『金日成主席革命活動史』

第5節 中日戦争勃発後における敵の背後攪乱作戦。
不朽の労作『朝鮮共産主義者の任務』


 長いあいだ侵略戦争の準備を進めてきた日本帝国主義は、1937年7月7日、ついに中国への全面的な侵略戦争を開始した。情勢は、朝鮮人民革命軍の軍事・政治活動を積極化して日本帝国主義に強力な政治的・軍事的打撃を与え、反日民族解放闘争を強化することを求めていた。

 金日成主席は、1937年8月初めの初水灘における朝鮮人民革命軍軍事・政治幹部会議と8月中旬の指揮官・兵士大会での演説、そして9月に朝鮮人民に送ったアピールで、中日戦争の開始にともなって急変する情勢に対処して新たな戦略・戦術的方針を示した。

 主席は日本帝国主義が侵略戦争を強行しているとき、朝鮮人民革命軍は敵の後方と国境一帯の広い地域で敵の背後攪乱作戦を積極的に展開し、国内に多くの小部隊と政治工作員を派遣して反日民族統一戦線運動を拡大し、人民のあいだで組織・政治工作を強化し、日本帝国主義の大陸侵略政策に反対する闘争を組織すべきであると指摘した。そして、敵の背後における武装暴動と破壊活動の前衛的執行組織として労働者突撃隊を創設すること、特に、朝鮮人民革命軍の積極的な軍事活動に呼応して国内各地で全人民的抗戦をおこなう万端の準備態勢をととのえることを強調した。

 中日戦争の勃発と関連したこの新たな戦略・戦術的方針と当面の闘争課題は、抗日武装闘争を中心とする朝鮮革命全般の高揚をはかり、日本帝国主義の滅亡を促す正しい方針であり、朝鮮人民自身の力で祖国解放の偉業を達成する主体的な方針であった。

 背後攪乱作戦は、まず敵の軍需輸送に打撃を加えることに大きな力がふり向けられた。主席の率いる人民革命軍主力部隊の1937年8月上旬新房子一帯での伏兵戦と双山子付近戦闘、10月の撫松−西崗間道路上での輸送隊奇襲戦その他一連の戦闘は、敵の後方を大混乱に陥れた。

 主力部隊はまた、いたるところで敵の軍事拠点を奇襲した。同年8月、人民革命軍の一部隊は廟嶺に駐屯中の敵1個大隊を奇襲掃滅し、9月には他の部隊が敵の軍事拠点の一つである輝南県城を攻撃し勝利をおさめた。

 人民革命軍の主力部隊の一部が長白、臨江、撫松、輝南、通化、集安などの各県に分散して積極的な遊動作戦を展開しているとき、他の部隊も豆満江沿岸および満州の広大な地帯で敵の後方を攪乱する軍事活動を活発にくりひろげた。

 人民革命軍の敵背後攪乱作戦は、戦争の拡大に熱をあげている侵略軍の軍事活動に大きな打撃を与え、人民革命軍の戦闘力を強化し、人民の反日闘争を限りなく励ました。

 主席は、中日戦争勃発後雄大な戦略・戦術的方針にもとづいて、国内における反日反戦闘争を強化する積極的な活動を展開した。

 国境地帯や産業中心地、軍事戦略上の重要な地帯に派遣された政治工作員は、活発な組織・政治活動をとおして各種形態の反日反戦闘争を組織した。その結果、国内の広い地域に祖国光復会をはじめ、多くの地下革命組織がつくられ、労働者、農民をはじめ、広範な人民が朝鮮人民革命軍の支援活動に参加した。

 鴨緑江流域には半軍事組織である生産遊撃隊が多数組織されて秘密裏に活動し、その他の地方でも労働者突撃隊を組織する準備が活発に進められた。

 軍事的に重要な国内の多くの工場、建設場でストライキ、サボタージュなどの闘争があいついで起こり、農民も日本帝国主義の侵略戦争の拡大にともなう農産物の収奪と夫役に反対する闘争をくりひろげた。

 こうして、日本帝国主義の大陸侵略戦争は大きな打撃を受け、他方、朝鮮革命の主体的な力量は強化され、全人民的抗戦態勢がととのっていった。

 主席は、中日戦争勃発後の複雑な情勢に対処して、朝鮮人民革命軍とすべての愛国的人民を政治的、思想的に鍛えることに深い関心を払った。

 当時、朝鮮革命には困難な情勢がつくり出されていた。なによりも、中日戦争によって朝鮮人民は塗炭の苦しみをなめていた。革命勢力にたいする攻勢を強化した日帝侵略者は、朝鮮の北部国境一帯で祖国光復会の下部組織を破壊し、多数の地下工作員と光復会会員を検挙、投獄し、その他いたるところで多数の愛国的人民を逮捕、拘禁し虐殺した。

