金日成主席は、朝鮮人民革命軍の小部隊活動を指導する一方、隊員の幹部化をはかって軍事・政治訓練に大きな力を傾けた。
金日成主席は、次のように述べている。
「祖国解放の日を目前にひかえ、我々には政治的、軍事的に鍛えられた多くのすぐれた幹部が必要であります。我々が来るべき祖国解放の日を成功裏に迎えうるか否かは、朝鮮革命の中核勢力である朝鮮人民革命軍のすべての指揮幹部と兵士が、みずからをどれほど政治的、軍事的に鍛えるかにかかっています」(『祖国解放の日を成功裏に迎えるために 』1940年8月10日)
朝鮮人民革命軍の政治的・軍事的強化は、祖国解放の時期を早め、日本帝国主義との決戦に勝利し、解放後の国づくりを成功裏に進めるうえでゆるがせにできない問題であった。
主席は、朝鮮人民革命軍のすべての指揮官と隊員を政治的、思想的に軍事技術的に鍛えて、一等級高い職務を担当しうる有能な政治活動家、すぐれた軍事幹部に育成する目標のもとに、軍事・政治訓練を組織した。
まず訓棟の要綱が示され、その準備がととのえられた。軍事・政治訓練の重要な原則は主体性を確立し、訓練を小部隊活動と直結させることであり、したがって、それに準じた独創的な要綱が作成された。また、軍事・政治訓練の指揮部が構成され、政治教員、軍事教員も任命されて、まず、かれらに細心の指導がなされた。主席はまた、訓練の基地を定めてその設営を指導し、人民革命軍部隊の編成も正規軍の体系に改めた。
こうして、1941年の初期にはじまった軍事・政治訓練では、なによりも政治学習に重点がおかれ、朝鮮革命の路線と戦略・戦術および祖国の現実を深く知ることに大きな注意が払われた。同時に軍事訓練にも力が入れられ、すべての指揮官と隊員が遊撃戦術に精通するばかりでなく、現代戦に必要な各兵種の技術を身につけるよう、具体的な措置が講じられた。
主席はその間、講義もおこない、学習討論会や訓練の指導にもあたった。
軍事・政治訓練をとおして全隊員が政治的・軍事的にたくましく鍛えられ、祖国解放の担当者としてれ準備をととのえた。
人民革命軍が軍事・政治訓練と小部隊活動を全面的にくりひろげていた当時、内外の情勢は、全般的に朝鮮革命に決定的に有利に変わっていった。
1943年に入ると、ファシスト諸国は敗色を濃くしはじめた。ドイツ軍はスターリングラードにおける惨敗後、ソ連の領土から駆逐されはじめ、イタリアは1943年7月、ファシスト独裁政権がくつがえされて降伏した。日本帝国主義も中国、東南アジア、太平洋の広大な戦線で守勢に陥り、敗戦をくりかえしていた。
窮地に追いつめられた日本帝国主義侵略者は、朝鮮人民にたいするファッショ的な暴圧と虐殺、殺人的な戦時賦課と動員・収奪に狂奔した。しかし、そうした困難な状況のもとでも、朝鮮人民は、主席の率いる人民革命軍の軍事・政治活動に限りなく励まされて、各種形態の反日闘争を強力に展開した。
こうした内外の情勢は、朝鮮の共産主義者と革命家に日本帝国主義を撃滅し祖国を解放する決戦の準備に拍車をかけることを求めた。
主席はそれにこたえて、1943年9月15日、朝鮮人民革命軍の政治幹部および政治教員を前にして、『朝鮮の革命家は、朝鮮をよく知るべきである』と題する歴史的な演説をおこなった。ここで主席は、第2次世界大戦の全般的推移を分析し、祖国解放の日が迫りつつあることを論証したあと、朝鮮の革命家に課せられた重要な課題を明らかにした。
主席はまず、祖国についての学習をよくおこなうことであると指摘した。
金日成主席は、次のように述べている。
「祖国の解放が迫りつつあるこんにち、我々に提起されている重要な課題の一つは、祖国についての学習をよくおこなうことであります。
我々は祖国と人民をよく知ることなくしては、愛国者、共産主義者としての義務を立派に果たし、朝鮮革命を成功裏に遂行することができません」(『朝鮮の革命家は、朝鮮をよく知るべきである』1943年9月15日)
主席は、朝鮮の革命を責任をもって遂行するためには祖国の歴史と地理、輝かしい文化の伝統を熟知しなければならないと強調し、それらの学習方向について具体的に指摘した。歴史の学習では朝鮮人民の闘争と創造の歴史をしっかり学び、文化伝統の学習では朝鮮人民が人類の科学文化の発展にいかに寄与したかを全面的に研究し、地理の学習では国の豊富な資源についてよく知ることである。
次に主席は、祖国の解放を主動的に迎えるための当面の闘争課題を示した。
金日成主席は、次のように述べている。
「祖国解放の日を主動的に迎えるためには、朝鮮人民革命軍の軍事・政治活動を強化して、みずからの革命勢力をさらにかため、全民族を日本帝国主義者との最後の決戦に総動員できるよう、備えさせなければなりません」(同上)
主席は祖国の解放を早めるためには、第1に全国的な規模で反日民族統一戦線運動を強化し、日本帝国主義との決戦をくりひろげるための強固な大衆的基盤をきずくことであり、第2に国内に強力な組織的拠点としての革命基地を設け、機が熟せばただちに主力部隊が国内に進軍し、それらの拠点に依拠して各地の山中を占め、愛国青年を広く受け入れて決戦にのぞむことであり、第3に、特に朝鮮人民革命軍のすべての指揮官と隊員がみずからを政治的、軍事的によりたくましく鍛え、やがて何等級も高い地位で数千数万の将兵を指揮することができるよう準備することであると指摘した。
主席のこの歴史的な演説は、当面の革命情勢に即して祖国の解放を主動的に迎え、人民革命軍の指揮官と隊員が解放後の国づくりで中核的な役割を果たすようにするための布石として、綱領的な指針となった。
祖国解放の日が近づくにつれて、政治・軍事訓練にはさらに拍車がかけられた。指揮官も隊員も朝鮮革命の戦略・戦術を深く学び、洗練された指導方法を身につけ、祖国の実情と党、国家、武力の建設など国づくりに必要なすべての問題を幅広く研究した。また、抗日武装闘争の過程で形成された遊撃戦争の豊かな経験と遊撃戦法に精通するとともに、正規軍の攻撃および防衛戦術を研究し、上陸訓練、航空陸戦隊の訓練など現代戦法に習熟するための戦術訓練に励んだ。
主席の方針に従って、かれらは、さまざまな障害を克服し、正規の大学や士官学校でも数年はかかるという膨大な学習課題を短期間で習得した。
このような政治・軍事訓練をとおして、朝鮮人民革命軍部隊は祖国解放のための決戦で主動的かつ中核的役割を担当しうる強力な根幹部隊に、そしてまた、祖国解放後の新しい社会づくりを担うすぐれた幹部部隊に成長した。
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