『金日成主席革命活動史』

第5節 不滅のチュチェ思想の創始


 金日成主席は、朝鮮革命の前途を独自に切り開きながら、正しい指導思想の確立に心血を注いだ。

 正しい指導思想の確立は、革命闘争の勝敗と人民大衆の運命を左右する根本的問題の一つである。科学的かつ革命的な指導思想によってのみ正しい路線と戦略・戦術が作成され、人民大衆をいかなる偏向もなく、確信をもってまっすぐ勝利に導いていける。

 正しい指導思想の確立は、朝鮮の革命を発展させるうえで特に重要かつ緊切な問題として提起された。それは、朝鮮の社会歴史的条件とそれに起因する朝鮮革命の特殊性と関連していた。朝鮮は、資本主義が正常な発展を遂げる前に日本帝国主義に侵略され植民地半封建社会に転落した。朝鮮革命はこのような特殊な社会経済的条件と階級関係によって、さまざまな矛盾がからみ合った、たぐいなく複雑かつ多難な革命であった。このような事情から朝鮮の革命は、それにあった新しい指導思想と理論を求めた。それまでの思想と理論、既存の公式と命題をもってしては、朝鮮革命の正しい路線と戦略・戦術を立てることも、複雑多難な革命を勝利に導くこともできなかった。現時代と朝鮮の実情にあった正しい指導思想をもつことができず、既成の思想と命題を教条的に適用しようとしたため、初期の共産主義運動と反日民族解放運動の内部には深刻な思想的・理論的混乱が生じ、朝鮮革命は長年苦い失敗と紆余曲折をへることになった。

 朝鮮革命の正しい指導思想を確立する問題は、主席による不滅のチュチェ思想の創始によって立派に解決された。

 主席は、両親の革命的影響と不眠不休の探究、そして、朝鮮革命を実際に導くなかで人民大衆の無限の力と知恵の偉大さを感じとり、朝鮮人民自身の力によって日本帝国主義を打倒し、祖国を解放することができるという確信をいだいた。

 金日成主席は、次のように述べている。

 「私は、祖国の自由と独立をめざしてたたかう過程で、自己の運命はみずからの手で切り開かなければならず、また、切り開くことができるという確固とした信念をもつようになりました」(『我が党のチュチェ思想と共和国政府の対内対外政策のいくつかの問題について』1972年9月17日)

 主席は、それまでの労働者階級の思想と理論、国際革命運動の歴史を朝鮮革命の実践と結びつけて全面的に研究するなかで、従来の思想・理論は朝鮮革命が提起するすべての問題に正しい解答を与えることができないということ、そして、革命途上に提起される問題はみずからの責任でもって、自国の実情に即して自主的に解決しなければならないと痛感した。そして、朝鮮革命を指導する過程で、素朴で平凡な勤労人民大衆が革命的にめざめれば実に大きな力を発揮し、いかに不利で困難な状況のもとでも自力で革命をやり遂げることができるという貴重な真理と教訓を得た。また、初期の共産主義運動と民族主義運動の制約性と本質的欠陥を鋭く見抜いて、革命は人民大衆の力に依拠して自主的、創造的におこなわなければならないという信念をかためた。

 金日成主席は、次のように述べている。

 「我々は、(略)朝鮮の民族解放運動と共産主義運動の内部に派閥争いが激しく、また上層部の人たちが人民大衆から浮き上がらていた、こうした2つの現象を見て、革命をそのようにおこなうべきではないという強い刺激を受けました。(略)

 こうした2つの側面が、私の革命思想の発展に大きな衝撃をあたえました。このときから、我々は人民大衆が革命の主人公であり、したがって、人民大衆のなかにはいらなければならないということ、誰が承認しようとしまいと、自国の革命をみずから責任をもって自主的に進めてゆくならば、他の国々からおのずと同情され、認められ、援助を受けることもできるということを強調するようになりました。これが、我々のチュチェ思想の出発点であるといえます」(同上)

 民族主義者とえせマルクス主義者の本質的な欠陥の一つは、革命運動に大衆を動員しないことであった。かれらは、朝鮮民族解放運動について云々しながらも、大衆からかけはなれ、上層部の何人かが集まって空理空論にふけるばかりで、人民大衆を覚醒させ革命闘争に呼び起こす活動を完全に放棄していた。

 かれらのいま一つの欠陥は、派閥争いと事大主義的傾向の甚だしいことであった。民族主義者は、正義府、参議府、新民府その他の派に分かれて勢力争いをこととし、外部勢力への依存を念仏のように唱えていた。えせマルクス主義者もエム・エル派、火曜派、北風会派その他の派閥をつくって「ヘゲモニー」争いに血道をあげ、自分たちこそ「正統派」だの真の「マルクス主義派」だのと主張しながらコミンテルンの承認をとりつけようと奔走していた。

