金日成主席『回顧録 世紀とともに』

注 釈
−第6巻:第16・17・18章−


 洪範図(1868〜1943) 反日義兵隊隊長、独立軍指揮官。1907年から猟師による反日義兵隊を組織し、咸鏡南道一帯を中心に日本侵略軍と数回にわたって激戦。1917年、北満州で朝鮮独立軍を組織してその総司令となり、甲山、恵山、江界、満浦、慈城などの日本軍を襲撃。その後、黒竜江一帯で独立軍団を組織し、指揮官として活躍。

 高麗 918年から1392年まで存続した朝鮮史上初の統一国家。王建によって建てられる。国名は、初の封建国家である高句麗を継承するという意味で高麗と命名。首都を開京(今日の開城)においた。

 高句麗 紀元前277年から紀元668年まで存続した朝鮮初の封建国家。

 古朝鮮 紀元前30世紀初、檀君が平壌を首都にして建てた朝鮮民族初の古代国家。本来の国名は「朝鮮」であったが、後世の歴史家たちが李朝封建国家の「朝鮮」(1392年成立)と区別するため古朝鮮と呼称した。

 「蛟河のおばさん」 金日成将軍が1930年の夏、分派分子らによる8.1暴動のあおりで破壊された組織を立て直す活動を展開中、蛟河で敵に追跡されたとき、危険をおかして救ってくれた平凡な朝鮮の婦人。

 馬鞍山児童団 抗日革命闘争の時期、豆満江沿岸の遊撃区が解散(1935年)すると、児童団員たちは、虐殺された父母の仇を討とうと千辛万苦の末、撫松県の馬鞍山密営に遊撃隊を訪ねてきた。だが、そこにいた左翼日和見主義者と分派・事大主義者は、その児童団員たちが遊撃活動の「負担」になるといって面倒をよくみず、はなはだしくは「民生団連累者」とまで断じて迫害した。これを知った金日成将軍は、1936年4月、馬鞍山密営地の児童団員たちを訪ね、左翼日和見主義者と分派・事大主義者の誤った行為をきびしく批判し、子どもたちをりっぱに育てる対策を講じた。そして、馬鞍山を発つときには、将軍に従って戦うことを切望する児童団員たちを遊撃隊に入隊させた。馬鞍山児童団員はその後、遊撃隊で朝鮮の真の革命家に成長した。

 民生団 1932年2月、日本帝国主義侵略者によって間島地方につくられた反革命的スパイ・謀略団体。民生団は、日本帝国主義の差し金のもとに「朝鮮人による間島自治」という欺瞞的なスローガンをかかげ、朝鮮民族の利益をはかるかのように装って朝鮮人民の反日意識を麻痺させ、朝鮮共産主義者に危害を加え、朝中人民を離間、対立させ、革命隊伍を内部から瓦解させようと画策した。しかし、当初からその反革命的な正体があばきだされ、1932年7月に解体した。その後、日本帝国主義は、特務や手先を動員し、革命隊伍内に多くの民生団員が潜入したかのようにデマを広めた。この謀略に乗った左翼日和見主義者と分派・事大主義者の政治的愚鈍さと不純な政治的野望のため、反民生団闘争はその後数年のあいだ極左的におこなわれた。

 「辺トロツキー」 民族主義者辺大愚のあだな。五家子を開拓した有志の1人で、ことあるごとにトロツキーを引き合いに出したので、そう呼ばれた。村の諸事を取り仕切り、自分と理念や主義主張が違う思想潮流が村に浸透するのを絶対に許さない頑固な老人だったが、金日成将軍が1930年に五家子を革命化するときりっぱに改造された。

 万国平和会議 1907年6月、オランダのハーグで開かれた第2回万国平和会議を指す。李儁をはじめとする朝鮮代表が皇帝の密書を携えていったが、帝国主義者の謀略と陰謀により正式の代表としての参加を拒まれた。朝鮮代表は、ハーグの国際ジャーナリスト協議会の演壇と当地の各種出版物を通して、朝鮮にたいする日本帝国主義の侵略行為を暴露、糾弾し、朝鮮の独立に助力してくれるよう訴えた。意を果たせなかった李儁は会議場で、割腹し、死をもって帝国主義者に抗議した。

 呂運亨(1886〜1947) 朝鮮の独立運動家。京畿道楊平出身。初期に「上海臨時政府」と「高麗共産党」に関与し、朝鮮の独立のためにたたかう。ソウルで「朝鮮中央日報」社長、朝鮮建国連盟委員長などを歴任。解放後、勤労人民党党首として活動。平壌で金日成将軍と会見してソウルヘ帰り、自主的な政治路線と容共統一をめざしてたたかい、1947年7月に暗殺される。

 檀君朝鮮 紀元前30世紀初、朝鮮民族の原始祖である檀君によって建てられたわが国初の古代国家。この古朝鮮を檀君朝鮮と呼んでいる。

 金九(1876〜1949) 朝鮮の独立運動家。黄海南道海州出身。初期は、反日義兵闘争に参加。3.1人民峰起後、上海臨時政府主席などを務めて韓国独立党を組織。日本帝国主義の敗亡後、南朝鮮に帰り、対米従属に反対。1948年、平壌での南北朝鮮政党・大衆団体代表者連席会議に参加してソウルにもどった後、容共統一をめざしてたたかい、暗殺される。

 倍達民族 朝鮮民族の原始祖である檀君を「パクタル王」、初の吉代国家である古朝鮮を建てた種族を「パクタル族」と呼んだ。「パクタル」とは、以前から檀君の父権種族の呼び名となっていた。太陽を赤々と燃える火の塊と考えたこの種族の祖先は、太陽を指す「プル(パル、パク)」を種族名としたが、その後、自分たちの居住地を指す「山」の古朝鮮語「タル」を付け加えて「パクタル(または、ペダル)族」と称した。その後、これは朝鮮民族を総称する呼び名として使われるようになった。

 「保甲制度」 1930年代に日本帝国主義侵略者が、朝鮮人民革命軍と人民との血縁的なつながりを断ち切るために満州一帯で適用したファッショ的な野蛮統治制度。保甲制度は、10戸を1牌とし、10牌を甲、いくつかの甲を保とし、それを直接警察署長の統制・監督下においた。これによって、同じ牌内の住民が「法」に違反した場合は、連帯責任を負って全員が処罰されるようになっていた。保甲制度は1945年8月、日本帝国主義の敗北とともに廃止された。



 


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