『金日成主席革命活動史』

第3節 新しい世代の共産主義者を育成


 打倒帝国主義同盟の結成後、金日成主席は、革命運動を幅広くより積極的におこなうため、革命活動の中心を吉林に移した。

 当時、吉林は、朝鮮人反日運動者や愛国志士の政治活動の中心地の一つとなっていた。当地には朝鮮人居住者が多く、祖国の独立を志す青年たちが大勢集まっていた。吉林は、新しい科学や知識を探究し、時代の流れをいち早くとらえ、他の地方との連係かつけるにも有利な都市であった。

 1926年12月の初め樺甸を後にした主席は、途中、撫松に立ち寄った。ここで打倒帝国主義同盟の綱領を実現する一環として、12月15日、朝鮮で最初の共産主義的少年革命組織であるセナル少年同盟を結成し、12月26日には、母、康盤石女史の革命活動を助けて、朝鮮最初の革命的婦人大衆組織である反日婦女会の結成を実現させた。

 1927年1月吉林毓文中学校に籍をおいた主席は、困難な環境にめげず『共産党宣言』『資本論』『国家と革命』などマルクスやレーニンの数多くの著書を朝鮮の実情と結びつけて研究し、従来の「主義主張」や「運動」なども批判的に分析し、総括した。そして、朝鮮の革命を成功させるためには、民族主義者の旧弊な民族改良主義や外部勢力依存思想、えせマルクス主義者の「プロレタリア革命」論などを排して、自力で日本帝国主義の植民地支配をくつがえさなければならないという信念をかためた。また、朝鮮人民の民族的独立と解放を達成するためには、先進思想を身につけた新しい世代の共産主義者を育成して、大衆を革命的にめざめさせ、労働者、農民をはじめ、各階層の反日大衆を一つの革命勢力に結集するとともに、正しい戦略・戦術を立てて各種形態のたたかいを有機的に結びつけていかなければならないという確信を深めた。

 主席は、朝鮮革命の構想を深めながら青年共産主義者の育成に取り組んだ。

 革命的世界観を確立した青年共産主義者の育成は、朝鮮革命を新たに進めるうえで第一に解決すべき重要な問題であった。社会革命において青年学生の果たす先駆者的な役割に注目した主席は、かれらの意識化に努めた。青年学生のあいだに先進的なマルクス・レーニン主義思想を普及する活動として、吉林毓文中学校では主席の指導する秘密読書会が運営され、その経験と成果を踏まえて文光中学校をはじめ、吉林市内の各校に秘密読書グループがつくられ、多くの青年がこれに参加した。主席は、読後発表会、討論会、講演会、雄弁大会などをしばしば組織して、かれらの思想意識水準を不断に向上させた。

 討論会では、『我々は、朝鮮革命をどう遂行すべきか』『朝鮮革命の現段階』『日本帝国主義の朝鮮侵略政策』など朝鮮革命に提起された緊切な理論的・実践的問題が基本テーマとして取りあげられ、主席が討論会を主宰した。えせマルクス主義者のやり方とは違って主席は、労働者階級の革命思想の真髄を朝鮮の革命的実践と結びつけて把握するよう指導した。同時に青年学生が、思想意識の発展を妨げる不純な思想潮流に染まらないよう深い注意を払った。こうして、多くの青年学生が民族主義者やえせマルクス主義者の思想的影響からぬけだし、労働者階級の革命思想で武装していった。

 主席は、青年学生の組織化にも大きな力を傾けた。青年学生を組織に結束するためには、革命的な中核分子を先に育成し、かれらの組織活動における役割を高めるとともに、合法組織活動と非合法組織活動を密接に結びつけ、合法組織で訓練され鍛えられた人たちをその水準に応じてそれぞれの非合法革命組織に加入させるべきであった。青年の組織化では、常にこの原則が適用された。

 1927年4月10日、主席によって吉林に住む朝鮮少年の合法組織である朝鮮人吉林少年会が結成された。また5月8日には、民族主義者の影響下にあった朝鮮人留学生の親睦団体であった朝鮮人旅吉学友会が革命的な学生大衆組織である朝鮮人留吉学友会に改組された。

 主席は、非合法組織の拡大にも努め、秘密読書組織や合法的な革命組織で鍛えられた青年学生や各地から集まって来た先進的な青年を打倒帝国主義同盟に加入させる一方、同盟を吉林市内の各校に広げていった。そして、同盟の下部組織が数多く生まれ、広範な青年学生のあいだで反日気運が高まると、1927年8月、打倒帝国主義同盟を大衆的な性格を帯びた非合法の青年革命組織である反帝青年同盟に改組した。反帝青年同盟は、文光中学校、吉林第1中学校、吉林第5中学校、吉林師範学校、吉林女子中学校、吉林法政大学など朝鮮人学生のいるすべての学校で組織され、江東、新安屯、大荒溝などの広い地域に広がっていった。

 各種の革命組織が急速に拡大し、活発な動きを示すにつれて革命闘争が激しくもりあがった。このような状況は、各革命組織を統一的に指導する前衛的な組織を必要とした。

 主席は革命発展のこのさし迫った要請を的確にとらえ、1927年8月28日朝鮮共産主義青年同盟を組織した。朝鮮共産主義青年同盟は、反帝青年同盟の中核分子からなる非合法革命組織で、すべての反日大衆団体を統一的に指導し、党が組織されるまで朝鮮革命の全般を指導する前衛的な役割を果たした。

 朝鮮共産主義青年同盟の結成は、朝鮮で真の革命的前衛組織の誕生を告げる宣言であり、朝鮮の青年運動と共産主義運動の発展において巨大な意義がある歴史的な出来事であった。

