金日成主席『回顧録 世紀とともに』

注 釈
−第5巻:第13・14・15章−


 9.18事変 1931年9月18日、日本帝国主義者が強行した中国東北地方にたいする武力侵攻事件

 <参考> 「18日夜10時半ゴロ、奉天北方、北大営西側ニオイテ、暴戻ナル支那軍隊ハ満鉄線ヲ破壊シ、我ガ守備兵ヲ襲イ、駆ケツケタル我ガ守備隊ノ一部ト衝突セリ。報告ニヨリ、奉天独立守備第2大隊ハ現地ニ向イ出動中ナリ(奉・第205号)」
 これは、9.18事件(柳条湖事件)を引き起こした日帝・奉天特務機関が日帝・陸軍中央部にあてた電信の第1報である。発信時間は、1931年8月18日午後11時18分。19日午前0時10分に第2報が発信される。
 いずれも、事件は中国側が起こしたもので、日本軍の攻勢はあくまでも自衛権にもとづくものと主張している。史実として看過できない点は、第3報(午前3時発信)で、その後の関東軍の北大営と奉天城への作戦行動をしめしていることである。
 中国の日本史テキスト『日本帝国主義侵華史略』(邦訳図書名『中国からみた日本近代史』)には、次の記述がある
 「9月18日10時ごろ、日本関東軍参謀板垣征四郎と石原莞爾が苦心して謀略をめぐらし、独立守備隊の河本末守中尉に命じ、兵士数名を率いて南満州鉄道長春─瀋陽線上の柳条湖村(瀋陽から2キロ離れている)付近のレールを爆破した。事後、逆にそれが中国の軍隊によるものだとでっち上げた」

 南湖頭会議 1936年2月27日から3月3日まで、中国寧安県南湖頭で開催された朝鮮人民革命軍の軍事・政治幹部会議。
 この会議で金日成主席は、朝鮮人民革命軍の主力部隊を国境地帯に進出させ、闘争舞台を漸次国内へ拡大し、反日民族統一戦線運動をさらに拡大発展させ、党創立準備活動を全国的範囲で推進させる方針を提示した。

 羅雲奎(1901〜1937) 1920年代に活躍した朝鮮の映画演出家、俳優、シナリオ作家。劇映画『アリラン』をはじめ18編のシナリオを創作、19編の映画を演出、25編の映画に主役として出演。

 『壬辰録』 壬辰祖国戦争(文禄・慶長の役)の時期(1592〜1598)から伝えられてきた口承説話にもとづき17世紀初に創作された小説。当時の朝鮮人民の反侵略闘争を描いている。

 尹瓘(不明〜1111) 12世紀初、女真族の侵略を退ける戦いで武功を立てた高麗の名将。

 金宗瑞(1390〜1453) 李朝封建国家の文臣。全羅道順天出身。女真族の侵入を防ぎ、国の防備をかためるのに大きな役割を果たす。刑曹判書、礼曹判書、左議政を歴任。高麗王朝(918〜1392)の歴史を叙述した『高麗史』(139巻)と『高麗史節要』(35巻)など多くの史書を編纂。

 南怡(1441〜1468) 15世紀中葉の将軍。武芸に秀で軍事に通逹し、17歳で武科に及第。26歳で兵曹判書に任ぜられ青年将軍として名声を馳せる。辺境を侵して西北国境一帯を騒がせた建州衛女真侵略者を懲罰する戦いで偉功を立てた。

 甲申政変 朝鮮初のブルジョア革命。1884年12月4日、金玉均を中心とする開化派が政変を起こして新政府を構成、政府の政綱を発表したが、三日天下に終わる。1884年ブルジョア革命ともいう。

 檀君 朝鮮民族の始祖。紀元前3000余年前に平壌に生まれ、東邦初の古代国家である「朝鮮」(後に古朝鮮と呼んだ)を創建。檀君陵は平壌市江東郡にある。

 『温達伝』 高句麗人民によってつくられた説話。貧しかったため支配階級から「馬鹿」と呼ばれ、虐待され蔑視されていた主人公の温達が、王宮から追い出された王女と結ばれて武芸を修め、やがて将軍になり外敵を退ける戦いで勇敢さと犠牲的精神を発揮して国難を救う話。

 『セナル』 金日成主席が1928年1月、撫松で創刊した朝鮮初の革命的新聞。

 『ボルシェビキ』 初の党組織――建設同志社の機関誌。1930年7月、卡倫で創刊。最初は月刊雑誌であったが、後に週刊新聞となる。

 『農友』 1930年の秋、懐徳県五家子で発刊された月刊雑誌。農民同盟の機関誌。

 『東医宝鑑』 17世紀初までの朝鮮伝統医学のすべての成果を集大成した医書(5編25 巻)。有名な医学者許浚によって1610年に編纂され1611年に出版された。

 「恵山事件」 日本軍警が1937年の秋と1938年に鴨緑江沿岸一帯で朝鮮の革命組織と革命家を摘発、弾圧するために起こした2回にわたる大検挙事件。

 新幹会 1927年に知識人で組織された民族主義団体。民族の団結、政治的・経済的覚醒の促進、日和見主義反対を綱領とした。日本帝国主義の弾圧と内部の改良主義的策動のため、1931年5月に解散。