 こうした民族受難の時期に、民族改良主義者、左右の日和見主義者、分派・事大主義者は、仮面をかなぐりすてて日本帝国主義者と公然と結託する道に走った。

 国際情勢にも深刻かつ複雑な変化が生じていた。ファシスト国家の日本、ドイツ、イタリアは、「防共協定」を結んで反動攻勢を強め、侵略戦争の挑発に躍起になっていた。多くの国が侵略の危機にさらされ、各国の共産主義勢力と革命勢力は大きな損害をこうむっていた。ファシズムの危険は、日ましに地球をおおいはじめた。

 朝鮮革命は厳しい試練にさらされたが、情勢はいぜんとして革命の側に有利に進展していた。日本帝国主義者の狂乱的な戦争政策とファッショ的暴圧は、その強大さを示すものではなく滅亡を控えた者の最後のあがきを示すものであった。中日戦争は、帝国主義列強間の矛盾を激化させた。また、日本帝国主義と朝鮮人民間の民族的・階級的矛盾は極度に先鋭化し、朝鮮人民は日本帝国主義の滅亡を早めるため各地で果敢な反日闘争をくりひろげていた。

 金日成主席はさし迫った試練を主動的に打開して、抗日武装闘争を中心とする朝鮮革命全般をひきつづき高揚へと導き、人民革命軍の隊員と人民がいかなる苦境にあっても主体的な立場を堅持し、革命闘争を最後までたたかいぬくよう政治的、思想的に鍛えるため、1937年11月10日、不朽の著作『朝鮮共産主義者の任務』を発表した。

 金日成主席は中日戦争勃発以後の内外の情勢を分析し、次のように述べている。

 「朝鮮の共産主義者は内外情勢のあらゆる有利な局面を効果的に利用し、朝鮮人民の栄えある愛国的伝統を生かし、人民大衆を闘争へと正しく動員して、日本帝国主義を打倒し、祖国を解放する正義の大業を必ず実現しなければならない」(『朝鮮共産主義者の任務』1937年11月10日)

 主席は、著作のなかで朝鮮革命の性格を重ねてせん明し、反帝反封建民主主義革命にかんする独創的な思想と理論を集大成した。そして、朝鮮革命を勝利のうちに遂行するための朝鮮共産主義者の当面の任務を示した。

 それは第lに、朝鮮共産主義者は、抗日武装闘争を強化して勝利へと導き、祖国の解放を達成しなければならない。朝鮮における反日民族解放闘争の主流であり、その最高形態である抗日武装闘争を強化することによって、各階層人民大衆の各種形態の反日闘争を発展させ、朝鮮革命全般に新たな高揚をもたらすことができる。抗日武装闘争を発展させるためには、人民革命軍の威力とその軍事・政治活動を強化しなければならない。そして、人民革命軍の政治・思想教育と軍事教育、軍事訓練を強化して、全隊員を朝鮮革命の偉業に限りなく忠実な不屈の革命闘士に、人民の真の教育者、大衆運動のすぐれた組織者に、軍事技術機材と遊撃戦術に精通した有能な軍事幹部に育成しなければならない。

 第2に、朝鮮共産主義者は反日民族統一戦線運動を力強く展開して、全国的・全民族的範囲でより広範な反日愛国勢力を結集し、反革命勢力にたいする革命勢力の優位を確保しなければならない。反日民族統一戦線運動を発展させるためには、祖国光復会の組織を戦闘的組織に強化しながらその隊列を拡大し、地下闘争の条件に即した柔軟性のある活動方法を巧みに適用し、その組織・政治活動をあらゆる方面から強化しなければならない。それとならんで、祖国光復会の運動全般にたいする共産主義者の指導を実現し、革命的大衆路線と階級路線を正しく結びつけ、統一戦線運動の内部で団結と闘争を正しく結合すべきである。

 第3に、朝鮮共産主義者は、国際革命勢力との連帯を強化するため積極的にたたかわなければならない。朝鮮共産主義者は、今後も中国共産主義者との団結を強化し、そのうえに立って幅広い朝中反日統一戦線を形成し、ソ連を武力で擁護しようというスローガンをひきつづき高くかかげ、国際労働者階級と植民地被抑圧人民との連帯を強めなければならない。

 第4に、朝鮮共産主義者は、朝鮮に革命的労働者階級の党を創立するためにたたかわなければならない。そのためには、これまでの党創立の組織的・思想的基礎をきずく活動でおさめた成果にもとづいて全国的に党創立の準備活動をおし進め、一日も早く党を創立しなければならない。党創立の準備のためには、朝鮮人民革命軍部隊内と国内および豆満江、鴨緑江沿岸一帯の革命的大衆団体内に党組織を拡大し、共産主義者を統一的な組織体系に結集し、党組織生活を通じて戦闘的に鍛えなければならない。そして、革命闘争の実践のなかで労働者、農民出身の革命的中核分子を広範に育成して、党創立の組織的根幹をかためるとともに、セクト主義に反対するたたかいを進めて、共産主義隊列の純潔性を守り思想・意志の強固な統一を実現しなければならない。

