『金日成主席革命活動史』

第6節 卡倫会議。不朽の労作『朝鮮革命の進路』


 金日成主席はチュチェ思想にもとづいて、朝鮮革命の正しい路線と戦略・戦術の作成に精魂を傾けた。

 正しい革命路線と戦略・戦術の作成は、当時、朝鮮の反日民族解放闘争と共産主義運動のさし迫った要請であった。

 1929年にはじまる破局的な世界経済恐慌の波に巻きこまれた日本帝国主義は、活路をアジア大陸の侵略に求め、戦争の準備に狂奔しながら朝鮮人民にたいする植民地的暴圧と収奪をかつてなく強化した。かれらは、朝鮮人民の反日気勢を抑え、独立への希望を抹殺するため、無数の人民を検挙、投獄、殺害し、朝鮮の豊かな資源をほしいままに略奪していった。

 この前代未聞の植民地支配のもとで永遠に滅亡するか、あるいは再興の道を見出すかという生死の岐路に立たされた朝鮮人民は、敢然として立ちあがり、全国各地で大衆的な反日闘争を激しくくりひろげた。1929年の元山(ウォンサン)埠頭労働者のゼネストにつづいて1930年のはじめには釜山(プサン)紡織工場労働者のストライキが発生し、ソウル、平壌、大邱(テグ)、仁川(インチョン)、興南(フンナム)、清津(チョンジン)など全国各地の労働者がメーデー記念ストを断行した。その後、新興(シンフン)炭鉱労働者は大規模なストライキに突入した。農民のたたかいも高まり、1929年の1年間だけでも、数十件の小作争議が発生した。かれらは、各地で日本帝国主義と親日派地主を相手どって激しい闘争をくりひろげた。光州の学生をはじめ、全国各地の学生も日本帝国主義の植民地奴隷教育政策と民族文化抹殺政策、愚民同化政策に反対して果敢にたたかった。

 こうした時期に、朝鮮の革命を「指導」すると称していた分派分子の大多数は、革命運動を放棄して、一身の安逸のみを求める市井の俗物に変身し、また一部の者たちは政治的野望と出世欲から人民を無謀な暴動へと駆り立て、無意味な血を流させていた。1930年、分派・事大主義者は東満州において、革命情勢にたいする正しい分析と判断もなしに5.30暴動を起こし、準備のない農民を破局的な暴動に駆り立てた。その結果、日本帝国主義者の銃剣によって、おびただしい暴動大衆が無残に殺され、革命組織が破壊されて、革命勢力は莫大な損失をこうむった。正しい革命路線と戦略・戦術を立て、それをもとに革命を勝利に導くのは、いまや情勢の緊迫した要請であった。

 時代と革命の要請をいちはやく見抜いた主席は、朝鮮革命の進路を確立するため不眠不休の活動をつづけた。

 朝鮮革命の進路を切り開く主席の活動は、決して順調なものではなかった。

 主席の名声が高まり、その指導のもとに反日運動が急激にもりあがると、あわてた日本帝国主義者は、中国の反動軍閥を操って、朝鮮の革命家を大々的に検挙させた。

 1929年の秋、主席は反動警察に逮捕され、吉林監獄に投獄された。形容しがたい獄中の苦痛にも屈することなく、主席は、吉林その他の地方の革命組織をひきつづき指導する一方、獄内の同志や青年を教育し、すすんでは看守たちをも説得して革命運動に引き入れた。そして、内外情勢の変化を注視しながら、以前から構想してきた朝鮮革命の主体的な路線と戦略・戦術を完成させていった。

 1930年5月の初め、朝鮮革命の雄大な構想を胸にして出獄した主席は、衰弱した体をおして革命を危機から救うために奔走した。主席は破壊された革命組織を立て直すため、工作員を吉林一帯をはじめ、満州の各地に送ったあと、敦化に向かった。そこで、敦化を中心に東満州地方の状況を具体的に調べ革命組織の再建にあたるとともに、各地の共青および反帝青年同盟の活動家を集めて、主体的な革命路線と戦略・戦術について説明し、朝鮮革命の綱領を示す会議の準備を綿密におこなった。