 金策(1903〜1951) 金日成主席に限りなく忠実な革命戦士であり、党と革命のためにすべてをささげてたたかった革命闘士。咸鏡北道金策市(旧城津、金策の名を冠して改称)の出身。革命闘争の過程で日本警察に逮捕されて数回の獄中生活を体験。1932年に朝鮮人民革命軍に入隊して指揮官として活躍。解放後、党の創立、人民政権の建設、正規の人民武力建設と諸般の民主改革遂行のために献身。平壌学院の初代院長、北朝鮮臨時人民委員会と北朝鮮人民委員会の副委員長兼民族保衛局長、朝鮮民主主義人民共和国内閣副首相兼産業相などを歴任。祖国解放戦争の時期には、軍事委員会委員および前線司令官として戦争勝利のために献身。

 洪吉童 朝鮮中世の小説。『洪吉童伝』の主人公。変幻自在の術を使って封建支配層の悪を討つ人物として描かれている。

 全琫準(1854〜1895) 甲午農民戦争(1894〜1895年農民戦争)の指導者。青年期に父親とともに書堂の訓導を勤めた。封建支配層の収奪に反対する全羅道古阜農民の暴動を農民戦争に発展させてたたかったが、裏切り者の密告で逮捕され死刑に処された。

 祖国解放戦争(1950年6月25日〜1953年7月27日) 朝鮮人民がアメリカ帝国主義をかしらとする外来侵略者と李承晩かいらい一味の武力侵攻に抗して戦った正義の戦争。

 康良U(1904〜1983) 愛国闘士、著名な政治活動家。平壌市万景台区域七谷の出身。日本帝国主義の植民地支配当時、教師、牧師として愛国的な教育活動と布教に従事。解放後、北朝鮮臨時人民委員会書記長、朝鮮民主主義人民共和国最高人民会議常任委員会書記長として新しい祖国の建設と政権機関の強化、祖国解放戦争の勝利のために活躍。朝鮮民主主義人民共和国最高人民会議常任委員会副委員長、副主席として、国の富強発展と共和国の国際的権威を高めるために活躍。1948年の最高人民会議第1期から代議員として活躍。北朝鮮民主党中央委員会委員長、朝鮮社会民主党中央委員会委員長として統一戦線路線の貫徹に献身。

 洪景来(1780〜1812) 1811〜1812年の平安道農民戦争の指導者。

 李儁(1859〜1907) 反日愛国烈士。咸鏡南道北青出身。日本の早稲田大学卒業。帰国後「共進会」をはじめ、各種団体を組織して国権回復のために活動。国債補償運動の主要人物として活躍。1907年、朝鮮高宗皇帝の密使としてハーグで開かれた第2回万国平和会議に参加して日本帝国主義の朝鮮侵略を暴露し、朝鮮の独立への助力を訴えたが、意を果たせず、抗議のしるしとして現地で割腹した。

 安重根(1879〜1910) 独立運動家。黄海道海州出身。17歳のときから軍事学を研究、西北学会の会員として教育活動に従事。1907年末、ロシア沿海州で反日義兵隊指揮官として活躍。1909年6月、300余名の義兵を率いて咸鏡北道慶興(現在の恩徳郡)駐屯の日本守備隊を攻撃。1909年10月、「北満州視察団」の名目で満州に来た朝鮮侵略の元凶伊藤博文をハルビン駅頭で射殺。

 崔徳新(1914〜1990) 金日成主席が学んだ華成義塾の塾長崔旿東の子息。日本帝国主義の朝鮮占領後、中国に亡命し、光復軍の将校となる。解放後、南朝鮮で軍団長、外務部長官、西ドイツ大使などを歴任。朴正煕執権期にアメリカに亡命。その後、朝鮮民主主義人民共和国に永住し、祖国平和統一委員会副委員長、天道教青友党委員長として活躍。

 趙基天(1913〜1951) 革命詩人。咸鏡北道会寧出身。日本帝国主義の朝鮮占領後、ロシアヘ移住しオムスク師範大学を卒業、祖国の解放とともに帰国。1947年、金日成主席の革命活動史で意義深い普天堡戦闘(1937年)を主題にした長編叙事詩『白頭山』を創作。解放後に祖国の全土で起こった変革と祖国解放戦争期の人民と人民軍軍人の戦いを描いた『大地の歌』『朝鮮はたたかう』をはじめ、多くの詩を創作。1951年に朝鮮文学・芸術総同盟中央委員会副委員長として活躍。



 


inserted by FC2 system