢が急速にととのっていった。平壌の鉄工労働者は、朝鮮人民革命軍への参加を計画してひそかに武器をつくり、北部朝鮮山間部の農民をはじめ、各地の人民も人民革命軍の祖国進軍の日を待ちながら、それに呼応するための武器、食糧、被服を調達していた。城津、咸典、北青、晋州(チンジュ)など全国各地の人民は、「金日成将軍の武装部隊に入隊しよう!」「金日成将軍の率いる朝鮮人民革命軍の進撃に大衆的武装暴動で合流しよう!」という合言葉のもとに、武装蜂起を準備した。

 釜山草梁(チョリャン)商業学校、全州(チョンジュ)師範学校をはじめ、国内の多くの青年学生、そして東京、大阪など海外留学生も主席の戦士として、朝鮮人民革命軍の祖国解放作戦に呼応する準備をととのえた。

 政治工作員と祖国光復会の各組織は、国内で決戦の基地づくりにも大きな力を傾けた。かれらは、北大峰(プクテボン)山脈、狼林(ランリム)山脈、咸鏡山脈、赴戦(プジョン)高原、蓋馬(ケマ)高原など北部高原地帯や山間部に革命の基地をきずき、軍事活動の準備をととのえていった。

 また、徴兵や徴用をこばんで避難している青年たちを探し出し、戦闘隊列に引き入れた。汶川(ムンチョン)では、「救国青年会」という秘密組織が、徴兵を逃れた青年学生を糾合し、人民革命軍の進撃に合流する具体的な計画を立ててたたかった。慶尚(キョンサン)北道の青年たちも徴兵令状を破り捨て「決心隊」を結成して山中にこもり、武器を獲得して日本帝国主義者に抵抗してたたかった。

 朝鮮人民革命軍に合流するたたかいは、日本軍に徴集された朝鮮青年のあいだでも進められた。慶南道鎮海(チンヘ)の海兵団に所属していた朝鮮青年は、金日成将軍の部隊で祖国独立のために戦うことを計画し、集団的に兵営を脱走した。

 主席は日本帝国主義の滅亡をひかえて、全国各地で各種形態の反日闘争をもりあげた。人民は、政治工作員と革命組織の指導のもとに反日反戦闘争を果敢にくりひろげた。

 労働者たちは、いたるところでストやサボタージュを断行した。1943年夏の羅津埠頭労働者のスト、1943年6月と翌年6月の城津高周波工場労働者のストなど、主要港湾や軍需工場で労働者のストライキがあいついで起こり、敵の戦時輸送と軍需生産に大きな打撃を与えた。また、日本の夕張炭鉱に徴用されていった朝鮮人労働者たちも大衆的なストライキを決行した。労働者たちは戦時生産施設に放火し破壊するたたかいもさかんにおこなった。南浦製錬所労働者の機械破壊闘争、三陟(サムチョク)炭鉱、鎮海の海軍工場、ソウルの「朝鮮航空会社」などでの放火事件、興南窒素肥料工場での爆破事件、朝鮮製鋼株式会社の大火災事件など、放火爆破事件があいついで発生し、日本帝国主義の戦時生産に大きな打撃を与えた。

 農民も農産物の供出と各種の戦時負担や動員に抵抗して激しくたたかった。かれらは、各地で集団的に日本帝国主義の官公署を襲い、糧穀倉庫を破壊し、悪質な手先を処断する果敢な闘争を展開した。

 教員、学生の秘密結社事件や同盟休校事件も全国各地で起き、徴兵、徴用、動員を拒否する青壮年のたたかいも高揚した。

 全国でほうはいとして起こる反日反戦闘争は人民大衆の反日気勢をもりあげ、団結を強めて日本帝国主義者の植民地支配を大きくゆさぶった。

 金日成主席の指導のもとに、全民族を日本帝国主義との決戦に総動員するたたかいが強力にくりひろげられた結果、全人民的抗戦態勢は全面的にととのった。





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