金日成主席『回顧録 世紀とともに』

注 釈
−第3巻:第7・8・9章−


 高木健夫(1905〜1981) 福井県出身。1930年から読売新聞社記者、論説委員。1972年から日朝文化交流協会理事長を務める。抗日武装闘争参加者の回想資料と、日本軍と官憲の回想資料および極秘文書、『読売新聞』中国・長春特派員として取材した事実資料などにもとづいて金日成主席の革命闘争を内容とする著書『白頭山に燃える』『金日成満州戦記』『金日成祖国への道』などを出版。

 ノビチェンコ ソ連軍司令部の護衛隊員 1946年3月1日、平壌駅前広場で催された3.1運動27周年祝賀大会の最中、反動分子が幹部壇に投げた手榴弾を身をもって防いで朝鮮革命の首脳部を守り、右手を失う。現在(第3巻の編集年は1993年)、ロシアに在住。

 金光哲(1965〜1990) 朝鮮人民軍将校・共和国英雄。1990年1月、戦闘訓練中、爆発寸前の手榴弾をわが身で覆い、10余名の兵士を救って犠牲になる。

 韓英哲 朝鮮人民軍兵士・共和国英雄。1992年2月(当時21歳)、戦闘訓練準備中、不慮の事故から戦友を救って犠牲になる。

 桂月香 1592年6月、豊臣秀吉の侵略軍が平壌城を占領したとき、敵将小西飛騨守如安を誅殺するために金応瑞将軍に手をかした愛国的な女性。

 論介 豊臣秀吉の朝鮮侵略の時期、晋州城が日本軍の手に落ちたさい、敵将の一人を道づれに矗石楼から南江に身を投じた愛国的な女性。

 1211高地 金剛山の近くに位置。朝鮮戦争(1950年6月〜1953年7月)の時期、軍事戦略上重要拠点となった最激戦地。最高司令官金日成将軍の命令にしたがい、1211高地の防衛者たちは高地を死守する。1211高地は祖国防衛の代名詞、英雄の高地となる。惨敗を喫した敵は、この高地を「傷心嶺」(ハートブレイク・ヒル)と呼び、その谷間を「陥穽谷」(トラップ・バレー)と呼んだ。

 春香、李夢竜 李朝時代の代表的古典小説『春香伝』の主人公たち。ヤンバンと平民の身分上の不平等を批判し、愛と人間性の尊さを説く。

 姜鎮乾(1885〜1963) 反日独立運動家。咸鏡南道利原出身。3.1人民蜂起に参加。その後、反日独立団体の「興業団」を組織。三水郡嶺城駐在所の襲撃戦闘を指揮。1923年8月、日本警察に逮捕され約20年間獄中生活。解放後1946年から朝鮮農民同盟中央委員会委員長、その後、北朝鮮人民委員会委員、最高人民会議代議員、朝鮮労働党中央委員会委員などを歴任。

 李縺i1888〜1954) 咸鏡南道北青出身。ソウル普成高等普通学校卒業。1918年中国浙江省の陸軍士官学校卒業。1921年から高麗義勇軍司令官兼その直属士官学校校長を勤め、ロシア革命後に赤軍とともに白衛軍の残党を一掃する戦闘にも参如。1946年新進党委員長、1948年から都市経営相、司法相、無任所相などを歴任。

 李寿福(1933〜1951) 朝鮮人民軍兵士・共和国英雄。平安南道順川出身。朝鮮戦争の時期(当時18歳)、1211高地に連なる無名高地の奪還戦闘のさい、敵の銃眼をわが身をもってふさぎ、部隊の突撃路を開いて戦死。

 白後家 平壌の慈善家白善行の別称。平壌出身。財産家でありながらも一生を質素に暮らし、財産を社会事業のために提供。当時の彰徳学校に莫大な金額を寄付。橋梁や二階建ての公会堂も建設。20歳前に夫をなくしたが、80の生涯を終えるまで独身を通す。

 関部隊事件 汪清の李光の秘密遊撃隊が関部隊(反日部隊)の日本軍への投降を防ごうとして、その武装を解除した事件。これを機に関部隊は、共産主義者にたいする報復として非道な戦いを挑む。これによって遊撃隊と救国軍の関係は悪化し、遊撃隊の活動は難関に直面する。

 黒河事変 1921年、満州とロシアの国境都市黒河市(自由市)で、朝鮮独立軍の勢力争いがきっかけとなって起こった同胞同士の流血の惨事。

 亀甲船 16世紀、李舜臣将軍が建造した世界最初の鉄甲船。豊臣秀吉の水軍の撃滅に大いに寄与。

 売国5大臣 1905年11月、日本が不平等で侵略的な「韓日協約」(乙巳条約)を強要したさい、それに屈した5人の売国大臣。学部大臣李完用、内部大臣李址鎔、軍部大臣李根沢、農商工部大臣権重顕、外部大臣朴斉純。



 


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