 1930年6月30日から7月2日にかけて、卡倫で、共青および反帝青年同盟の幹部会議が開かれ、主席は『朝鮮革命の進路』と題する歴史的な報告をおこなった。

 金日成主席は報告のなかで、当時の情勢を全面的に分析、総括したあと、朝鮮革命で自主的な立場を堅持すべきであるとし、次のように述べた。

 「我々は(略)朝鮮革命の主人は朝鮮人民であり、朝鮮革命はあくまでも朝鮮人民自身の力で、自国の実情に即して遂行しなければならないという確固とした立場と態度をもつことが最も重要であると認めます」(『朝鮮革命の進路』1930年6月30日)

 主席は、自主的な立場と態度を堅持すれば正しい路線と方針を立てることができ、祖国解放の正義の大業を達成することができると指摘し、自主的な立場と態度にもとづく朝鮮革命の主体的な路線と戦略・戦術を示した。

 金日成主席は、朝鮮革命の性格と基本任務を次のように規定した。

 「(略)朝鮮革命の基本任務は、日本帝国主義を打倒して朝鮮の独立を達成するとともに封建的諸関係を一掃して民主主義を実現することであります。

 朝鮮革命の基本任務から、現段階における朝鮮革命の性格は反帝反封建民主主義革命となるのであります」(同上)

 革命の性格と任務を正しく規定することは、革命を正しい方向へ導くうえで第一に解決すべき問題である。そうすることによって科学的な戦略と戦術を立て、人民大衆を確信をもって革命闘争へと導いていけるのである。

 朝鮮は、日本帝国主義の占領によって正常な資本主義発展の道をふさがれ、封建的諸関係が支配的な植民地半封建社会に転落し、人民は日本帝国主義の搾取と抑圧、封建的諸関係によって形容しがたい苦痛をなめていた。したがって、日本帝国主義を打倒して祖国を解放する反帝民族解放革命の課題と、封建的諸関係を一掃し民主的発展の道を開く反封建民主主義革命の課題を同時に遂行するのは朝鮮革命の基本任務であり、そのことから朝鮮革命の性格は反帝反封建民主主義革命と規定されたのである。

 史上はじめて提起された反帝反封建民主主義革命は、資本主義社会を実現するブルジョア革命や社会主義制度の樹立をめざす社会主義革命とは本質的に区別される、新しい類型の社会革命であった。この革命は、民族的従属と封建的抑圧から勤労人民大衆を解放する深刻な社会的変革であって、植民地、半植民地国の人民が民族解放と階級解放を実現するうえで最優先すべき革命であった。

 主席はついで、反帝反封建民主主義革命の原動力と対象を規定した。この革命の原動力は、労働者、農民、青年学生、知識人、小ブルジョアジー、それに良心的な民族資本家と宗教者まで含む広範な反帝勢力であり、革命の対象は日本帝国主義とかれらと結託した地主、買弁資本家、親日派、民族反逆者である。

 朝鮮革命の任務も規定された。すなわち、革命を勝利に導くためには、日本帝国主義とかれらと結託した反動勢力を打倒して民族の解放と独立を達成し、日本帝国主義の打倒後は、労働者、農民をはじめ、広範な人民大衆の利益を擁護する政権を立て、それに依拠して帝国主義の残存勢力とすべての反動勢力を一掃し、反封建民主主義革命の課題を遂行しなければならない。また反帝反封建民主主義革命の遂行後も革命をつづけて社会主義・共産主義社会か建設し、ひいては世界革命も遂行しなければならない。

 主席が明らかにしたこの思想は、朝鮮革命を不断に前進させ、チュチェの革命偉業を遂行する道を明示した綱領的な指針であり、継続革命にかんする労働者階級の理論を新たに発展させた独創的な思想である。

 主席は朝鮮革命の戦略・戦術的諸問題も明らかにした。

 主席はまず武装闘争路線をうちだした。

 金日成主席は、次のように述べている。

 「朝鮮革命を成功裏に遂行するためには、なによりもまず日本帝国主義に反対する武装闘争を展開しなければなりません」(同上)

