『金日成主席革命活動史』

第1節 小哈爾巴嶺会議。祖国の解放に備える方針を提示


 1940年代に入ると、朝鮮の共産主義者には、祖国の解放を主動的に迎える万全の準備をととのえる歴史的な課題が提起された。それは革命の切迫した要請であった。

 当時朝鮮人民にたいする日本帝国主義のファッショ的暴圧と収奪は、かつてなく強化されていた。朝鮮民族の自主性は、無残に踏みにじられ、人民生活は最悪の状態につき落とされた。日帝侵略者にたいする人民の憎悪の念は絶頂に達し、反日抗戦の気運はかつてなく高まった。金日成主席の賢明な指導による10余年の抗日武装闘争過程で、朝鮮人民革命軍は鋼鉄の隊伍に成長し、また、党創立の組織的・思想的基礎が確立し、広範な愛国勢力が反日民族統一戦線に結集した結果、日本帝国主義との決戦をおこなう強力な土台がととのった。

 祖国解放の準備に万全を期するのは、急変する情勢の要請でもあった。1939年9月ファシスト・ドイツのポーランド侵略にはじまった第2次世界大戦は急速に拡大していった。ドイツは早くもヨーロッパ諸国を占領し、イタリアは東南ヨーロッパと東アフリカの一部の国へ侵攻した。日本帝国主義は、中国大陸への侵略戦争に決着をつけることができないままに、戦火を東南アジア地域に拡大しようとしていた。

 侵略戦争の拡大に乗り出した日本帝国主義は、「銃後の安全」をはかって朝鮮人民革命軍にたいする軍事・政治攻勢と経済封鎖政策をかつてなく強化したが、それは滅亡を前にした最後のあがきにすぎなかった。侵略戦争の拡大によって、かれらは国内的にも国際的にもいよいよ孤立し、政治、経済、軍事的に抜きさしならない泥沼に深くはまりこんでいった。戦線の拡大につれて急増する兵力と軍事物資の需要をみたすことは、とうてい不可能であった。それに朝中人民をはじめ、アジア諸国人民の抵抗が強まり、世界平和愛好人民の一致した糾弾にさらされ、さらには、アジア地域に植民地と利権をもつアメリカ、イギリスなど帝国主義国との矛盾を深めていた。全般的な情勢は、日本帝国主義の滅亡はもはや時間の問題であり、朝鮮人民が祖国の解放を成就する歴史的な日が迫りつつあることを物語っていた。

 主席は、朝鮮革命の要請と情勢の全般的推移を見とおし、1940年8月10、11の両日、小哈爾巴嶺で開かれた朝鮮人民革命軍軍事・政治幹部会議で、『祖国解放の日を成功裏に迎えるために』と題する歴史的な報告をおこなった。

 ここで主席は、過去10年間の抗日武装闘争の成果と経験を総括し、今後の課題は情勢に対処して祖国解放の日を主動的に迎える準備をととのえることであると指摘した。

 金日成主席は、次のように述べている。

 「このような情勢は、我々に祖国解放の日を主動的に迎える準備を成功裏におし進めることを切実に求めています」(『祖国解放の日を成功裏に迎えるために』1940年8月10日)

 主席は、祖国解放の日を主動的に迎えるためには、まず、日本帝国主義との決戦の準備に万全を期し、また、解放された祖国で労働者階級の党と人民政権および人民の軍隊を創建して革命を前進させる準備を同時におし進めなければならないと指摘し、その戦略的課題を示した。

 それはまず、朝鮮人民革命軍の力を蓄積し、強化することであった。

 金日成主席は、次のように述べている。

 「祖国解放の日を主動的に迎える準備をととのえるうえで最も重要なのは、朝鮮革命の中核勢力である朝鮮人民革命軍の力を蓄積しつつ、かれらを有能な政治・軍事幹部に育てあげることです」(同上)

 人民革命軍の力を蓄積し、有能な政治・軍事幹部を育成することは、日本帝国主義との決戦で勝利を達成し、かれらを根幹として解放後の国づくりを成功裏に進める不可欠の条件であった。したがって、無謀な戦闘による損失を避け、主動的に革命勢力を蓄積することは、当時、最も重要な戦略的課題として提起された。