 主席は、これらの本質的な欠陥を見きわめ、そうした方法ではとうてい革命を成功させることはできない、革命をおこなうためには人民大衆を立ちあがらせるべきであり、自己の問題はあくまでも自分で解決しなければならないという結論を引き出した。

 主席は朝鮮革命を指導する初期に、非凡な英知と洞察力をもって、人民大衆こそ革命の主人であり、革命を勝利に導くためには人民大衆のなかに入って、かれらに依拠してたたかわなければならず、自国の革命はあくまでも自己の責任のもとに自主的におし進めるべきであるという革命の貴い真理を発見し、それにもとづいて革命の指導思想である不滅のチュチェ思想を創始した。

 金日成主席は、チュチェ思想について次のように述べている。

 「チュチェ思想とは、一口に言って、革命と建設の主人は人民大衆であり、革命と建設をおし進める力もまた人民大衆にあるという思想であります。言いかえれば、自己の運命の主人は自分自身であり、自己の運命を切り開く力も自分自身にあるという思想であります」(同上)

 主席の創始したチュチェ思想は、人間があらゆるものの主人であり、すべてを決定するという哲学的原理にもとづく偉大な革命思想である。この科学的かつ革命的な原理にもとづいてすべての問題が展開され、全一的に体系化された思想であるために、チュチェ思想は自然と社会にたいする最も正しい見解を与え、世界を認識し改造する有力な武器をもたらし、社会発展の合法則性を正しく解明し、勤労人民大衆を自主的で創造的な生活をめざす革命闘争へと力強く励ますのである。

 この原理にもとづいてチュチェ思想はまた、勤労人民大衆が革命闘争と建設事業で主人としての態度をとり、自主的立場と創造的立場を堅持することを要求する。チュチェ思想が明らかにした自主的立場と創造的立場は、勤労人民大衆が革命と建設で堅持すべき根本的な立場であり、自然と社会を改造するうえで依拠すべき根本的な方法である。勤労大衆は、革命の主人としての高い自覚をもって自主的立場と創造的立場を堅持してこそ、革命と建設で提起されるすべての問題を自国人民の利益と自国の実情に即して、自力で成功裏に解決していけるのである。

 チュチェ思想はまた、世界における人民大衆の地位と役割にもとづいて、勤労人民大衆を中心にすえてあらゆる革命理論を展開し、勤労大衆の役割にもとづいて革命の戦略と戦術を立てる。そして、人民大衆の自主性と創造性を高めることを基本にして、大衆指導にかんするすべての問題を解決する。

 主席の革命思想、チュチェ思想は、このように人間を中心にして世界に対応する観点と態度、立場と方法を明らかにし、革命理論と指導方法を全一的に体系化した人間中心の世界観であり、勤労人民大衆の自主性を実現するための革命学説である。

 主席によるチュチェ思想の創始は、朝鮮革命の発展で根本的な転換をもたらした偉大な、歴史的な出来事であった。

 チュチェ思想の創始によって、朝鮮の民族解放運動と共産主義運動は、はじめて、革命の唯一の指導思想であるチュチェ思想によって導かれる栄えある時代を迎えた。また、朝鮮の共産主義者と革命家は、人民大衆の志向と念願、国の実情にあう最も正しい路線と戦略・戦術を立て、最も正しい闘争方法と方途を見出すことができ、いかに困難かつ複雑な状況のもとでもなんらの偏向や曲折もなく、革命闘争を勝利に導く百戦百勝の武器を持つことになった。そしてまた、それまで歴史から疎外され、搾取と抑圧の対象として、植民地奴隷の境遇にあった朝鮮人民は、自己の運命を自主的、創造的に切り開いていく有力な尊厳ある人民として歴史の舞台に登場し、革命的な世界観と革命理論、指導方法をもって、日本帝国主義とのたたかいを目的意識的に力強く展開することができるようになった。

 チュチェ思想は、朝鮮革命の要請を反映して創始された思想であるが、世界の革命的人民の志向と念願にも合致する思想である。チュチェ思想は、革命家と人民が自国の革命と建設で提起されるすべての問題を自己の信念と判断にもとづいて、独自に正しく解決する正しい道を示している。それは、共産主義者と革命的人民が、他国への依存心を捨てて、自力更生の革命的旗印のもとに、自己の力に依拠して自主的に革命と建設をおこない、民族的義務と国際的義務を正しく結びつけて国際共産主義運動と世界革命に実質的に寄与する道を示している。

 チュチェ思想は新しい哲学的原理にもとづいて展開され、思想、理論、方法を全一的に体系化した独創的な思想であり、人類の思想史と労働者階級の革命理論の発展に画期的な転換をもたらした偉大な思想である。チュチェ思想の創始によって、革命闘争が自主性の原則にもとづいて進められる新しい歴史的時代が開かれた。





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