 反日闘争の歴史的な経験と教訓が示しているように、他人に依拠し、あるいは平和的方法によっては絶対に日本帝国主義を打倒して国の独立を達成することができない。反日革命闘争を強力に展開するためには、大衆の暴力闘争を組織的な武装闘争へと発展させなければならない。帝国主義はその侵略的、略奪的な本性からして植民地を決して手放そうとせず、植民地支配を維持するために例外なく野蛮な暴力にしがみついている。それゆえ、帝国主義に抗して武装闘争を展開することは植民地民族解放運動発展の合法則的な要請である。

 以上のように述べた主席は、武装闘争を展開するためには、その準備活動を着実におこない、さしあたっては青年共産主義者によって革命的武装組織である朝鮮革命軍を結成し、武装闘争を本格的に展開するための経験を蓄積すべきであると指摘した。

 ついで主席は、反日民族統一戦線路線を提起した。

 金日成主席は、次のように述べている。

 「朝鮮革命を成功裏に遂行するためにはまた、すべての反日愛国勢力をめざめさせてかたく結集し、正義の反日闘争に立ち上がらせなければなりません」(同上)

 革命は人民大衆を解放するための闘争であり、したがって、広範な人民大衆が参加しなくては勝利することができない。まして、朝鮮人民自身の力で日本帝国主義を打倒し、全民族を解放するためには、ごく少数の反動勢力を除き、日本帝国主義に反対するすべての勢力を一つに結集すべきである。主席はこうした分析にもとづいて、労働者、農民はもちろん、宗教者や良心的な民族資本家をも含めて、反日思想をもつすべての勢力を反日の旗のもとに結集すべきであると指摘した。

 主席は次に、革命的な党の創立方針を示した。

 金日成主席は、次のように述べている。

 「朝鮮革命を成功裏に遂行するためには、次に、党創立活動を積極的におし進めなければなりません」(同上)

 革命の参謀部である労働者階級の革命的な党がなければ、正しい路線と戦略・戦術を立てることができず、広範な大衆を日本帝国主義を打倒するたたかいに立ちあがらせることも、社会主義・共産主義社会を建設することもできない。したがって朝鮮共産党の解散から深刻な教訓をくみとるべきである。だからといって、分派分子のようになんらの準備もなく直ちに党の創立を宣言したり、コミンテルンの承認を得るような方法では決して革命的な党を創立することができないばかりか、たとえ党を創立したとしても、そのような党はその使命を正しく遂行できないであろうし、反革命の攻勢を前にして党の存在を維持することができないであろう。それゆえ、必ず自力で新しい革命的な党を創立すべきであり、そのためには準備を着実におこなわなければならない。ここで重要なことは、十分な準備のもとにまず党の基礎組織をつくり、それを拡大する方法で党を創立することである。また、党創立の準備活動は反日闘争と密接に結びつけて進めなければならない。

 主席の示した以上の党別立方針は、当時の状況のもとで最も革命的で戦闘的な党を短時日のあいだに創立する科学的な方途を示した指導指針であった。

 主席の歴史的な報告『朝鮮革命の進路』がもつ理論的・実践的意義は実にはかり知れないほど大きかった。それは、朝鮮革命の科学的かつ革命的な路線と戦略・戦術を史上はじめて明示し全面的に集大成した主体的な革命の綱領であり、朝鮮の共産主義者と人民が反帝民族解放革命を完遂し、民族の自主性を実現するうえで堅持すべき不滅の戦闘的旗印であった。それはまた、植民地、半植民地国の人民が、自力で民族の独立を達成し、新しい社会をつくる道を明示した綱領的文書であり、新しい類型の革命である反帝反封建民主主義革命理論を体系化し、植民地民族解放闘争にかんする理論的・実践的問題に科学的な解明を与えた古典的な文書であった。

 卡倫会議以後、朝鮮の反日民族解放闘争と共産主義運動は新たな発展をはじめ、朝鮮の革命は、正しい革命路線と戦略・戦術によって一路勝利に向けて前進することになった。        





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