 主席は、共青を組織的、思想的に強化し、その戦闘力を高めるために、共青員を革命的世界観で武装させ、実践闘争のなかで鍛え、組織性と規律性を強めていった。そして、反帝青年同盟その他の革命組織を地下活動の状況に合わせて統一的に指導することができるよう、共青の組織指導体系を確立した。同時に、闘争を通じて鍛えられた青年を共青に加入させ、組織を不断に拡大していった。こうして、朝鮮共産主義青年同盟は、朝鮮革命を勝利に導く強力な前衛的戦闘部隊として急速に成長し、短時日のあいだに吉林はもちろん豆満(トウマン)江沿いの北部朝鮮一帯と敦化、安図、樺甸、撫松、磐石、長春、哈爾浜にいたる広い地域に組織を広げていった。

 非凡な英知と深い洞察力によって朝鮮革命の前途を明示して、すぐれた組織力と革命的展開力によって青年学生を結集し、朝鮮革命の新しい道を切り開いていく主席の名声は、国の内外に広く知れ渡った。こうして朝鮮革命の正しい道を求めてもだえ、すぐれた指導者の出現を渇望していた車光洙(チャゴンス)、金赫(キムヒョク)など多くの先進的な青年が、国内はもちろんソ連、日本、中国の上海、広州などから主席を訪ねて続々と吉林に集まってきた。そのなかには、労働者、農民出身の青年もいれば、インテリ青年もおり、独立軍にあきたらず、それとたもとを分かってやってきた青年もいた。主席はその一人ひとりに進むべき道を教え、政治生活から私生活にいたるまで細心の配慮をめぐらしながら共産主義的中核分子に鍛えていった。主席の疲れを知らぬ指導によって朝鮮革命を担う新しい世代の真の共産主義革命家が数多く育成された。かれらは、主席を革命の指導者、団結の中心とし、革命的信義、革命的同志愛をもってかたく結びついた。

 主席は、労働者、農民など広範な大衆の意識化、組織化に力をつくした。

 金日成主席は、次のように述べている。

 「我々も最初革命運動をはじめた時、学生運動からはじめてしだいに労働者、農民のなかにはいっていきました。我々が、広範な労働者、農民のなかに入って活動し、かれらをめざめさせ、革命闘争に奮い立たせるようになってから、はじめて勝利にたいする確信がさらに高まり、闘争は積極的な段階へと力強く発展するようになりました」(『朝鮮労働党創立30周年にさいして』1975年10月9日)

 主席は、革命の主力である労働者階級と農民を政治的にめざめさせ、組織的に結集するために江東、新安屯、大荒溝、撫松、安図、卡倫、孤楡樹、蛟河その他の地域をめぐって、組織を広げ、大衆の革命化活動を指導した。1927年12月20日には、撫松を中心とする白頭(ペクトウ)山周辺で大衆的な反日青年組織である白山青年同盟を組織し、翌年の3月10日には、新安屯で朝鮮で最初の革命的農民組織である農民同盟を結成した。そして、朝鮮の北部国境地帯と撫松、安図、卡倫、孤楡樹などの広大な地域にそれらの組織を広げ、各階層の大衆を結集した。

 主席は特に、国内に革命組織を広げて闘争を展開するための拠点を奶島山一帯にきずく活動に大きな力をいれた。また、民族主義者や分派分子の影響下にある反日青年団体を革命的な組織につくり変えることにも深い関心を払った。主席の努力によって、民族主義者の影響下にあった旅新青年会と拉法青年会が革命的な組織に変わり、優秀な工作員が卡倫、孤楡樹、陵街、三源浦などの各地に派遣されて、民族主義者の影響下にあった青年団体を革命的につくり変えていった。また、先進的な青年たちで「東満青総」のなかに真の共産主義勢力を形成し、多くの反日派青年を分派分子の影響から引き離して革命の道へと導いた。

 一方、多数の青年共産主義者が瀋陽、長春、哈爾浜、敦化などの大都市や東満州、国内の各地で広範な大衆を革命組織に結集していった。人民大衆の革命化をはかって大衆教育宣伝活動もいろいろな形式と方法で活発にくりひろげられた。

 各地に夜学が設けられ、各学校が革命的に改組され、それらが大衆教育の拠点として機能し、講演、解説・談話、話の集いなどが随時におこなわれて大衆を階級的にめざめさせていった。

 主席は1928年1月15日、撫松で朝鮮で最初の革命的新聞『セナル』を創刊し、ひきつづき数多くの革命的出版物を刊行した。それらの出版物は、広範な大衆に反日愛国思想を植えつけ、反日闘争に奮い立たせる強力な思想的武器となった。

 また、文学・芸術による大衆教育宣伝活動が重視され、人民大衆のあいだで演芸宣伝活動が活発にくりひろけられた。主席によって不朽の名作である革命演劇『安重根(アンジュングン)、伊藤博文を撃つ』『万国会議で血を吐く』『娘の手紙』、歌舞『十三道お国自慢』『丹心綱』革命歌謡『朝鮮の歌』など多くの文学・芸術作品が創作された。また、演芸宣伝隊が組まれ、広い地域を巡回して演芸宣伝活動をくりひろげるよう細心の指導がおこなわれた。

 こうした主席の創作や演芸宣伝活動は、栄えある革命的文芸伝統の最初の年輪を刻んだ、チュチェ芸術の歴史的な始原となった。

 主席のたゆみない活動によって、労働者、農民をはじめ、各階層の人民は急速に革命化され、朝鮮革命の基盤が強固にきずかれた。こうして、日本帝国主義とのたたかいを成功裏に進めうる強力な革命勢力が準備された。





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