 それは次に、祖国解放に備えて人民を政治的、思想的に鍛えることであった。

 金日成主席は、次のように述べている。

 「祖国解放の日を主動的に迎えるためには、朝鮮人民革命軍の力を蓄積するとともに、人民を政治的、思想的にしっかりと備えさせなければなりません」(同上)

 祖国解放の時期が到来したとき、朝鮮人民革命軍の大部隊作戦と合わせて、日本帝国主義を打倒する全人民的抗戦を展開するためには、人民を政治的、思想的に十分に鍛えなければならなかった。それは特に、当時、日本帝国主義が、朝鮮人民の民族意識と階級的自覚を麻痺させるため、ファッショ的弾圧と反動的思想攻勢をかつてなく強化していた事情と関連していた。

 ついで主席は、以上の戦略的課題を遂行するための闘争方針を示した。

 金日成主席は、次のように述べている。

 「我々は、この戦略的課題を成功裏に実行するため、大部隊作戦から小部隊作戦に移行しなければなりません」(同上)

 当時、大部隊作戦を小部隊作戦に切りかえることは、民族の解放を主動的に迎える準備をととのえるうえでの唯一の正しい方針であった。

 それは、なによりも朝鮮人民革命軍の力を最大限に蓄積する最も正しい方針であった。敵の「討伐」攻勢が、かつてなく強化されているとき大部隊作戦を強行すれば、人民革命軍の損失を避けることができず、反日民族解放闘争に重大な支障をきたすおそれがあった。それに、断末魔のようにあがく敵と正面衝突して革命勢力を弱めるのは、遊撃隊の力を最大限に蓄積しながら多くの敵を掃滅する遊撃戦争の原則とも合わないものであった。

 この方針はまた、人民を政治的、思想的に鍛える最も革命的な方針でもあった。人民を政治的、思想的に鍛えるには、大衆政治工作を強力に進めるべきであり、そのためには多数の小部隊と政治工作グループが広範な反日大衆のなかに入り、地下闘争を強化しなければならなかった。そうして、はじめて日本帝国主義の厳しい弾圧のもとでも広範な大衆を組織し、革命的にめざめさせることができるのであった。

 朝鮮人民革命軍の小部隊作戦への移行は、既に勝利した革命を防衛し、世界革命を全般的に発展させるうえでも有利な条件を提供するはずであった。当時、ソ連は、ファシスト・ドイツと日本帝国主義の反ソ侵攻の危険が増大している緊迫した情勢に対処して、ファシスト諸国の侵攻を阻止し、特に2つのファシスト国家からの挟撃の危険を防ぎ、国防力を強化する時間的余裕を得るため、極東で情勢を緩和する政策を実施していた。したがって、日本帝国主義が朝鮮人民革命軍の戦いを対ソ侵略戦争の口実にしようとしているとき、当分、大部隊作戦を中止するならば、それは社会主義国ソ連を擁護することになり、世界革命の全般的発展にも有利に作用するはずであった。

 主席は最後に、新たな戦略的方針を貫くためには、人民革命軍が広範な反日大衆を結集するための大衆政治工作を強力に展開し、朝鮮と満州の広い地域で小部隊による軍事活動を巧みにおこない、指揮官と隊員がみずからを政治的、軍事的に十分に鍛え、全世界の革命勢力との連帯を強めるために、積極的にたたかわなければならないと指摘した。

 主席のこの報告は、朝鮮人民が十分な準備のもとに日本帝国主義との決戦をおこなって祖国の解放を主動的に迎え、新しい社会の建設を進めるための戦略・戦術的方針を示した綱領的な文書であり、民族解放偉業の最終的勝利を達成するうえで堅持すべき偉大な戦闘的旗印であった。それはまた、植民地・半植民地国の人民が、自力で民族解放革命を成就する方途を示し、国際的な反ファシズム闘争を強化し世界革命をおし進めるうえで重大な貢献をした歴史的な文書であった。

 小哈爾巴嶺会議後、抗日武装闘争は新たな戦略的段階に移り、祖国解放を迎える準備活動が全般的に力強く展開された。





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