 第5に、朝鮮共産主義者が自己の革命任務を正しく遂行するためには、革命闘争で自主的立場を堅持しなければならないと強調した。

 金日成主席は、次のように述べている。

 「朝鮮共産主義者は自己の革命任務を成功裏に遂行するために、なによりも自主的立場を堅持しなければならない。

 自主的立場は、自国人民の力を信じ、みずからの力で自国の革命を責任をもってあくまで遂行しようとする共産主義者の根本的立場である。革命闘争で自主的立場を堅持すれば、自国の実情に合う革命路線と方針をうち立て、それを徹底的に擁護し貫徹していくことができ、いかなる困難や試練にであおうとも自国の革命のためにあくまでたたかいぬくことができる」(同上)

 朝鮮革命の主人は朝鮮人民であり、朝鮮の共産主義者であるだけに、朝鮮革命はあくまでも朝鮮共産主義者の指導のもとに、朝鮮人民が遂行しなければならないのである。

 主席はさらに、革命闘争で堅持すべき根本的立場である自主的立場について明らかにし、朝鮮共産主義者は過去分派分子の事大主義のため、朝鮮共産主義運動と革命運動が甚大な被害をこうむり、多くの紆余曲折をへなければならなかった苦い教訓を忘れず、自己の信念に従って革命闘争を展開し、みずからの革命勢力を強化し、それにしっかりと依拠して朝鮮革命を勝利へと導かなければならないと強調した。

 主席の著作『朝鮮共産主義者の任務』は、朝鮮の共産主義者と人民が反日革命闘争を発展させるうえで守るべき原則的な立場と戦略・戦術、当面の任務と闘争課題を集大成した綱領的文書である。

 主席の著作は、多量に印刷され人民革命軍隊員と共産主義者、革命組織のメンバーのあいだでその学習が進められ、同時に、隊員たちのチュチェ思想化を促すため集中的な軍事・政治学習会が組織された。

 1937年11月から翌年の3月にかけて朝鮮人民革命軍の集中的な冬期軍事・政治学習会が馬塘溝密営で組織された。主席は、それに先立って開かれた軍事・政治幹部会議で、学習会を成功裏におこなう諸対策を討議し、教材、食糧などの準備を十分にととのえるようにした。

 学習会では、特に政治学習に重点がおかれ、隊員たちは『朝鮮共産主義者の任務』、『祖国光復会十大綱領』、『朝鮮で広範な大衆の反日運動をいかに組織すべきか』などの主席の著作を集中的に学習した。学習組は、隊員の知識程度に応じて自習班と識字班の2組に分けられ、講義、自習、討論、個別指導と相互援助その他いろいろな方法で学習が進められた。特に、最も学習効果がすぐれている問答式学習方法が活用された。

 主席はみずからも講義を受け持って、『朝鮮共産主義者の任務』など多くの著作をわかりやすく教え、「将来樹立される人民革命政府の性格について」「革命の原動力について」など朝鮮革命と関連した理論的・実践的問題を出題し、学習討論を進めた。

 学習会では、また、軍事学習と訓練にも力が入れられた。朝鮮人民革命軍の指揮官と兵士は、主席の主体的な軍事思想と軍事戦略、遊撃戦術、戦法、戦闘経験、部隊の管理などの軍事理論と実地の動作を習熟することに重点をおいて軍事学習を進めた。

 集中的な冬期軍事・政治学習会をとおして、隊員たちはチュチェの革命的世界観を確立し、主体的な革命路線と戦略・戦術的方針を体得し、いかなる苦境にあっても少しもひるまず主席の示す革命の道ひとすじにたたかいぬくチュチェ型の共産主義者に、軍事的能力を備えた有能な指揮官に成長していった。

 冬期軍事・政治学習会をとおして不敗の革命武力に成長した人民革命軍は、1938年3月下旬から春期攻勢に移った。人民革命軍の主力部隊を率いて鴨緑江に沿う国境一帯に進出した主席は、佳在水戦闘、十二道溝戦闘、六道溝戦闘、双山子戦闘、五家営戦闘、賈家営戦闘、新台子戦闘、八道江戦闘などを指揮し、敵に連続的な打撃を与えた。

 主席の指導のもとに進められた1938年の春期攻勢とその後の軍事・政治活動の輝かしい勝利は、日本帝国主義の侵略戦争の拡大に痛撃を加え、朝鮮人民の反日民族解放闘争を高揚させた。





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