金日成主席『回顧録 世紀とともに』

注 釈
−第4巻:第10・11・12章−


 呂運亨(1886〜1947) 独立運動家。号は夢陽。京畿道楊平出身。初期に上海臨時政府と高麗共産党に関与して朝鮮の独立のためにたたかう。ソウルで『朝鮮中央日報』社長、朝鮮建国連盟委員長、勤労人民党党首などを歴任。解放後、平壌で金日成将軍と会見し、ソウルへ帰って自主的な政治路線と連共・統一をめざしてたたかい、暗殺される。

 白南雲(1894〜1979) 全羅北道高敞出身。ソウルで教職につき、のち勤労人民党の副委員長として活動。アメリカ帝国主義の植民地政策に反対。1948年4月、南北朝鮮政党・大衆団体代表者連席会議に参加。朝鮮民主主義人民共和国の初代教育相、科学院院長、最高人民会議議長などを歴任。教育と科学の発展、祖国統一のために貢献。

 姜永昌(1912〜1965) 金日成主席の信任と恩情のなかで朝鮮労働党と人民に忠実であった科学者。日本帝国主義の植民地時期に中国の旅順工科大学を卒業し、三菱電機に技師として勤務。解放後、南朝鮮から共和国北半部に入り、城津製鋼所の技師長、金属工業相、科学院院長を歴任。反動派の策謀のなかでもつねに党を信頼し、冶金工業と機械工業における主体性の確立に貢献。

 治安隊 祖国解放戦争の時期(1950年6月〜1953年7月)にアメリカ帝国主義と南朝鮮かいらい一味が共和国北半部を一時的に占領したとき、その地域に組織した反動団体。

 13連発(あだな) 小汪清根拠地防衛戦闘(1933〜1934)のとき、日本軍討伐隊の侵攻からスッパク谷を守って勇敢に戦い、13発の銃傷を負った遊撃隊員のこと。

 金振(1912〜1939) 朝鮮人民革命軍指揮官。世界の戦争史上はじめて敵の銃眼をわが身でふさいだ英雄。金日成主席が指導した抗日武装闘争に参加。安図県大沙河戦闘のとき、敵の銃眼をわが身でふさぎ、部隊の突撃路を開いて戦死。

 李寿福(1933〜1951) 朝鮮人民軍兵士・共和国英雄。平安南道順川出身。朝鮮戦争の時期(当時18歳)、1211高地に連なる無名高地の奪還戦闘のさい、敵の銃眼をわが身でふさぎ、中隊の突撃路を開いて戦死。

 金光哲(1965〜1990) 朝鮮人民軍将校・共和国英雄。1990年1月、戦闘訓練中、爆発寸前の手榴弾をわが身で覆い、10余名の兵士を救って犠牲になる。

 韓英哲 朝鮮人民軍兵士・共和国英雄。1992年2月(当時21歳)、戦闘訓練準備中、不慮の事故から戦友を救って犠牲になる。

 鳳梧谷と青山里で喫した大惨敗 洪範図指揮下の朝鮮独立軍と間島一帯で活動していた独立軍部隊によって、1920年6月と10月に、中国の吉林省汪清県鳳梧谷と和竜県青山里で日本侵略軍が大敗を喫したことをいう。

 許憲(1885〜1951) 愛国烈士。咸鏡北道明川出身。日本帝国主義の植民地時期にソウルで弁護士を勤め、抗日闘士の弁護にもあたる。解放直後、南朝鮮労働党を創立してその委員長となる。その後、共和国北半部に入り、最高人民会議議長、法制委員会委員長、金日成総合大学総長などを歴任。教育の発展に貢献し、朝鮮戦争の時期に死亡。

 金九(1876〜1949) 独立運動家。黄海道海州出身。初期には反日義兵闘争に参加。3.1人民蜂起後、上海臨時政府主席などを勤めながら韓国独立党を組織。日本帝国主義の敗亡後、南朝鮮に帰り対米従属に反対。1948年、平壌で開催された南北朝鮮政党・大衆団体代表者連席会議に参加。その後、ソウルで連共・統一をめざしてたたかい、暗殺される。

 4月南北連席会議 1948年4月、南北朝鮮の56の政党、大衆団体の代表695名と海外同胞の代表が平壌で祖国統一の問題を討議した会議。アメリカ帝国主義とその手先が国土の分断と民族分裂を固定化し、南朝鮮を植民地にするため、亡国的な5.10単独選挙をもくろんでいた時期に招集された。金日成主席は『北朝鮮の政治情勢』と題する報告で、祖国の自主的統一のための救国対策を示した。

 崔徳新(1914〜1990) 金日成主席が通った華成義塾の塾長崔東の息子。日本帝国主義の朝鮮占領後、中国に亡命。光復軍の将校。解放後、南朝鮮で外務部長官、軍団長、西ドイツ大使などを歴任。朴正煕執権期にアメリカに亡命。その後、朝鮮民主主義人民共和国に永住し、祖国平和統一委員会副委員長、天道教青友党委員長として活躍。

 一星(ハンビョル) 初期革命活動の時期に戦友たちが金日成主席につけた呼び名。偉大な指導者を迎えた青年共産主義者は、朝鮮人民を暗黒から解放の夜明け道へ導く明星になってほしいという願いをこめてその名(本名―金成柱)を一星同志と呼んだ。その後、民族の太陽になってほしいという一致した念願から金日成同志と呼ぶようになった。

 洪吉童 朝鮮の中世小説『洪吉童伝』の主人公。変幻自在な術を使って封建支配層の悪を討つ人物として描かれている。

 38度線 第2次世界大戦後、ソ連と米国が敗亡した日本軍の「武装解除」のための「分担線確定」という名目のもとに、北緯38度線を境にして解放(1945年8月)された朝鮮を北と南に二分した境界線。

 乙支文徳 高句麗の愛国名将。平壌出身。612年、高句麗―隋戦争の時期、薩水戦闘で敵に壊滅的な打撃を与え、軍隊と人民を勝利へ導くうえで偉勲を立てる。

 李舜臣(1545〜1598) 朝鮮の愛国名将。李朝時代、三道水軍統制使として活躍。世界最初の鉄甲船である亀甲船を創案、建造。壬辰祖国戦争の時期(1592〜1598)、海戦で豊臣秀吉侵略軍の艦船数百隻を撃沈。数万の軍勢を掃滅し、海の守りを固めて敵の「水陸併進」企図を破綻させ、戦争の勝利に大きく寄与した。最後の戦闘である露梁海戦で戦死。

 朴達(1910〜1960) 抗日闘士。咸鏡北道吉州出身。日本帝国主義の朝鮮占領時期、金日成将軍の指導のもとに朝鮮民族解放同盟の責任者として活動。1938年9月、密告されて日本警察に逮捕、投獄される。解放(1945年8月)とともにソウル西大門刑務所から廃人同様の体で出獄し、病床にありながらも死去するまで執筆活動をつづけた。



 


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